二君に仕えないのが武士道なんですよ

<接続処理完了>


 ナビゲーションシステムの言葉と同時にコジローの視界は白に支配される。白い大理石の床。白い柱。白い天井。ギリシア時代の神殿を思わせる光景だ。もっとも、そんな光景も時代の名前さえもコジローは知らないのだが。


 神殿の中央にある椅子に座る一人の男。月桂冠――植物と言う概念さえもコジローは知らない――を被った白い布を羽織った男。その周囲を世話するのは12歳を超えないだろう少年達。ある者は金色の盃を持ち、ある者は男を葉っぱで扇ぎ、ある者は抱きそっている。


 VRチャット空間。Ne-00000042が所有する電脳空間だ。『NNチップ』により意識をそこにつなげられたコジロー。電脳世界用の分体アバターなど用意していないコジローは、現在の姿そのままでそこに現れる。


「やあ、コジロー君。よく来てくれたね」


 コジローの来訪を確認して、Ne-00000042は笑みを浮かべる。年齢だけを見れば20歳半ばの好青年だ。だがこれは電脳世界における姿。実際のNe-00000042がどんな姿をしているのか。それはコジローも知らない。本当にこの姿かもしれないし、実は女性かも知れない。


「そりゃ若旦那のお誘いは断れませんからね。これでも『ネメシス』ロットのクローンなんで」

「今時ロット会社に義理を持つなんて君ぐらいだよ。労働と給料のギブアンドテイクが基本なのに。清掃会社の同僚にも『イザナミ』や『ペレ』のクローンがいるだろう?」


 コジローと『若旦那』との関係は同じ企業の上司と部下だ。とはいえ、直接的な関係はない。企業傘下病院の清掃員とその病院運営者よりもはるか上の企業幹部エグゼグ。出会いもVR酒場で出会って、気が付けば今の関係になっていた。


「二君に仕えないのが武士道なんですよ」

「ブシドー? また古典の価値観かい。でもそういうところが気にいてるんだよ」

「ありがたいことで。ですがハーレム入りは遠慮しますよ。外見ガワも若旦那の趣味とは異なりますしね」

「これでも趣味は広い方だよ。さて仕事の話をしようか」


 肩をすくめるコジロー。挨拶代わりの会話は終わり、とばかりに『若旦那』の目が細くなる。VRチャット内でのデータ転送。コジローの脳内に先日起きた事件が映像として流れる。


 建物に突入する兵士。中にいた人間との抗争。中にいた人間は戦闘型バイオノイドを前面に出して、肉体を武装化して襲い掛かってくる。クマ型バイオノイドが抱えた巨大な銃による掃射音が響く。同時に別のバイオノイドからは触手のようなものが伸び、戦端を槍のように鋭くして襲い掛かる。


 だが撮影側はその攻撃をものともしない。圧倒的な火器で攻撃を押し返し、それを潜り抜けた攻撃も厚い装甲ではじき返す。圧倒的な装備の差で数に勝るビル内のバイオノイド勢を少しずつ制圧していく。


「なんだいこれ? ご自慢の『重装機械兵ホプリテス』のPVですかい?」

「先日『重装機械兵ホプリテス』がアルバファミリーの事務所に襲撃を仕掛けた時の映像だよ。違法のバイオノイド販売を行っていたので警告したのさ」

「警告っていうか制圧でしょうに。あーあ、戦闘用バイオノイドが肉片になってますよ」

「そのあたりは些末だからどうでもいいよ。末端価格5桁以下だしね」


 次々と散っていくバイオノイドなど興味がない、とばかりに手を振る若旦那。死んでいく命に意味はない。原種オリジンさえ無事なら、クレジットがあれば再生産は可能だ。若旦那の立場からすれば、生命の価値など日々流れるニュースの数字でしかない。パフォーマンスになるかならないか、だ。


「それはそれは。こちとら4桁クレジット稼ぐのに精いっぱいのランク6市民なので、もったいなくてもったいなくて」

「それはそれは。で、問題なのはここ」


 映像が一時停止される。アルバファミリーのクローン住居区域。その一室に乗り込んだところだ。映像には開いた窓とそこに足をかける女性型クローン体。体を破ったカーテンで覆い隠し、今まさに窓から飛び降りようとしていた。『重装機械兵ホプリテス』の反応速度を考えれば、コンマ2秒後に撃たれているタイミングだ。だが、


