ロマンがないね、まったく

 機械による技術が発達し、様々な分野の自動化が進んだ。


 輸送などのインフラはデータ化され、『NNチップ』を通して注文すればその商品がどうなっているかをリアルタイムで観測できる。倉庫からの棚出し。輸送ドローンの現在地。予定到着時間の誤差4秒以内で商品が届く。


 工場生産物は完全ロボット化された。あらゆる誤差をも見逃さないセンサーと、寸分の狂いもなく動くマニピュレーター。工場における生物の役割は、エラー発生時のメンテナンスぐらいだ。


 エンタメも自動化された。成長型AIがその瞬間のトレンドをサーチし、それに沿った作品を作る。小説はコンマ2秒で作成され、そのコミカライズも同時作製。そこから派生したトレンドも逃さず、飽きることなく物語に没頭できる。


 仮想現実は無限の広がりだ。様々な世界。様々な物語がここにある。1人1世界とまで言われるほどに発展し『人類』は肉体を捨てて仮想現実を新たな故郷としていた。現実世界に残る『人類』はなく、インフラ関連は企業が作り出したクローンやバイオノイドなどが維持していた。


 企業。それが人類を、そして人類が存在する『天蓋』を維持し、そして支配していた。仮想現実を維持するために作られた『天蓋』と呼ばれるドーム状の建物。全人類はそこでそれぞれの仮想現実を生きているのだ。


 この『天蓋』と呼ばれる世界を運営する五大企業。すなわち『イザナミ』『ジョカ』『カーリー』『ペレ』そしてコジローが所属する『ネメシス』。企業は全てを支配する。娯楽も、労働も、安全も。


 コジローが働いているのは、『ネメシス』傘下会社のその下請け。『ネメシス』の足元。端の方の歯車。『ネメシス』傘下医療施設の廊下清掃だ。患者が通る一般廊下ではなく、医療器具を運ぶ裏側廊下。


「今日も消毒液たっぷりでタンクが重いね。頑張りますか」


 いわゆる『重労働』と言われる労働はクローンが行う仕事ではない。バイオノイドやドローンと言った『道具』の仕事だ。それを管理する責任者として数名のクローンはいるが、クローンが率先して清掃業務に興じるのは普通ではない。


「重いタンクに動きにくい服。おかげで体にいい負荷がかかるってもんよ」


 コジローはその常識的なクローン鳥羽異なり、バイオノイドに交じって全身を覆う化学服を着て作業を行っていた。背中に背負ったタンクで消毒液を散布しながら長い道路を進む。服は放射線を通さないように鉛が含まれており、服自体の大きさとタンクの重量も相まってとにかく重い。


<発汗による水分の低下確認。各筋肉に乳酸発生。疲労の傾向が見られます>

「やっぱりキューブだけだと栄養が足りないんだよ。古典ラノベみたいにご飯が食いたいね」

<Ne-00339546の市民ランクではキューブ以外の支給はありません。天然の食料を食べたいのなら市民ランク2になる必要があります>


 市民ランク。この天蓋を生きるクローン体は皆、ランク付けをされていた。企業に対する貢献度。つまり企業の労働で稼いだクレジットをどれだけ企業に収めたか。それによりランク付けがなされ、そして生活区域や文化レベルも分けられる。


 ランク2ともなれば天蓋内に13本ある『タワー』と呼ばれる高層住居施設に住むことができる。様々な病原体から隔離された空間で、工場生産のブロック食料ではなく有機物を食することができると言われている。


「いいねぇ。ランク2。液体酒リキッドドランクも飲み放題なんだろ? 飲んでみたいもんだね、缶ビール」

<タワー内の自動販売機で購入可能です。ビール純粋令に従った麦芽とホップと水と酵母だけで作られたものです>

「うわなにそれ。バクガ? ホップ? 検索検索」

<麦芽とホップは天蓋暦以前に存在したショクブツです。麦芽は麦と呼ばれる穀物の状態になります。

 これ以上の情報を得るには市民ランク4以上が必要になります。Ne-00339546の市民ランクは6です。高位情報習得罪になりますが検索しますか?>

「しない。って言うかショクブツってなんだ? まあ美味そうなのはわかった」


 そんなやり取りをしながら消毒を続けるコジロー。周りに誰もいないので、会話できるのはナビゲーションシステムしかいない。寂しいように見えるが、実のところそれが一般的だった。


