死んでもらっては困る

「私達は貴方を保護するためにやってきたのであって殺すつもりは毛頭ない。

 だからその、少し落ち着いてもらえるとありがたいのだが」

「むりむりむりぃぃぃぃぃぃ! 異世界召喚のチート能力が『お漏らしでケモキャラをテイムする』とか耐えられないわよ! もうヤダ死にたい!」


 白衣の男性を含め、その場にいる人間たちはトモエの言葉に困惑していた。企業以上の命令権限所有は天蓋のバランスを崩しかねない規格外チートなのだが、当人はその価値を嫌悪している……と言うか何か別の理由で受け入れられないようだ。


「死んでもらっては困る。キミの存在は希少だ。そしてキミをめぐって各企業が水面下で動き始めている。どれだけの規模になるか、まだ予測もつかない。

 そのため、キミの存在は世間から隠させてもらう。こちらの方で特別にタワーの一室を宛がい、そこで生活してもらう」

「たわー?」

「天街において高ランクの市民が住む場所だ。我々が与えられる最上級の待遇をする、と言ったほうがいいか? 少なくとも我々はキミをもてなすつもりだ。

 ランク6市民の狭い部屋ではなく、サービスも行き届いている広い部屋だ」


 トモエはコジローの部屋を思い出す。一部屋+バストイレ。キッチンなんてない。二人で過ごすには少し手狭な空間。確かに生活環境が良くなるとなれば心が動く。もっとも、


「私、市民IDだっけ? それがないからサービス受けられないけど」

「安心したまえ。そこは我々が同行して作動させる」

「ヤだよ! せめて作動させてからどこか行って!」

「それはできない」


 プライベートは守って、と言うトモエの言葉を絶対の意志を込めて断る白衣の男。


「キミの生活や行動などは我々が管理しなければならないからだ。健康、清潔、一日の行動、栄養摂取、そして排泄などだ」

「ひぃ!? は、排泄って……トイレ、まで……?」

「当然だ。むしろそれが主題だからな。キミが排泄する尿中のエストロゲン。それをどうすればコントロールできるか。それが最初の目標だ」

「ひあああああああああ……」


 冷徹な目。科学者の目で白衣の男はそう言い放った。トモエのおしっこを調べる。出す量も、成分も、何もかもを監視すると。


 白衣の男達からすれば、トモエの尿に含まれるホルモンは害悪だ。天蓋にいる多数のバイオノイドを一斉に武装蜂起させることも可能かもしれない。その量を抑えるために、研究させてもらう。彼らからすれば平和的な解決を望んでいるのだ。


 だがトモエからすればたまったものではない。24時間監視され、自由などない。そして排尿するところは記録にまで残されるのだ。彼らに見られながら。その光景を想像しただけでおぞましくなる。目覚めちゃいけないナニかに目覚めかねない。


「やだあああああああ! そんなことされたら舌噛んで死ぬ!」

「死んでもらっては困る。繰り返すがあなたの立場は特殊だ。それを狙って動く企業もある。その動き次第では我々不利益が生まれるかもしれないからな。

 武力抗争にせよ盤外交渉にせよ、キミというカードの価値が分からなければ使えない。それまで君の状態は現状維持。価値を確定するまで、検査を続けなければならない。それまでは、死んでもらっては困るのだ」

「ああ、ああああああ」


 トモエは柔らかく説得する男の真意を知って、絶望する。


 トモエの命は彼らにとってはただの『商品』なのだ。有効に使えるか否か、その程度でしか図っていない。不要なら不要なりに使い、必要なら有用活用する。そのために生かしておきたいだけなのだ。


 死んでもらっては困る。


 命を大事にするセリフなのに、これほど恐怖を感じたことはなかった。命に対する価値観の違い。それをはっきりと理解するトモエ。これでもオレステに比べればマシなのだろう。『他企業』はもっとひどいのかもしれない、マシなのかもしれない。それでも――


(私を人間として受け入れてくれる人はいないんだ……)


 理由もわからずにこの世界に飛ばされ、そして翻弄される。利用される。道具として大事に扱われる。粗雑に扱われる。なんの意味もなく、ただ有用だからと言う理由で。


「そんなのイヤに決まってるでしょう!」

「待遇については可能な限り相談を受けよう。しかしキミの状態観察は譲れないな」


 大声をあげての拒絶をばっさり切り取られる。トモエの心は何もできない無力感に満たされた。


 それと同時に、車が止まった。ベッドのロックが外され、そのまま車外に運ばれる。巨大なビルの裏口。彼らがタワーと呼ぶ高級住宅。だけどトモエには絶望を示す墓場に見え、開いた扉は魔獣の口に思えた。


