いい乙女には秘密がつきものだものね

 ニコサン――Pe-0040サン0。『ペレ』産のクローンだが、肉体部分は脳みそだけ。脳を専用の容器に浸した培養槽に入れ、さらにその培養槽を自動で動けるように機械化した存在だ。


脳培養槽 タンクと呼ばれる手術です。もっとも通常であれば培養槽は厳重に保管されるのが普通で、Pe-00402530のように稼働機器をつけるクローン体は稀です>


 とはツバメの説明だ。


「つまりこのドラム缶……ロボットの中に脳みそが入ってるのね」

「そうよ、トモエちゃん! 乙女の秘密、見たいかしら? コジローちゃんにも見せたことない場所だけど、アナタになら見せてあげてもいいわよ!」

「いえ、結構です」


 ハッチを開けて中を見せようとするニコサンを、丁重に押しとどめるトモエ。


「っていうか、乙女なの? 女性なの?」

「ふふふ。ヒミツよ。男性型かも知れない女性型かもしれない。でもココロは乙女なの! きゃああああああ! 言っちゃったぁ!」

「あ、はい。秘密ですね」


 声が低いので男性を思わせながらも、口調とハイテンションで乙女と思えなくもない。どちらにせよ肉体は円柱形だ。性別に意味はないのだろう。少なくとも、悪意を持っているわけではなさそうだ。


「ねえ、ニコサンていつもこんな感じなの?」

「まあな。だけど今日は特に機嫌がいいな」

「だってだって! 西暦時代の機械が見れるのよ! これがテンション上がらなくてどうするっていうのよおおおおおおお!」


 古いものが好きな変人、と聞いていたがここまでとは。と言うか人間の形すらしていなかったとは。喉まで出かかった言葉を何とか心にとどめるトモエ。見た目で差別するのは良くないという元の世界で培った倫理観が、ぎりぎりのラインで生きた。


「あ、ごめんなさいね。こんなところで立ち話もなんだし、お部屋に招待するわ。コジローちゃんが来るって聞いたから、しっかりお掃除しておいたわよ」

「そこまで気を使わなくてもいいぜ。俺にとっちゃ、ニコサンの顔が見れただけで十分だ」

「きゃああああああ! 相変わらずの口説き文句! もう昇天しそう!」

「……さりげなくイケメンなセリフ吐くのよね、コジロー。デリカシーないけど」


 そんな会話をしながら、ニコサンに誘導されて階段を上がる。一階は丸々エントランス。二階からは各6部屋のオフィスビル。そんな7階建てビルだ。もっとも部屋には会社が入っているわけではない。


「『機械エリア』……?」


 二階にある看板を読むトモエ。


「そうよ。この階には天蓋暦前の機械類が入っているの。3階は洋服、4階は美術品、5階は書籍! ねえねえ知ってる!? 天蓋暦前は活版印刷って言って紙に情報を書き記してたのよ! 電子情報じゃなく紙! ロマンとおもわない!?」

「あ、はい。そうですね」


 紙媒体と電子書籍の間の時代を生きていたトモエは何とも言えない返事を返す。紙媒体が滅び、電子書籍が当然となった時代からすれば紙の本はそういう扱いなのか。


「コジローちゃんも読めばいいのに! 古典大好きなんでしょ?」

「読みたいけどクレジット足りねぇよ。一冊5000クレジットとか無理無理」

「これでもまけてるのよぉ」

「本がそんなに高いんだ。私の世界じゃ普通にお小遣いで買えたんだけど」


 話を聞くと、本の印刷自体が既に存在しないようだ。技術の発展とともに切り捨てられた文化。便利だから不要だから。技術は取捨選択だ。そして捨てられたモノは時とともに消えていく。それは人類が繰り返してきた事である。


 だが、捨てられたモノに価値を見出す者もいる。不便でもそこに何かを求める者も、いつの時代でもいるのだ。


「もしかして、このビル全部がそういう倉庫なの?」

「そうよ! このビルにあるのはワタシが長年かけて集めた趣味がつまっているの! すごいでしょー!」

「はー。ニコサンてお金持ちだったんだ」

<Pe-00402530の市民ランクは3です。『ペレ』においてサメ型バイオノイドの開発と改良で出世しています。このビルを購入し、企業の仕事もここで行っているようです>

「テレワークってことかな? とにかくすごいのはわかったわ」


 企業で働いてお金持ちで、道楽で昔のモノのコレクターをしている。理解と共にトモエが最初に抱いていたニコサンへの壁は、少しずつ溶けていた。もっとも最大の理由はニコサンの人懐っこい性格だが。


「市民ランク3て、コジローより3つも上じゃない。すごい上の人だと思うけど、敬語とか使わなくていいの?」

「いいのよ。コジローちゃんはコジローちゃんだもん! 別に企業内じゃないし、ランク差で言うことを聞かせるのはワタシの趣味じゃないの」

「プライベートは別、ってことね。羨ましいなぁ、そう割り切れるの」


 スクールカースト。クラス内での順列。学校が終わってもSNSでその序列を振りかざす同級生。そんな生活をしていたトモエはニコサンのさばさばした態度を尊敬していた。


(そう思うと、人間は技術が進んでもあまり成長していないのかな? 結局偉ぶる場所がネットとかに増えただけで。差別するかしないかは結局ヒト次第なんだ)


 時代が進んでリテラシーが進む。だけど差別はなくならない。時代に応じた差別が、必ずどこかで生まれているのだ。差別するかしないかは人次第。学のある大人でも平気で差別的な発言をする人はいる。


