……なんの、事かしら?

 ビルに潜入してトモエに投薬して抵抗力を奪った『IZ-00404775』は、数秒前に視認し、抱きかかえたトモエの姿をイメージする。髪の毛、肌、体格、そして声の質。そのイメージに合わせて肉体が変化していく。


 サイバースキンが髪の色や肌質などを変質させ、骨格も変化する。それに伴う身体の痛みを『NNチップ』で遮断した。ボイスもコンマ2秒で変質する。


潜 入 工 作 員インフィルトレーション――変 装 完 了ディスガイス】!


 企業『イザナミ』の公安部隊『KBケビISHIイシ』。サイバー技術では他企業の警備部隊に劣るが、『AYAKASI』と呼ばれる複合遺伝子バイオノイド技術や『SINOBI』といった隠密潜入部隊を有していることが知られている。


 IZ-00404775。その二つ名は『IZ-00404ひそんざい775ナナコ』。かつて存在しないことを示す数字だった404。そこからそう呼ばれることとなった。ナナコ、あるいは名無子。『存在しないナナコ』。


 彼女――もしかしたら変化する前は男かもしれない――は『SINOBI』所属のクローン体だ。相手企業内に速やかに潜入し、重要人物となり替わる。見た目だけでなくID偽装やその人物に成りすます演技力までもっているため、誰もその入れ替わりに気づかない。気付かれる頃には任務を終えて姿を消している。


 ビル内に潜入し、コジローとトモエの会話を聞いていたナナコ。その内容から二人の関係性と距離を推測する。重要なのは距離感。だます時間は数時間程度でいいのだから、その間バレければいい。多少疑われても、決定打にならなければいいのだ。


「ねえコジロー。似合ってる?」


 ナナコは自分のサイズに調整した服をコジローに見せびらかすようにふるまう。ブルーのジャケットに同色のスカート。太ももを包む黒のタイツ。すべてコジローが買ってきたものだ。


「おー、似合ってるぜ。さすがさすが」

「もう、こういう時はもう少し褒めるのがいい男の条件だよ」

「そうかい。まあ、お前におべっか使う理由はないからな」

「む。だったら次の服に着替えてくるね。次はきちんと褒めてよね」


 会話に含まれるわずかなトゲ。それに気づいたナナコは不自然じゃない程度に一歩引いた。ここで背を向けて逃げるのは不自然だ。理由を作って一度仕切り直さないと。バレてはいないはず。


「ああ、うまく化けたって褒めてやるよ」


 膨れ上がる戦意は一瞬。コジローは腰のベルトに着けてあったフォトンブレードを抜き、一足でナナコとの距離を詰めた。近接特化の骨董品。それを持っていることは先の戦闘で知っていたが、この踏み込みと動き、何よりも判断力は異常すぎる。ナナコは動くことすらできずに光の剣を首に押し当てられた状態で地面に組み伏せられた。あと少し光が迫れば、ナナコの首は真っ二つだ。


<ID読み取れません。IDジャマーを展開しています>


 相手の身元を調べようとするツバメだが、相手の方が市民レベルが高いため、看破できない。ID読み取りも治安維持組織にのみ使用を許されるジャマーによりできないでいた。Ne-00000042の権限があれば強引に知れただろうが。


「トモエを狙ったか。ジャマーがあるってことは治安組織だな。ってことはファミリーの残党ってわけじゃなさそうだな。確かにオレステの部下にしちゃ、やり口が陰険すぎる」

「…………」


 コジローの問いかけに沈黙を貫くナナコ。元から答えると思ってはいなかったコジローはとどめを刺そうとして、


「あらやだわ。ワタシの家で暴れないでよ。大事な骨董品が汚れちゃうわ」

「家主がそういうんで流血沙汰はやめておくぜ。問答している余裕もなさそうだしな」


 コジローはフォトンブレードの出力を押さえて、光の量を減らす。刀身の先からわずかに発光する程度の刃にとどめ、それを相手の背中に押し当てる。神経を通した刺激が脳に届き、相手の意識を奪った。


「スタンモードなんか初めて使ったけど、これでいいのか?」

<問題ありません。対象の脈拍および呼吸リズム正常。『NNチップ』の自己保存モード確認。約4時間はこのままです>

「念のために縛っておくわよ。骨格を変化させても解けない縛り方でね」

「そっちは任せたぜ」


 拘束用の電子枷を用意するニコサン。その拘束が完了するのを見届けるよりも早く、コジローは動いていた。『NNチップ』を通して地下にある車を起動させる。『NNチップ』からの信号を受け取ったコジローの車は、エレベーターから降りたコジローを迎えるようにそこまで移動し、扉を開ける。


「トモエの場所は?」

<現在N44E32方向に向かっています。トモエのデバイスからの映像から、車両は『ベイカー221B』。車両IDはジャマーにより判別不能>

「飛行車両まで用意するとは徹底した誘拐だな。だが、トモエのすまほのカメラから位置が分かるなんて想像もしなかったろうぜ」


 ――コジローがナナコの変装に気づいたのは、スマホからの映像だ。同じクローンIDなのでそれを管理している『NNチップ』のナビゲーションシステムのツバメはカメラアイの情報も管理している。


「もう少し早く教えてくれよな、相棒」

<カシハラトモエよりNe-00339546への情報遮断の命令が出ていました。第一義に従い、ID使用者の命令を最優先としただけです>

「俺も同じ使用者なんだけどな」

<同一権限を持つ場合、同権限者による議決により優先順位が設定されます。今回はID使用者の身体状況変化から緊急事態と判断したにすぎません>


 要約すると『プライバシー保護と言われてたから誘拐した瞬間には教えなかったけど、麻酔状態だったり屋根裏運ばれる映像が写されたりしたんで、コレヤバって感じで教えました』と言うことである。


