お兄さん強そうだねぇ。おっぱい揉む?

 コジローが住居としているルームは、『ネメシス』が管理する建物の一室だ。6階建てのアパートメントだ。2部屋構成で、住居としては最低限。しかし企業に貢献していれば無料で住むことができる。これも企業サービスの一環だ。


 そう言った建物群を抜ければメインの道路。道路と言っても地上を走る車は少ない。多くの交通機関は空路を使い、空を飛んでいる。地上を走る車はクレジットを持たない貧乏人と企業が定めた低市民ランクの乗り物だ。


 この通りはコジローを始めとした市民ランクが低い人間用の道。車の量は他の道路に比べて多い方だ。無音で横を走っていく電子自動車。歩行者と車両の道路は分けられているとはいえ、道幅は広くない。


 明滅する信号機。車両と歩行者の流れはそれにより止まり、また動き出す。コジローには見慣れた光景だ。だがコジローよりも市民ランクが上のクローン体には地上の交通事情など縁のない話。空には空の交通整理がある。


「信号待ちはだるいね。待ってる間に素振りの一つでもできそうだ」

<警告。Ne-00339546の動作記録を考慮するに、2分では10回が限度です>


 脳内でそう思えば、『NNチップ』がそう答える。コジローは退屈を紛らせるように脳内で会話を続けた。


「素振りっていうのは回数じゃなくて、確実に型をこなすための訓練なんだよ。一つ振っては確認。一つ振ってはまた確認ってな」

<非効率です。同じ動作を繰り返すなら、使用箇所を機械化して動作アプリケーションをダウンロードすれば終わります>

「そんなクレジットはない。分かってないね、相棒は」


 機械による効率化。天蓋に住む多くのクローンはそうしている。コジローと同じ市民ランク6でも、片手や片方の眼球などの肉体の一部を機械化している。機能的に見た目的にもそれが常識だからだ。


「鍛え上げた肉体は機械に勝るのさ。古典ラノベにもそう書いてたぜ」

<否定。非機械化クローン体の身体能力は一般的な機械義肢の出力に大きく劣ります。Ne-00339546の肉体能力は一般的なクローン体よりも高いですが、それでもかなわないでしょう>

「数値だけでは測れないものがあるんだよ。魂とかそういうのが」


 脳内に展開されるカタログスペック。それを無視してコジローは手を振った。実際、機械化義肢と腕相撲をすればコジローは手も足も出ないだろう。機械を軽視するつもりは毛頭ない。


「信念とか強い思いとかが奇跡を起こすのさ。愛とか勇気とかがあればどんな困難でも乗り越えられるってな」

<否定。精神は物理に作用しません。証明するデータが1876個検索できました。閲覧しますか?>

「しない。そんな時間はない」


 精神論を語れば論文を用意する『NNチップ』。そんなやり取りもいつもの事だ。コジローは歩きなれた道を歩く。監視カメラの数も少ない低市民ランクが使用できる道。言ってしまえば治安の優先度が低い場所。


「うはははははは! もっと電子酒持ってこーい!」


 そこには当然、こういった輩もいる。脳内に作用して酩酊状態にするデータ、電子酒。それを大量に使って酔っ払っているクローン。データ大量摂取によりダウンしている者もいるが、まだまだいけるぞとばかりに叫んでいるクローン。


「あいつは……。まためんどくさいところで電子酒キメてやがるなぁ」


 身長は一般的なクローンより少し高め。見た目は右目と四肢をカメラアイに機械化した女性型クローン。だがそれ以外の部位――服で隠れた部分も機械化しているのをコジローは知っている。


「……道を変えるか」

<非推奨。進路変更を行えば規定時間以内に職場にたどり着くことはできないでしょう。迂回しての最短ルートはT07通りですが、そこを通るには市民ランク5以上でなければいけません>

「だよなぁ」


 市民ランクにより使用できない経路がある。そこにこんな酔っぱらいがいれば、即座に連行されているだろう。正確に言えば、こんな低ランククローンしか通らない道だと咎められないから、ストリートで大量に電子酒を使っているのだ。


「おおおおお!? そこにいるのは……そこにいるのはぁ……! 誰だっけなぁ!」

「知らない誰かだよ。なんで通らせてもらうぜ」


 にべもなく言って横を通り抜けようとするコジロー。酔っ払いに話が通じないことなど百も承知だ。知らぬ存ぜぬで通れればそれでよし。運が良ければ納得してくれることもある。勝率は4割ほど。


「いやいやいやいや! 知ってる知ってる知ってるぞぉ! IDはNe……おおう、揺れる揺れる。誰だ貴様は名を名乗れ!

 あとおっぱい揉む?」

「揉まない」


 酔っ払いクローンは無視しようとするコジローを呼び留めて、後ふくよかな胸を押し付ける。コジローはその感覚に心奪われそうになる前に押して離した。胴体まで機械化しているのに、こういう所は人間的な柔らかさを残している。肌も腰つきも足も機械であることを感じさせない。


「あっはっはっは! 初心ウブだねぇ、お兄さん。どうだい一緒に電子酒やらないかい? ついさっき購入した『ヤマタノオロチ』だよぉ。ちょいと癖あるけど、いい感じで酔えるからさぁ」

「やらねぇよ。俺は今から仕事なんだ。セーフルームに戻ってな。

 っていうかそれって違法電子酒なんじゃないのか?」

「違法? 犯罪は良くないぞぉ! そんなことする奴はお姉さんが退治してやるぅ! 販売ルートを殲滅だぁ!」


 言いながら両手に光の剣を宿す酔っ払いクローン。義肢内蔵型フォトンブレード。サイバー義肢内に埋め込まれた武装だ。フォトンブレードが一般的ではない武装なので、このサイバー義肢も一般的ではない。このクローン用にカスタマイズされた一品だ。


「今日はふらふら、明日もふらふら。決まったルームなどありやせぬ! 決まったところがお姉さんのベッド。サイコロが決める明日の場所っとくらぁ!

