……なにそのエロいシチュ

 天蓋――5大企業により生産されるクローン体に肉親と呼べる存在はいない。


 企業によって生み出されたクローン体はかつての人類の遺伝子をベースとして試験管内で受精し、そして培養液内で胎児となる。その後成長促進剤と心電パルスによる筋肉刺激で成体――肉体年齢15歳になるまで約3か月かかる。その後に市民IDをもらって企業の為に働き始めることになる。


 強いて言うならば生み出した企業こそ親だが、そこに対する感情はない。企業に忠義を誓うクローン体もいるし、無関心なクローン体もいる。オレステのように反企業的な思想を抱く者もいるのだ。企業はそれを多様性として認めていた。――企業規定に大きく逸脱しない限りは。


 そしてクローン体は生まれた時から脳内に『NNチップ』を植え付けられると同時に、生殖細胞――つまり精巣と卵巣に施術が行われる。生殖細胞を作る精原細胞と卵祖細胞に人為的に異常を起こし、次世代を作ることができなくしていた。精子と卵子自体は生成できるが、受精しても妊娠できなくなる。


 有り体に言えば、クローン体は性行為自体はできるが妊娠することができないのだ。性行為による快楽などは得られるが、それだけだ。そのため『天蓋』における性行為自体はストレス解消の一環でしかない。


 クローン体は子供を産めず、寿命が来たら次のIDを持つクローン体に仕事を渡して役目を終えるのだ。もっともランク3以下の市民は、オレステのように寿命を前にして死ぬものがほとんどだが。


 子供が埋めるということはどういうことか。それは企業にしかできない生命創造を行えるということだ。それは5大企業の立場を揺るがしかねない。天蓋を支えるのはクローン体の労働で、その労働力を企業に頼らず生産できるのだ。


 子供を作ることが可能。それだけで新たな勢力として台頭できる。それは天蓋において頂上に立つのに等しい。反企業組織とは言っても、実情は企業に属せない性質のクローンを囲うための受け皿だ。真の意味で企業から逃れるには、『国』に下るか企業に対抗できるの力を得るしかない。出産できる卵巣は、その力となりえるのだ。


 まあ、実際は――


「一人産むのに280日? しかも成長促進剤は自前?」

<成長促進剤無しで一般クローン体と同等の身体まで成長するとなると、さらに2000日必要です。その間、養分などの摂取は必要となります。

 そもそもの問題として、卵子に妊娠させるための精子を持つ男性体がいません。対象の卵子に相応する染色体数を持つ精子を持つ男性体は――これ以上の情報を得るには市民ランク1以上が必要になります。Ne-00339546の市民ランクは2です。高位情報習得罪になりますが検索しますか?>

「若旦那でも検索できない情報かよ。パスパス! とにかく無理なんだな」


 市民ランク2の権限を使って『卵巣』を検索し、子供とはどういうことかを調べたコジローはその非効率的な結果にげんなりした。ナビゲーションシステムの追加情報を聞き、ため息をつく。企業に対抗するには明らかに生産力が足りない。


「オレステはこのこと知ってたのかね?」

<この情報は市民ランク3以上の権限がなければ検索できません。Ne-002000310の市民ランクは4。知っていた可能性は0%以下>

「知ってりゃホテル襲撃してまで奪いに来やしないか。大方、新たな勢力として台頭するつもりだったんだろうけど、ご愁傷さまだぜ。散々踊って最後はこんなオチとはね」


 言葉通りにな、とすでに事切れたオレステの方を見るコジロー。最後の最後まで生にしがみつき、トモエの価値について熱く語っていた。やれ子供を作るために薬漬けにするとか延々と犯し続けるだとか。しかしそれが無意味だと知ったらどんな顔をしただろうか。


「だがまあ、生殖細胞未処理? 出荷時オペのミスとかあるとおもうか?」

<ありえません。43のチェックを全て潜り抜けるのは不可能です。社会的権限を使って一部をキャンセルできたとしても、すべてのチェックを無効化できるわけではありません>

「だよなあ。どの企業産のクローンかわからないけど、そのミスを帳消しにしたいから企業は回収したいのか?」

<警告。過分な検索は身を滅ぼします>

「若旦那に逆らうつもりはないよ」


 分からない部分が多すぎる。事態は落ち着いたが、理由が分からない事ばかりだ。 しかし『NNチップ』で検索してもこれ以上情報は手に入らないだろう。オレステはすでに亡く、事情を知っていそうなのは若旦那だが都合の悪いことははぐらかされるのは目に見えている。


「となると、こいつに話を聞くしかないか」


 ぐったりしているトモエに視線を向ける。軽く揺すると意識を取り戻したのか、うっすらと目を開けた。肉体的疲労よりも精神的な疲労が濃い。話を聞くのはしばらくしてからだなと思っていると、