「オッケー、トモエの無事を第一義に設定。取り返すぜ」

<最善策は『重装機械兵ホプリテス』への通報です>

「だめだ。トモエの存在を公にするのは危険すぎる」

<了解。追跡開始します。カシハラトモエのカメラアイの情報を基に、目的地を推測。移動速度から計算し、3時間を要します>

「法定速度を守って運転すれば、だろ? 運転、自動から手動に変更。かっ飛ばすぜ!」


 コジローはハンドルを手にして、アクセルを踏む。電子表示板のスピードメーターが一気に跳ね上がり、赤く光りだす。


<警告。法定速度を超えています。時速20キロ以上の速度違反は3000クレジットの罰金となります>

「あいにくだが、まだまだ増えるぜ」


 加速するコジローの乗る車。無音で加速する電子自動車はまさに走る凶器。空路がメインとなる天蓋の道路は空いており、止められることなくコジローの車は進んでいく。クラクションを鳴らしながら、まっすぐに誘拐した車が移動している方に進んでいく。


「トモエの状態は確認できるか?」

<視覚情報と聴覚情報から推測するに、半覚醒状態で寝かされています。数名の男性型クローン体と会話を行っている模様>

「聴覚情報だけ伝達してくれ」

<了解。聴覚情報繋ぎます>


 コジローの耳に、トモエのスマホを通じて『ベイカー221B』内の会話が聞こえてくる。


「……なんの、事かしら?」


 白衣の男の言葉に、何も知らないとばかりの声を出すトモエ。少しずつ、声の針と調子が戻ってきていた。


「とぼけなくてもいい。キミが天蓋で作られたクローンではないことは知らされている。外部から来たと仮定して、どうやって『五重構造隔壁ペンタゴン』を抜けてきたのかはわからないがそれはどうでもいい」


 五重構造隔壁ペンタゴン。天蓋を包み込む隔壁である。この隔壁を突破できる物質はない。宇宙線すら通さない多重構造の壁だ。トモエは知る由もないが、なんとなく厚い壁なんだなと言うことは理解できた。


「問題となっているのが、キミが企業のバランスを崩しかねない存在だということだよ」

「で、自分達で、独占しようって……? やってることは、あのハゲと同じ、じゃない……子供を延々と産ませるつもりなんでしょ……?」


 少しずつしびれが抜けてきたトモエは、怒りもあってろれつが戻ってくる。指先は未だに動けないが動けたとしても、トモエの技量では周囲のクローンをなぎ倒すことはできない。変な動きをすれば押さえられて、また麻酔をかけられるだろう。


「必要とあらばそうさせてもらう。もっとも資料を確認するに生産効率は企業が持つクローン生産力に比べてはるかに劣る。専用の機械を作り出すにしてもその費用対効果を満たせるとは限らない」

「専用の機械って……その、そういうヤツ……?」


 トモエの脳内で機械に拘束されて、いろいろな管をつけられて子供を生まされるサイクルを過ごし自分を想像した。それなんて薄い本。だめだめとその妄想を振り払う。そんなの真っ平御免だ。


「キミが企業のバランスを崩すのは生産能力ではない。有性生殖可能な女性型から発せられる特殊なホルモンだ」

「ホル、モン……?」


 お肉のこと?


 と疑問に思うトモエだが、すぐに体内で分泌される物質であることに思い至った。体内の各器官で生成・分泌され、その働きによって様々な作用を生み出す物質だ。


 トモエは学校では生物を学んでいたから、いくつかのホルモンは聞いたことがあった。血中のカルシウム濃度を上げたり下げたりするモノや、筋肉や骨を成長させるホルモン、そして――


「キミの子宮内で生成される高濃度のエストロゲン。この嗅覚刺激によりバイオノイドに不調が生じることが分かっている」


 卵胞ホルモンエストロゲン。卵巣や胎盤などで作られるホルモンで、その分泌により乳腺の発達や卵巣の排卵制御等のに作用している。男性にも存在するが、その作用と分泌量の差から女性ホルモンとも呼ばれている。事、思春期の女性は分泌量が多くなるという。


 オレステとの戦いの際、嗅覚特化のイヌ型バイオノイドがトモエに従う行動をとった。アルバファミリーの命令を無視し、トモエの体に寄り添ったり抱き着いたりしていた。あれはそう言うことだったのか。


 納得すると同時に、トモエは顔を赤らめる。内分泌されるはずのエストロゲンの匂いを嗅げる状況と言うのは……。


「尿に含まれる高濃度のエストロゲン。この放出によりバイオノイドの規律を乱されれば企業の信頼は大きく落ちることになる。この秘密を他企業に知られる前に隠蔽しなくては――」

「にゃああああああああああああ! ちょびっとだけ! ちょびっとだけだもん!」


 体を動かせれば盛大に顔を覆ってのたうち回っていただろう。あの時、スカートの中が大変なことになっていたなんて、誰にも言えないし知られたくない。コジローにだって言わなかったんだし!


「いっそ殺して! わああああああああん!」

「……いや、さすがにそこまでするつもりは」


 羞恥のあまりに自暴自棄になるトモエを、なんでそこまで精神が乱れるのかわからないという顔をする白衣の男であった。

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