「でも憧れるねぇ。ビールにワイン、そしてニホンシュ! 古典ラノベにも書いてたけど、美形の女性型に注がれる酒は味が変わるってらしいぜ」

<提案。30000クレジットでナビゲーションシステムの基本アバターを購入できます。追加オプションを支払えアバターとの五感連動が可能になります>


『NNチップ』のナビゲーションシステム。これを改造して自らの好みにする者は多い。むしろコジローのように、基本設定デフォルトのままにしている人間の方が希少なのだ。自らの好みに改造し、愛称をつけている。姿形も性別も性格も思いのままだ。


「しない。分かってないね、相棒。そういうのはお金で解決するもんじゃないのさ」

<反論。87.3%の男性型が女性型アバターと五感連動を購入されているというデータがあります>

「それはそれ。こういうのはロマンなんだよ。空から女の子が降ってくるっていうヤツさ。古典ラノベにもそう書いてあるぜ」

<昨日の落下事件は34件。うち、女性型は2件です。1件は事前申請されていた重力素子実験のアクシデント。もう1件は飛行ユニットの操作ミスによるものです>

「着陸プログラムにバグしこまれてたんじゃないのか。それ」

<『イザナミ』からの公開情報は操作ミスです。『HA=GOROMO』にはバグはなく、人為的な要因だと>


 ナビゲーションシステムとの会話は味気ない。キャッチボールは成立するが、気の利いたことを返すわけではない。性格カスタマイズをすれば――それこそ性格アプリを購入すれば自分好みの相棒になるだろう。


 だがコジローはそれを行わなかった。これはこれで心地いい。この味気ない会話も慣れれば楽しいものだ。……購入するだけのクレジットが存在しないという事実もあるが、それはそれだ。


「ふぃ。暑いねぇ。汗だくだよ」


 一仕事終えて、休憩に戻るコジロー。ガスによる消毒室で全身消毒したのちに部屋を移って化学服を脱ぐ。専用のロッカーに服をしまった後で、流れる汗を拭いた。


<消毒液タンク含めた総重量は約40キロ。消毒液を使うたびに軽くなるとはいえ、これを5時間着て歩き回ったのですから、発汗しないほうが問題です。早急な水分補給を推奨します>

「へいへい。おかげで体も鍛えられるってもんだ」

<提案。運搬力や破壊力増加を求めるなら、機械義肢手術を受けることを推奨します。筋肉に負荷をかける増強より効率がいいと判断します>

「しない。これもロマンなんだよ」


 言いながら個人ロッカーを開けて、用意してあった水を飲むコジロー。欠かさぬ筋トレと労働による重量負荷。それにより鍛えられたコジローの筋肉は、決して目立つモノではないが確実に培われていた。


<通信。Ne-00000042から通話を求められています。対応しますか?>


 そんな中、ナビゲーションシステムがそんなメッセージを告げる。会話を求める通知だ。かつては電話と呼ばれた音声を電波信号に変換する通話機器があったが、今では『NNチップ』がそれを代替していた。


「うわ、若旦那じゃないの。出ないわけにはいかないでしょ」


 露骨に嫌そうな顔をしながら、しかし出ないわけにはいかないとため息をつくコジロー。了承の意志を受け取ったナビゲーションシステムは相手との会話を繋ぐ。


『Ne-00339546。仕事だよ』


 聞こえてくるのは男性型クローンの声。『ネメシス』治安部社長。『ネメシス』が支配する地域を守る『重装機械兵ホプリテス』の指揮者にして発明者。それがNe-00000042だ。


「繋いでくれ、相棒」


 その言葉とともに、コジローの意識は暗転した。

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