「ひ、人殺し……!」


 トモエの唇が動き、そう言葉を発した。恐怖の色でコジローを見て、その呼吸は荒い。その後で自分を抱くようにしてしばらく間を置き、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「ご……ごめん、なさい。……私の事、た、助けてくれた、のに」


 荒い呼吸を整えながら、弱弱しく謝罪の言葉を告げる。


「あいつらを斬ったのは事実だしな。アンタは悪くない」

「でも……」

「いろいろ話を聞きたいが、そんな状況じゃ無理だろう。ゆっくり休んでから話を聞かせてくれ」


 コジローの言葉にうなずくと、糸が切れたように床にまた意識を失う。コジローはそんなトモエを抱えて、ベッドまで運んだ。『NNチップ』を通してベッドに命令し、トモエの体格に合わせた柔らかさに変化させる。


<スプリング調整完了。温度調整完了。タイマー設定はオフに設定します>

「俺も寝るぜ。ちょっと疲れた。こいつが起きたらアラーム鳴らしてくれ」

<肉体ダメージの治療をお勧めします。右肩部と左大腿の弾丸摘出及び銃創の治療。同ビル内の医療施設を使えば5時間で完了します。市民ランク2の権限を使えば、予約を割り込んで10分後に施術可能です>

「そういや撃たれてたな。痛覚遮断してたから忘れてたぜ。任せるわ相棒」

<了解。アクティブモードに移行します。Ne-00339546の生命活動維持を最優先、IDアンノウンの女性型の保護を第二目的として設定>


 ナビゲーションシステムがコジローの脳をレム睡眠状態に誘導する。そのままビル内のネットワークに接続し、医療施設に申請をする。オレステの突入により怪我人が多く医療ルームは怪我人で飽和していたが、強引に治療施設に予約を入れた。市民ランクの高さ(偽装中)を前面に出したのが効いたようだ。


 そのままコジローの体は手術室に運ばれ、医療ロボによる弾丸摘出及び銃創の治療に移った。細胞の一つをつまむことができる精度の治療アームによる正確な動き。コジロー自身の細胞から作られた移植皮膚による傷の修復。


 同時にトモエの診察も行われた。こちらは極度の疲労と栄養不足と判断されたのか、点滴による栄養摂取と抗うつ剤となった。市民ランクが不明と言うこともあり、バイオノイド同様の『メンテナンス』扱いとなっている。


「さすが『LUCA』。本当に5時間で治しやがった」

<肉体損傷率0.3%を下回りました。意識覚醒確認。アクティブモード解除>


 ベッドで目を覚ましたコジローが撃たれた部位を触りながら告げる。痛みも倦怠感もない。完全な健康体であることを確認する。コジローの体感からすれば1秒に満たない感覚だ。だが『NNチップ』による時計は正確な時間経過を告げていた。


 場所は気を失った時と同じ部屋。そこのベッドに寝かされたようだ。そして隣のベッドにはトモエがいた。コジローより先に目覚めていたのか、気だるそうな表情でこちらを見ている。腕には点滴のチューブが刺されている。


「……起きた?」

「おう、目覚めばっちりだぜ。そっちはどうだ?」

「サイアク。だけど気分は落ち着いたわ。

 改めてだけど、守ってくれてアリガト。貴方が守ってくれなかったら、私撃たれてたんだよね?」

「まあな。その後で内臓回収されてたか胴体だけで生命活動可能な状態にさせられてたかで、延々と受精させるつもりだったみたいだぜ」


 コジローの言葉に何かを想像したのか、顔を赤らめて目を逸らすトモエ。


「……なにそのエロいシチュ」

「エロい。古典ラノベで聞いたことあるぜ。性行為に対するスラングだったか?」

「性、っ――違わないけど! その……まあ、異世界なんだし価値観違うのは仕方ないんだろうけど!?」

「そうそう。その異世界っていうのも古典ラノベで聞いたことあるぜ。トラックにひかれて仮想現実世界に瞬間移動するんだったっけか?」

「違う。……違わないのかな? 

 でも普通、異世界転生って言ったらファンタジー世界か乙女ゲー世界じゃないの。なんでサイバー世界なのよ」


 異世界転生なのか時間跳躍なのかわかんない、とかぶつぶつ言っているトモエ。


<いくつかの単語が理解不能です。精神の不安定は見られますが、電子酒などによる意識混濁の様子は見られません>

「だが嘘言ってるようにも見られないんだよなぁ」

<疑問。虚偽発言をしていないと思う理由は何ですか?>

「カンだよ」

<その言葉の後に女性型からのトラブルが発生した件数が12件あります>

「そういうこともあるさ」


 脳内での会話を打ち切って――ナビゲーションシステムの警告を聞かなかったことにして、ベッドから降りてトモエの方を見る。


「まあなんだ。いろいろ話を聞かせてほしい。アンタ、何者なんだ?」


 コジローの問いかけに、トモエは二度目になる自己紹介をした。


「信じてもらえないかもしれないけど、私は異世界転生してきたただの女子高生、柏原友恵よ」

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