「実際の住居区域を見せてから交渉を続けよう。できることなら信頼関係は結んでおきたいからな」

「じゃあアドバイスだ。デリカシーが足りないらしいぜ、アンタ」


 白衣の男の言葉に、赤い光が割り込んだ。反応が遅れた男達が血を流し膝をつく。赤光の後に言葉がトモエの耳に届いた。聞き覚えのある声。トモエは首だけ動かして、名前を叫ぶ。


「コジロー!」

「Ne-00339546か。IZ-00404775は失敗したようだな」

「そいつを守ると約束したんでな。アンタらには悪いけど、痛い目を見てもらうぜ」


 コジローのフォトンブレードを回避できたのは、白衣の男だけ。他の者達はコジローの一刀で地に伏していた。それを目の端に捕らえた白衣の男は懐から銃のようなものを取り出す。


<ID確認。IZ-00115862。市民ランク3。『イザナミ』製薬部門の企業戦士ビジネスです>

「『働きバチ』か。素性を隠さないのは恐れ入るね」

「自己紹介は企業戦士ビジネスの基本礼節だ。企業に貢献しない市民ランク6と一緒にするな」


 コジローの言葉につまらないとばかりに鼻を鳴らす白衣の男。。IZ-00115いい子のハチ62ムシ。そして企業の為に尽くす忠誠。使用する武器。そこから『働きバチ』の俗称を受けていた。


「真面目一徹なのはいいけど、押し入り泥棒は良くねぇな」

「『イザナミ』の為だ。破壊活動も控えた」

「容赦なく撃ってきたくせによく言うぜ」

「バイオノイドの価値観を揺るがしかねない事態だ。市民ランク6の命一つで済むなら安いものと判断したに過ぎない。『KBケビISHIイシ』には目標には当てないように厳命した」

「へいへい。そんじゃその市民ランク6の命をとれなかったことを、後悔してもらうぜ」


 言うと同時に踏み込むコジロー。その足元に向けて働きバチは最小限の動きで銃を撃つ。無音で打ち出されるのは、針。視認できない速度と細さの針はコジローの足に突き刺さる。先端に塗布された薬品が灼熱をもってその存在を示す。


「情報以上に動きが速い。ドローン、パターンCで展開」


 同時に展開される8体の小型飛行ドローン。脳の思考を『NNチップ』が受け取って電子信号変換し、それを受け取りコジローの周囲を飛び回る。小型飛行ドローンは内蔵された針を射出し、働きバチの射撃を援護する。


仕 事 開 始ビジネス――戦 術 蜂 展 開ビー・タクティクス】!


<警告。刺激性の毒により左前脛骨筋に支障が生じました。至急離脱して治療を――>

「駄目だ。痛覚カット。戦闘続行!」

「痛みを押さえても、足の筋肉が使えなくなることには変わりあるまい」


 言いながらコジローから距離をとる働きバチ。油断なく銃を構えながら、コジローの行動を窺っていた。フォトンブレードの範囲外を維持しながら、脳内からドローンに指示を送り、油断なくコジローを見る。


「どうした、働きバチ。一撃で殺さないとか優しいじゃねぇか。もっとえげつない毒を持ってるって聞いたぜ。『イザナミ』御用達の鬼殺しだったか」

「あれは証拠が残る」

「合理性の塊だね。そうやって遠くからチクチクやるのは時間かかって面倒じゃないか?」

「そう言って、こっちがカートリッジを交換する隙を狙うつもりか。その手に乗るつもりはない」


 もっと強い毒にするために、針射出銃の薬剤カートリッジを交換しようとする瞬間に斬りかかる。そんなコジローの策などあっさり看破する働きバチ。


「『重装機械兵ホプリテス』には上の方が妨害を入れている。奴らがここに来る前に、貴様は炎症で悶え、命を失う」

「……っ!」

<右大腿直筋、右三角筋に刺激性の毒、確認。戦闘行動に大きく支障が生まれます>


 目に見えない針。それを次々と受けたコジローは歯を食いしばって悲鳴をこらえる。動かすことは可能だが、普段と比べてずれが生じるだろう。


(あの働きバチ。鬱陶しいぐらいにこっちの隙をついてきやがる)