「あれ、撃たない? 飛び降りたぞ」

「実はアルバファミリーの摘発は表の目的。本当の目的はこのクローンの確保でね。危害を加えないように第一安全処置を行っていたのがアダになったよ。こうなるぐらいなら、四肢ぐらいは撃ってもいい命令にすべきだった」


 相変わらずえげつない。そんな言葉をぎりぎりになって飲み込んだ。ランク2の人間の価値観はこれが普通。自分よりはるかに低い市民ランクのコジローに、フランクに話しかける若旦那のほうが異端なのだ。


「コジロー君。キミの仕事はこの個体を見つけて探すことだ。安全が確保できたらこちらに再度アクセスしてくれ。

 いろいろな事情があって『重装機械兵ホプリテス』はこの件ではこれ以上動けなくてね」

「『重装機械兵ホプリテス』の尻ぬぐいですかい。この個体は表に出ちゃいけないプログラムを持ってるとかそういうヤツですか?」

「推測はご自由に。キミが知って公開したとしても、すぐに握りつぶせることはお忘れなく」

「そんな不義はしませんよ」


 肩をすくめるコジロー。若旦那の社会的な力は十分理解している。逆らったらその瞬間にコジローの社会的立場は崩壊するだろう。住居権の剥奪。食事配給停止。その他さまざまなサービス停止。企業の恩恵がなくなれば、『国』と呼ばれる企業サービスが受けられない区域に逃げるしかない。


「条件は生命活動が存続していること。最低でも内臓系は残してほしい」

「脳みそじゃなくて?」

「ああ、内臓だ」


 若旦那の言葉に、けげんな顔をするコジロー。


 人を護衛する仕事、と言うのはこの時代でもある話だ。そしてその際に護衛対象の状態と言うのは契約に欠かせない条項となる。傷一つつけてはいけないというレベルから、脳内データさえ回収できればいいというモノまで様々だ。


 だが、内臓の無事と言うのは聞いたことがないケースだ。機械化技術が進んだこの時代において、内臓の価値は低い。市民ランク2の若旦那からすれば人工心臓の購入さえ容易いだろう。その施術も含めて『重装機械兵ホプリテス』一体分にも満たないクレジットだ。


「難を逃れたアルバファミリーが彼女を狙っているという情報がある。気を付けて捜索してくれ。記録を見る限りこの件は『光脚』が陣頭をとっている」

「そいつはハードだなぁ。『重装機械兵ホプリテス』を真正面から蹴っ飛ばすサイバーレッグだぜ」

「それをどうにかするのも仕事だよ。対象の逃走経路はカメラから割り出せる」


 コジローの脳内に、事件現場周辺の地図と、監視カメラが女を捕らえた場所と時間のデータが展開される。ここまでわかっているのなら、後はしらみつぶしだ。正直、楽な仕事と言えよう。……アルバファミリーさえいなければ。


「聞けば聞くほどいろいろきな臭い話ですけど、あと腐れがないようにお願いしますぜ。権力争いのとばっちりとか恨み辛みはごめんです」

「もちろんだとも。そのあたりの根回しと後処理はこちらで請け負うよ。そして報酬だが――100000クレジットでどうだい?」

「じゅ、じゅうまんくれじっと!? いやいやいや。口止め料含んでるとはいっても、それは多すぎませんかい?」


 100000クレジット。コジローの消毒業務が一か月で1200クレジット。その約80倍だ。


 若旦那から公的な記録に残らない仕事を依頼されることは多々あるが、それでも5000。戦闘が予想される危険な仕事でも10000クレジットだ。100000あればローンなしで機械義肢が購入できる。


「質問をしているのはこっちだよ。どうするんだい?」

「確かに失礼。そしてその答えはすでに答えてますぜ。

 サムライは二君に仕えず。どんな使命だろうとこなして見せますぜ」

「よろしく頼むよ」


<チャットルームからの接続を解除しました>


 VRチャットルームでの会話を終え、コジローはすぐに行動する。休暇届を出し、女性がいると思われる区域に移動を開始した。32の審査書類が必要な休暇届は、まるでランク2の介入があったかのようにすべて受理済みだったという。


「さてさて、鬼が出るか蛇が出るか」

<否定。鬼の存在は西暦から天蓋暦に至るまで確認されていません。蛇は339年前に全種絶滅が確認されています。ヘビ亜目の遺伝情報はNOAに保存されています>

「わかってないね。古典ラノベじゃこういう時こういうのさ」


 味気ない会話をしながら腰のベルトに手をやるコジロー。そこにあるフォトンブレードの存在を指で確認し、目的の場所へと歩を進めた。

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