 お姉さんの名前はIZー0010天の634ムサシ! 正義を為すお姉さんの登場だ!」


 名乗りを上げるIZー00210634こと、ムサシ。IZは企業『イザナミ』のクローンである証。酔っ払っているのか顔は赤く、目の焦点もあまりあっていない。ふらふらしながらも動きはけして遅くはない。


 ムサシの脚部のサイバーレッグのオートバランスが千鳥足ながらも、力ある歩みで床を蹴る。笑いながら近くにある壁に斬りかかった。自分では違法酒を売った相手を探しているつもりなのだろうが、やっていることはただの破壊行為である。


「いいぞムサシー!」

「がんばれおねーさん!」

「お前ら、巻き込まれないように離れとけ―」


 そして寝ていた酔っぱらいは慣れたとばかりにムサシから距離を取る。彼らにとっては日常茶飯事のようだ。


<治安維持組織に通報。

 返信があります。現在このストリートの担当員が補給中の為、到着が遅れるそうです>

「分かりやすい怠慢だよな、ちくしょう!」


 市民ランク6の最底辺が使用する場所など真面目に守る必要はない、とばかりの理由である。酔っ払いもそれが分かっているのか、目の前の剣劇を楽しむように見ている。


「おう。ムサシのお姉さんがいれば問題なし。駆けつけやっつけつけつけのつけってことよ。今日のキューブはナスの味がするねぇ。でもこれがまた電子酒に合うんだよ。たまんねぇー!」


 野次に手を振り、懐にあった栄養キューブを口にするムサシ。そしてコジローを目にした。


「わはははは! お兄さん強そうだねぇ。おっぱい揉む?」

「揉まない。っていうか通っていいか? 仕事行きたいんだよ」

「お姉さんと一晩過ごしたかったら電子酒で勝負だよぉ。へへへ、負けたほうがクレジットを負担するってのはどうだい?」

「午前から電子酒は魅力的だけど遠慮するぜ」

「だったらこっちで勝負だぁ!」


 両手の青光を振りかざし、コジローに迫るムサシ。コジローはそれを予測していたとばかりに腰のフォトンブレードを抜いて光に合わせた。光子同士がぶつかり合い、反発するように刃が止まる。


「おおおおおおお!? お姉さんの剣を止めるとはさすがだねぇ……誰だっけ?」

「見知らぬ誰かだよ」


 会話の合間に光の剣は交差する。左右交互に迫る青刃を、正眼の構えを軸にして防ぐコジロー。右に左に変幻自在に振るわれる二刀流。電子酒で酔っているムサシの太刀筋を機械的に予測するのは不可能だ。


「あっはっは! お姉さんの剣を止めるとかすごいすごい! おっぱい揉む?」

「揉まない!」


 会話も太刀筋も予測不能。だけどコジローはそれに対応できていた。肉体に培われた経験。刃を振るった数。目線、手首、足の角度。酩酊して不規則ではあるが、それでも攻める方向は予測できる。


「悲しいねぇ。お姉さん泣いちゃうよ? 涙で濡れるお姉さん。でもしょっぱいのを舌にのせて電子酒を入れると効くんだよねぇ! お姉さんの涙で試してみない?」

「泣いてる女性はどうにかして助けたいけど、塩味は好みじゃないんで遠慮するぜ」

「んっふっふ。君とは美味しい電子酒が飲めそうだ! ところで誰だっけ?」


 泣いて笑ってそして刃を振るわれる。テンポも軌道も一定しない。隙だらけに見てて隙がない。自由奔放予測不能。それがムサシの剣。首をかしげながらも鋭い一閃が飛んでくる。


「腕の一本でも落としてやりたいけど、隙ねぇんだよなぁ。この酔っ払い」

「好き? お姉さんの事が好き? 嬉しいねぇ。照れちゃうよ、でへへ」

「そう思うのなら攻撃やめてほしいぜ」

「やめてやめてもイヤのうちってね。あれ? これだとイヤなんだっけ? まあいいや。興が乗ってきたんだしもっと行くよぉ!」


 拮抗するムサシとコジロー。加速するムサシの動きにコジローもギアをあげるように呼気を吐き出し――


<乱闘騒ぎを確認! 騒ぎを止めて投降せよ!>


 けたたましい警報と共にやってきた警備用の飛行ドローン。それが二人の戦意を削ぐ。


「んんんん、無粋だねぇ。お姉さん酔いが覚めたよ。河岸を変えて飲みなおすとするか!」


 言うと同時にサイバーレッグの跳躍力を使ってビルの上まで飛ぶムサシ。酔っ払いたちも警報音が響くより前に撤退していたらしい。気が付けばコジロー一人だけ取り残されていた。


「……これ、逃げちゃダメな奴だよな」

<治安維持組織への協力は市民の義務です>


 だよなぁ。相棒の事務的なメッセージを聞きながら、コジローは諦めたように警備ドローンに向きなおる。職場に遅刻する旨の連絡を入れながら、ついてないぜと肩をすくめた。


 

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