恋人の証

 いよいよハロウィン当日を三日後に控え、イベント会場となる大ホールの準備も終盤に差し掛かっていた。


「いやあ、すごい。圧巻だね」


 口が開いたまま天井を見上げる佐伯先生は目の前の光景に笑顔を向ける。ホールの中央には最後の仕上げともいうように大きなシャンデリアが飾られていた。


「まさか、こんな大きいものを発注するとは思わなんだ」

「さすがにレンタルっすけどね」


 驚く先生とはあの日以来、何事もなかったかのように話をしている。


 内心、謝られたり心配したような言葉かけられるかとも思ったが、その翌日に学校であったらいつもの調子で軽く声をかけてきてふらっと去っていった。


「ん?」


 じっと見ていたら不思議そうにこちらを振り返られ、慌てて首を振る。あれからウィンドサーフィンの話もしてくることはなかった。


「よし、いい感じ!」


 そんな中、桜井月が満足そうに腕組みをしながら全体の様子を見渡す。もはやイベントの企画は彼女が主体となっていて、業者の設置作業が終わると存在感をもって輝くシャンデリアに拍手を送っていた。


「お気に召したか」

「もう完璧。イメージ通りだよ」


 このシャンデリアひとつでどれだけ悩まされただろうか。


 『美姫と猛獣』の映画に出てくるダンスシーンを何回も繰り返し見させられ、パソコンとカタログの写真をああでもない、こうでもないと見比べながらなかなか決まらなかった一番の難所。むしろ発案者の桐島ですら途中で妥協しそうになっていた。


 だからようやく形になった会場を見るとすでに達成感があふれていた。


「会場の内装は完璧。衣装も無事渡し終えた。料理の注文は林太郎くんと熊くんに任せてあるし、流す音楽は桐島さんが考えてくれてるから……うん。何とか終わりそうだね」


 やることのリストがだんだんと削れていくのを見て、ようやく当日を迎える準備ができてきた。最初はどうなることかと思ったが、意外とてきぱきやってのける彼女のおかげで乗り越えられた気がする。


「あ、そうそう。大事なこと言うの忘れるところだった」


 すると彼女は持っていた大きな紙袋をあさり出し、先端に花のブローチがついたピン止めのようなものをふたつ取り出した。突然渡され、まじまじと見るが何だか分からずに固まる。


「なにこれ」

「ほら、恋人同士だったら目印とかつけてそうだよねって話したの覚えてる?それ使おうと思って」


 記憶を辿りながらそんな話があったかと考えつつ、ひとまず相槌を打ってみる。


「お互いひとつずつ持って女の子は髪飾り、男の子は胸元の穴に通すようにすれば、仮面をしてても自分の相手だってわかる目印になるかと思ったの」


 そう続ける彼女は紙袋から次々にいろいろな種類のピンを見せてきて、いつの間にそんなものまで用意していたのかと驚かされた。


「ほら、ね?こんな感じ」

「すご。全部ペアになってる」

「そりゃそうだよ。違う人と被っちゃったら意味ないもん」

「たしかに」


 途中から色々と凝ったことを考え始めたから丸投げして任せっきりだったけれど、細かい部分まで余念がないところにむしろ感心すらした。


「それでね。一応私が知ってる範囲でカップルは十組くらい。他にどれくらいいるか分からなかったから、とりあえず全員分用意したんだけど」

「全員分?」


 思わず耳を疑い、袋の中身を覗き込む。どおりでパンパンになった紙袋を重たそうに持っているかと思えば、それを聞いて納得する。


 しかし二〇〇人全員が綺麗にカップル成立となるわけもなく、むしろこの三ヶ月たらずで十組できていた方に驚きだ。正直一〇〇組分も用意してどうするのかと呆気にとられる。


「いやいや、最後まで聞いて?あのね、カップルじゃなくても男の子が気になってる女の子をダンスに誘うときに使えたらって思って」


 俺の反応を見て慌ててそう言うが、アメリカ人じゃあるまいしスマートにダンスに誘える日本人がどれほどいると思っているのか。


 しかし大真面目な顔で言う彼女に冗談っぽく言い返すことはできず、何も言えなかった。


「うん、分かってる。言いたいことは分かるんだけど物は試しって言うでしょ?女の子はそういうドキドキイベント、大好物だから」


 言う前から彼女に言いくるめられ俺は紙袋を押し付けられる。今日中に男子生徒の各家に渡してきてくれとのお達しにも仕方なく頷くしかなかった。


「じゃあ私、料理組の様子見てくるね」

「俺は桐島のところいってどんな感じか聞いてくる」


 俺たちは校舎の中で二手に分かれて歩き出した。

 

 ひとりになり憂鬱な袋の中身を覗き込みながら、これから先ほどの説明をして家を回らなければならないのかと若干の恐ろしさを想像し、今から頭が痛くなる。


 イベントの何から何までをやってくれて助かってはいるから文句は言えないのだが、厄介な役回りを押し付けられた気がして気分は袋の中身よりも重かった。



 音楽室で作業をしているという桐島の元へ向かっていると、遠くから聞き覚えのある歌声が聴こえてくる。透き通るような声はテトラポットで歌っていた彼女と同じ声で一緒にピアノの音がした。


 窓の端から覗き込むと大きなグランドピアノに座っている彼女が見える。


 聴こえてくるのは讃美歌のアメイジング・グレース。流ちょうな英語が心地よく耳に入ってきてその場で思わず聞き入ってしまう。


 そのまま立ち聞きしていたら途中でぷっつり途切れてしまった歌。気になってもう一度中を覗くと窓ガラス越しに彼女と目が合い、仕方なく扉を開けて入っていった。


「盗み聞き」

「聞こえてきただけ」


 床に散らばったCDは彼女が厳選して選んだ痕跡が残っている。音楽には特に疎くどれがどれだか分からないが、それらを拾い上げながら近くに落ちているセットリストを見てひとまず決まったのだと安心した。


「ピアノ弾けるんだ」


 今日の任務を終えた桐島をバス停まで送っている最中、世間話のつもりで声をかけた。すると何が気に食わなかったのか急に睨みつけられ思わず眉間にしわが寄る。


「お前の地雷はよくわからん」

「別に地雷じゃない」


 ムキになって言い返す彼女にびくっと反応する。


「ただ、自分のこと話すのが苦手……」

 

 そして俯きながら付け加えるように言う姿を横目にふぅっと息をついた。


「俺も同じようなもんらしい。似てるって言われたし」

「私と?」


 桜井月の言葉を思い出し頭を掻く。はたから見ると自分もこう見えているのかと、正直絡みづらさを感じる桐島を見て少し反省した。


 バス停で時刻表を見ると次の時間まではまだ十分程あり、何となくベンチに腰掛けた。そこへ少し間をあけて桐島が座り、なんとなく違和感が漂う。


「夢ってどうやったら見つかるの」


 突然口を開いた桐島は、誰もいないバス停で珍しく自分から声をかけてきた。しかしそんな難題を問いかけられ回答に困る。


「ないの?将来歌手になりたいとか、音楽関係の仕事に就きたいとか」

「将来とか考えたことなかった。分かんない。だからオリンピック目指してたとかそういうの不思議。なんで?どうしたらこれが夢だって分かるの?」


 溢れ出すように怒涛の疑問が湧いて出てきて、思わず圧倒される。


 そのあとすぐ来てしまったバスを見て、迷った末に乗り込む彼女と窓越しに目が合った。


 出発するバスを見送りながら、難解な宿題を出された気分でもやもやする。ひとり取り残された俺は静かに帰路についた。

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