一枚の写真
熊とは気まずい空気が流れたまま一日が経った。
朝も珍しく早く起きてきたが、マリアの用意した食事も食べず先に家を出ていった。
「意地張ってるだけだよ。そのうちケロッと戻ってんだろ」
「ああ」
テーブルで朝食をとっていた俺はそっと肩に手を添えてくる林太郎からそう言葉をかけられる。心配するマリアとは一瞬目があったが、俺は何も言わずに学校へ向かった。
今日も桜井月は休みだ。
いつもなら四人で固まっている席も見知らぬ同級生たちに囲まれる。
対角線上にいる熊と林太郎の背中を見ながら、俺は無心でカチカチとシャーペンを鳴らす。一日は退屈なまま終わっていった。
「よっ」
ひとりで帰ろうとしていたら、校舎の目の前にある噴水で桐島から声をかけられた。
俺は座っている彼女をちらりと見下ろしながら手をあげるだけで通り過ぎようとしたが、じっと見続けてくる視線を感じたまらず引き返す。
「なに」
「まだ……仲直りしてないんだ」
キョロキョロと誰かを探すように言う桐島とは、熊との喧嘩を見られて以来久しぶりに言葉を交わした。
俺は鞄を軽く放り投げ、頭をかきながら噴水の淵に腰掛ける。彼女とはいつものようにひとり分の空間が空いていた。
「どうしたらいいの」
無言が続く中、やっとそう切り出してきた。彼女は俯きながら体を小さく縮こませて、足をぶらぶらさせる。すぐにそれが桜井月のことだと分かったが何も言えなかった。
「あの子、いつもお節介。本当。こっちが何回心に鍵かけてもこじ開けてくる」
突然語り出し不満そうに言うが、ちらりと目を向けたら顔を俯かせ目を泳がせている。そんな彼女が俺にはどこか嬉しそうにも見えた。
「でも初めてだった。月は初めての友達だった」
そして小さな声で囁き、次第に耳が赤くなっていく。
桐島は変わった。きっと桜井月の影響だ。以前よりも心を開くようになったし、感情を表に出すようになった。
なにより人と関わるのを嫌っていた彼女が、こうして自分から他人のために動こうとしている。それは大きな一歩だと感じた。
「月ばっかり傷ついてあの男が平然と過ごせてるなんて許せない」
「分かってる」
実際、俺だってこのままでいいとは思っていない。あの現場に居合わせただけに許せないと思う気持ちは桐島以上に強くあるつもりだ。
「だけど、バラしたらあいつの立場まで危うくなる。そう言って止めてきたのはお前らだろ」
結局そこで行き詰まってしまう。
俺はLINEでのやりとりが証拠にならないだろうかと考えた。あの男の前に突きつけて脅す材料にでもなればいいと。
でもやりとりの相手が自分ではないと言われてしまえばそれまでだし、もし言い寄られていたと主張されれば余計に部が悪くなるのは彼女の方だった。
「言い逃れできないような、決定的な証拠でもあればいいのに」
堂々巡りの会話が行きつくところは同じだ。ふたりの関係を証明できるものがなく壁にぶち当たる。
結局何の力にもなれないまま時間だけが過ぎていった。どうにかしてやりたいとは思いながらも、何もできないもどかしさが俺たちの間に漂っていた。
シャワー浴びながら頭の中には桐島の言葉がもやもやと残っていた。
〝決定的な証拠〟
そんなものがあればいいのにと心底思いながらそれは願望に過ぎず、乾かしたての湿った髪の毛をかき上げてため息をついた。
自分の部屋へと戻る道中、不意に開けっ放しになった向かいの部屋を見た。
なぜか立ち止まり、机の上に置かれた一眼レフが目に止まる。何か引っかかったようにボーッとそれを見つめていた。
「海?なにしてんの」
後ろから林太郎の声が聞こえ、部屋の前で動かない俺を不審な顔で覗き込んでくる。
「なあ、林太郎」
「ん?」
「たしかさ、最初に会ったとき一眼レフ持ってなかったっけ」
そう言いながら、俺はただただ一点を見つめる。
「あー。自宅謹慎くらってたときなら」
「いや、違う。キャンプのとき」
俺はだんだんと込み上げてくるゾワゾワとした何かを感じ、一筋の光を見つけてしまったような気がした。
「ああ、そんなことあったな。俺がサボって写真撮ってたと……」
「やっぱカメラ持ってたよな?」
話も途中に遮る俺は慌てて林太郎の肩を両手で掴む。
一瞬にして記憶が蘇ってきた。
林太郎を見たとき。桜井月が誰かといるのを見たとき。目撃した場面はそれぞれ違うけれど、奇跡的に繋がるかもしれない。
慌ててパソコンに入っているデータを見せてもらう。無我夢中で画面にくいついた。
「なあ、そんなの見てどうすんの」
「もしかしたら、ふたりが密会してたところがお前の写真に写ってるかもしんないんだよ」
「は?見た覚えなんてないけど」
首を傾げる林太郎をよそに俺は必死だった。
被写体はどれも鳥や植物で人が映り込みそうなものはひとつもない。でもどこかにいるはずだと諦めなかった。
あの時、ふたりは木陰で抱き合っていた。
それがもし写真の中にあったならあのふたりの関係を証明できる気がする。
焦る思いがパソコンの前にしがみつかせた。何百枚と撮っていた中から一枚を探し出すなんて至難の技でどうにも目が痛くなる。
でもこれが唯一の希望だと思った。
「なあ、本当にあんのか?」
それから三十分経ってもなかなか見つからず、しょぼつく目を擦りながら腕組みをして背後に立つ林太郎から声をかけられる。しかし返答もせず無心に探し続けた。
「あっ!」
そこで衝撃的なものを目にする。木の奥にぼやけた桜井月の顔が少しだけ映り込んでいたのだ。
「これ。これの別の写真。別の角度」
興奮気味にマウスを叩く俺は、画面に顔を近づける林太郎と目を凝らした。
「あった……」
気が抜けたような声が出る。携帯を取り出しその画面を写真に収めた俺は、思わず机に突っ伏した。
あとは勝負あるのみだ。
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