つらい過去

「ごめんなさい……」

「どうして謝るの?」


 今にも消えそうな桐島のか細い声が耳に届く。何度も謝る彼女に、月が身を乗り出して声をかけた。


 俺は林太郎が話している間ずっと、小さく縮こまっている桐島を見て少し気になっていた。


 笑い合う声が明るくなればなるほど、彼女の表情は曇っていった。不安げに掴む腕には爪がぐっと食い込んでいる。


「私にはここにいていい理由なんてないから」

「そんなことない。桐島さんは」

「ないって言ってるでしょ!」


 月の言葉に強く言い返す桐島はすぐに反省したようにハッとして、怯えた顔で俺たちを見た。


 でも月がそんな彼女の震える手をぎゅっと握り、微笑みかける。一瞬戸惑ったように目を泳がせたけれど、ゆっくりと深呼吸してこくりと頷いた。


「前に話したでしょ。この島の都市伝説」


 膝を抱えながら恐る恐る話し出したのは台風の日に停電した夜、彼女が話していたものだ。


「あれは私の話だった」


 思わず、耳を疑うその言葉に俺たちは顔を見合わせごくりと唾をのんだ。


「父親が連続殺人鬼なんて嘘だけど。でも私にはあの人がずっとそんな風に見えてた」


 おもむろに立ち上がった彼女は羽織っていたパーカーを脱ぎ捨て、一枚のキャミソール姿になる。目のやり場に困っていた俺たちの方へゆっくり背を向けたとき、思わず声を失った。


 彼女の背中には大きな火傷の跡と無数の痣が見えた。


「全部あの人がつけた傷。だから私は逃げるようにここへ来た。この島は私のために用意された要塞だったから」


 慌ててパーカーを拾い上げた月に肩からそっとかけられると、桐島は力が抜けたようにその場に座り込んだ。


「母はこの島を持ってる資産家の娘で、世間知らずのお嬢様。父がどんな人かも知らずに家族の反対を押し切って駆け落ちした。でも父は何度も暴力沙汰を起こして少年院に入っているような人で、母の資産が欲しかっただけだった。だから母のお金がなくなると父は構わず暴力をふるった」


 壮絶な過去に絶句し、俺たちは何も言えなくなる。その間、月は桐島のそばに寄り添っていた。


「私が小学生のとき、とうとう父は母を刺して警察に捕まった」

「え……。あ、ごめん」


 熊は驚きのあまり声を漏らすと慌てて口を手で押さえた。


「でも父は刑務所から三年足らずで出てきた。うつ状態だった母を使って刑が軽くなったんだって、後から聞かされた」


 憎しみからか自分の腕を掴む手には力が入り、爪がめり込もうとしていた。


「母も精神科病棟に入ることになって、私はすぐ祖父母の家に引き取られた。でも父は出所してから母にぶつけていた怒りのやりどころを見つけたように私を家に連れ戻して何度も暴力をふるってきた。熱湯をかけられて殺されかけたこともある。背中の跡はそのときにできた」


 桐島が心を閉ざしていた理由を見た気がした。


 警戒心ムキだしで誰とも関わろうとはせず、自ら心にシャッターを下ろし怖い顔で相手を遠ざける。


 今までの行動はすべて幼少期に受けた心の傷からくる防衛本能だったのだろうと察する。これ以上傷つきたくない一心で自分自身を守ろうとする唯一の方法だったのかもしれない。


 怯えたように体を縮こませる彼女の姿が、その時ばかりは小さな女の子のように見える。

 

「どこに行っても見つかる。私は逃げられない。だから私はここに連れてこられた。この島にいれば安全よって。それってここ以外安全じゃないってことでしょ?ここから二度と出られないってことでしょ?監獄に幽閉されたようなもの」


 月は、桐島の震える体をたまらず抱きしめる。

 でもそれ以上どうしたらいいか分からずに、不安げに俺を見た。


「私は多分、みんなの人生を巻き込んだんだ。こんな場所に学校まで作って私を隠そうと……」


「それは違うぞ」


 その時どこからともなく現れたのは主任教諭の朝倉だった。


 一瞬にして学校をさぼってここにいるのを思い出し、熊と共に反射的に立ち上がっていた。


「たく、揃いも揃って。お前らがいないと目立つんだよ」


 しかし、なんだか様子が違った。


「授業さぼって青春か?こんなところで羨ましいな、くそっ」


 ぼそぼそと言いながら砂浜にあぐらをかいて座り、落ちている小さな石を手持ち無沙汰に触りだす。


 唖然として顔を見合わせる俺たちをよそに、朝倉は目を細めて波打ち際に向かって石を投げた。

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