 軌跡を予測して光学兵器を弾けるコジローだが、それは光の軌跡が予測できるからだ。オレステの単純な性格、機械の軌道パターン、そしてコジローの鍛錬と反射神経。これらが組み合わさった結果に過ぎない。


 しかし、働きバチの針射出機はそれとは異なる。こちらの隙を伺う観察眼。指一つだけで動かす最小限の動作。ドローンによるけん制。こちらに撃つ瞬間を悟らせない戦意の消し方。何もかもが一流だ。静かに、的確に、事務的に。


 膝をついた状態でフォトンブレードを振るっていくつかの針を斬り払うが、全てを斬ることはできない。


「20本撃って命中が3。17本弾かれるとはな。事前調査で知っていたが、その骨董品を使いこなしている」

「そちらも噂にたがわぬ企業戦士ビジネスだ。企業の為なら何でもする。その忠誠心はブシドーにも通じるだろうよ」

「企業にクレジットを納めない低ランク市民と私を一緒にするな」

「こっちも嫌がる女を拉致する奴と一緒にされたくないね」


 言いながら、ジリ貧に追い込まれていることを感じるコジロー。相手はこちらの攻撃範囲外から仕掛けてくる。相手を斬るために踏み込もうとすれば、その瞬間に致命的な部分に針を撃ってくるだろう。こちらが剣を振るえないタイミング。働きバチが狙っているのは、その瞬間。


 それが分かっているから、コジローは攻めきれなかった。二歩踏み込めば勝てる。だけど働きバチはその隙を与えないように細心の注意を図っている。今装着している毒でコジローを無力化するにはそれが最適解だ。15%の確率で体のどこかに炎症を与えられるのなら、悪くない。時間はかかるが、働きバチの勝ちは確実だ。


<カシハラトモエから、文字による通知があります>


 そんな状況のコジローの脳内に、ツバメの声が響く。こんな状況で気が抜けないんだけど。そう思いながらも通知を確認する。


『なんかできること、ない?』

『ピンチ』

『出来ること、する』


 スマホ内にあった旧式のメッセージ機能。市民IDを同期させてそれを使ったのだ。指がまだ麻痺で動かしづらいのか、メッセージも短い。それでもその心意気は十分に伝わった。コジローはやってほしいことを脳内を通して伝える。


「優先されるのは企業。営業目的のために身を削るのが仕事――」

「あいたたたたたた! 首筋がいたーい!」


 冷徹に言いつのる働きバチの言葉を遮るように、トモエが叫ぶ。まだ手足は動けないが、かろうじて動く首を振りながら大声で。


(首筋――IZ-00404775に薬剤を撃ち込まれた場所か?)

(投与量は人体に影響しない量。その設定を弄った? いや、ありえない。となると――アナフィラキシー症状か。対象がクローンとは異なる抗原を有している可能性は十分にある)


 毒物学の知識からそう判断する働きバチ。実際はコジローにそうしろというメッセージをスマホで見て叫んだだけで、トモエの体には何の以上もない。しかし働きバチからすれば『NNチップ』がないトモエの状態を見て理解するには、判断材料が少なかった。叫ぶほど首が痛い。それが事実なら、急ぎ処置せねばならない。


(急ぎ処置を――戦闘の優位性を放棄してか?)

(無論、第一義は企業の利益。対象の損失は『イザナミ』の企業計画に穴をあける可能性がある。『鬼殺し』を用いて早急にNe-00339546を処分。しかる後に治療に移る)


 実際に悩んだのは一秒にも満たない時間。第一義が企業の為である働きバチからすれば、迷うまでもない事。判断に従い、懐から新たなるカートリッジを取り出し、銃に装着する。コンマ5秒で装着は完了し、針を射出――


「コンマ2秒の差で俺の勝ちだ」


 働きバチのトリガーが動くより先に、ドローンの包囲網をかわしながらコジローは二歩踏み込んでいた。トモエが叫ぶタイミングに合わせて踏み込んだためだ。わずかでもズレれば針は射出され、コジローの命を奪っていただろう。


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 振るわれたフォトンブレードは針射出銃を持つ働きバチの腕を切り裂き、返す動きで袈裟懸けに胴を薙いでいた。

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