「肉体捨てるとね。余計な欲も削げちゃうの。アナタもどうかしら?」

「あ、遠慮します」


 でも理解できないこともある。人柄の尊敬と理解は別だ。


 階段で6階まで登った3人は客間に入る。トモエの第一印象は校長室だ。ソファーと机。そして絵画。額縁内にあるのはトモエも知るゴッホの代表作、星月夜だ。青黒く渦巻く夜空と星々。


「ふふふ。西暦時代の美術品よ。電子画像じゃなく、化学反応を起こした乾性油で作られたモノ。天蓋の外にはこんな光景があるのよ。AI絵画以前のモノで、当時の人類が書いたモノよ」


 芸術品はAIが作る。それが天蓋の文化。人間が絵を描くなど、想像もできないニコサン。それが当たり前なのだと理解する。トモエもそんな未来になるんじゃないかという予想はあったから驚きはしない。それよりも気になることがあった。


 天蓋の外。そこに広がる景色。そこにはそんな光景があると信じられていることだ。トモエが知る本当の空と、星月夜は当然異なる。もしかしたら本当にこの時代の空はこんな感じで歪んでいるのだろうか?


「外に出たことはあるんですか?」

「ないわ。天蓋の外を見ることができるのは市民ランク1と、人類だけ。これは人類が残した外の記録なのよ。ホントかどうかは分からないけど、そう信じられているわ」


 それは違う。トモエはそう呟きそうになって、止める。これは絵画。ゴッホの創作だ。精神病院から外を見て描いた光景で、実際の空とは違う。だけど、言っても信じてもらえないだろう。


(私が知ってることは、この世界では非常識なんだ……)


 トモエは改めてこの世界――時代かもしれない――との壁を感じた。こんなに親しく、こんなにいいヒトなのに。理解が遠く、常識が違う。コジローもニコサンもいいヒトなのに。


「どうした、トモエ?」

「何でもない」

「何でもないって顔じゃないぜ。言いにくいこともあるだろうけど、困ったことがあったら相談に乗るからな」


 相談。


 だけど相談する相手と常識が異なるのなら、相談の意味があるだろうか? 相談して伝わるだろうか?


「……なんでもないったら。コジローは気にしすぎ」


 すこし悩んで、そう返すトモエ。確かにコジローは気にしすぎだ。デリカシーないくせに。デリカシーないくせに。


「話は事前に聞いてるけど、西暦時代のモノがあるんですって?」

「ああ、そいつを『NNチップ』みたいにしてほしいんだ。IDは俺のIDと連動で」

「まあまあ。バイオノイドにID使わせるの? トモエちゃんの事が結構お気に入りなのね! コジローちゃんバイオノイドに興味がないと思ってたのに、急にそこまでするなんて。妬けちゃうわ!」

「そんなに珍しい事なの?」

「そりゃそうよ! 市民IDは本人その者よ。個人情報もクレジットも施設使用許可も全部賄えるんだから! コジローちゃんができることが全部できちゃうのよ。貴方が何かしても全部コジローちゃんの責任になるから気を付けてね!」


 仮にトモエが何かの犯罪を犯して、ID使用履歴が残っていたとする。そうなるとその場にいたのはトモエではなくコジローと言うことになるのだ。指紋や血痕を残すようなもので、誰かの証言よりも強い証拠となる。


「それでそれで! その機械見せてくれないかしら? 保存状態を見ないとイケるかどうかわからないわ。西暦時代の品物は劣化が激しいと修復のための部品が必要になるのよ」

「あ、これです」

「―――――え?」


 これまでハイテンションでしゃべっていたニコサンの言葉が止まる。トモエのスマホを慎重にアームでつかみ、カメラのランプが何度か明滅し何かのサーチを行う。その後、これまでのテンションとは異なる落ち着いた口調になった。


「すごいわ。劣化がほとんど見られない。これならすぐにできるわ。……でも」

「でも? どうしたんだ、ニコサン」

「保存状態が良すぎるわ。こんなきれいな西暦時代のデバイスは初めて見た。パルプパッケージされたものでもそれなりに劣化しているのに、それもない。使用されている跡はあるけど、その程度よ。

 トモエちゃん。貴方これをどこで手に入れたの?」


 ニコサンの質問に、トモエはどう答えたらいいか悩んでいた。2020年代から異世界転移してきました。そう言うことは可能だ。だけど理解してもらえるか? コジローの時は勢いで叫んだけど、冷静になればこんなこと信じてもらえるはずがない。


 ニコサンの反応を見るに、スマホの価値は高い。それは単にニコサンが骨董品に興味を持っているからなのだろうが、それは要するに希少であるということだ。それはスマホやそれを持つ自分が、この世界において異物であるということだ。


 トモエの脳裏に、先ほどの銃声が再起される。命を狙われている。その理由が自分がこの世界の人間にはない希少な生殖細胞をもっているからだ。この世界の人間は容赦なく命を奪ってくる。脳を破壊しても、子宮と生殖細胞があればいいのだから。


 それと同じだ。今は友好的に話をしてくれるニコサンが、トモエの真実を知った時に同じ態度をとってくれるだろうか? 価値ある存在を前に、優しくしてくれるだろうか? 自分の命に価値はない。あるのは部品。2020年にはあって当然の人権や生命倫理は、ここにはないのだから。


 実際に葛藤したのは1秒もないのだろう。だけどトモエは長時間呼吸を止めて、息がつまるような思いだった。


「あら、ごめんなさい。いい乙女には秘密がつきものだものね」


 トモエの心中を察したのか、はたまた会話を止めないためか。ニコサンはそう言って問いを引っ込めた。トモエはどこかほっとしたような、それでいてどこか辛そうな溜息を吐く。秘密を守れた幸運と、孤独を感じる不運が混じった吐息。


「すぐに取り掛かるわ。ちょっと待っててね」


 ニコサンの優しい声が、トモエには逆に重かった。

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