灯台のふたり
「わあ、凄い!」
桜井月に連れられてきたのは岬にある真っ白な灯台の上だった。
長く続く螺旋階段を上っていくと島全体が見渡せるようになっていて、雄大な景色が広がっていた。
「ここ上れたんだな」
「〝ぽろにあん〟のおばさんにお勧めだよって聞いて一回来てみたかったんだ」
桜井月は手すりに寄りかかり遠い水平線を見つめる。俺はその後ろで塔の壁にもたれながら彼女越しに同じ景色を見た。
「ねえ、海くんって彼女いる?」
それはあまりにも唐突で一瞬戸惑った。
「いないけど」
「えー、いると思ってた。本土でかわいい彼女が待ってますみたいな」
しかし返ってきたセリフにはまるで感情がこもっていない。背中を向けたまま上の空な彼女を見て、わざわざこんなところに連れてきたのもなにか理由があるように思えた。
「聞いてほしいなら聞くけど」
「え」
「違った?」
驚いたように振り返る彼女は俺の顔を見るなりしゃがみ込む。
きっと俺に恋人がいるかなど、さして重要ではなかったはずだ。ただ、その手の話を漂わせるように持ち出したかっただけだろう。
言い出しずらそうに口ごもる姿を見下ろしながら、俺も合わせて地面にあぐらをかく。
「実は、彼氏がいまして」
すると意を決してように始まった告白に思わずドキッとした。分かってはいたはずなのにそれでも改めて聞くと身構えてしまう。
「中学の時にね、家庭教師だった人なの」
「へえ」
平静を装いながらも改めて点と点が繋がり始め、内心動揺している。
二年前までアルバイトをしていたとなれば、おそらく星野先生くらいの年齢だろう。やはり相手はあの人で間違いない気がする。
「これね、誕生日にくれたんだ」
そう言って嬉しそうに見せてくる桜井月の腕には、小さな三日月のチャームが下がるシルバーのブレスレットがついている。
「それ、いつもつけてるよな」
「私のおまもりなの」
幸せそうに顔を緩ませるのを見たら、その人を心底想っているのだと伝わってきた。
それから彼女はその恋人との馴れ初めを話した。でも次第に表情が曇り始め、ため息が漏れ出す。
「最近全然上手くいってないんだ。やっぱり迷惑だったのかな」
そして、終いにはぼそぼそと独り言を言うようになった。
話を聞きながら、正直俺になにかアドバイスができる話とは思えなかった。元々水泳しかしてこなかったし、恋人なんていてもいなくてもどちらでもいいと思っているタイプだ。
それに桜井月がどんな言葉を欲して話しきたのかもわからない。相手が星野先生だと打ち明けてこない辺りそこには触れてほしくないんだろうと思ったら、もう言葉は見つからなかった。
「それ、話す相手間違ってる。桐島にでも相談しろ」
適当にそう言いながら立ち上がる。
後ろで何か言っていたが構わずフラフラと歩きながら、なんとなく辺りの景色を見渡していた。すると、すぐ真下の辺りをタイミング良く星野先生が歩いているのを見つけた。
「だけど、やっぱり同性の人に聞いた方が彼の気持ちは分かるかなって」
「それより、あれ……」
俺は手すりに腕をつき、先生のいる方向を指差す。彼女がどんな反応をするのか見たいとそれくらいの気持ちで面白半分に口にした。
しかしその直後、隣にはもうひとり女の人がいるのが分かり不意に見てはいけないものを見てしまった。
「なあに?」
後ろからは固まって立ち尽くす俺の元へ駆け寄ってくる声が迫っていて、瞬間的にまずいと感じた。
このままでは彼女がその場面を目撃しかねない。そう思ったらとっさに振り返っていて、彼女の腕を引き寄せている自分がいた。
「え、なに?」
星野先生は物陰に隠れ、その女とキスをしていた。
「海くん?」
俺の胸の中で状況が分からずにいる彼女が何度も声を出すが、俺は黙ったままただただそのふたりが早くいなくなることを願った。
灯台の辺りは滅多に来る人がいないお忍びスポット。いつも閑散としていて、この辺りまで来ても大抵レストラン止まりだ。
俺もこの灯台が上れると知らなければ歩いてここまで来ることはなかっただろう。
「あの、私また転びそうだったかな。もう大丈夫……」
「動くな」
俺は離れそうになる桜井月を無理やり抱き寄せた。
「いや、そう言われましても」
「虫」
「え?」
「頭についてる変な虫取れなくなるぞ」
慌てて思いついた設定に桜井月は「ひっ」と声を上げて固まる。俺はそんな彼女を守るように腕にギュッと力を込めながら、顔だけをあのふたりの方へと向けた。
ようやく女の顔が見えた。相手は養護教諭の
まだ大学を卒業したばかりの若い先生で、ふわふわとした見た目が可愛いと編入初日から男子生徒の間で噂になっていた。星野先生とは年も近く、よく校内で一緒にいるところを目撃したことがある。
それがまさかこんな事になっているとは思いもしなかった。
きっと誰かに見られているなんて思ってもいないだろう。周りを気にしながらも手を繋いで指を絡ませたり、時折楽しそうに笑い合う。
そんな仲睦まじい様子を桜井月に見せられるはずもなく、抱き寄せたこの手を離すわけにはいかなかった。
「海くん取れた?」
「まだ」
「あの、そろそろこの体勢恥ずかしいんだけど」
そう言いながら必死に動く小さな体。
俺は何をしているんだと思いながら、どうして余計なものばかり見てしまうのかと頭を抱えた。
しばらくしてバレないようにと時間差で帰っていくふたりの姿を見る。星野先生がいなくなるのを見届けながら、ゆっくり彼女を解き放った。
「赤……」
すると苦しそうにしながら出てきた顔があまりにも真っ赤で、急に笑いが込み上げる。
「ひどい!そりゃ恥ずかしいでしょ。あんなずっと、そりゃ、もう!」
怒っているのか照れているのか分からない彼女がなんだか面白かった。パタパタと手で仰ぎながらさっさと階段を降りていく姿を、気づけば微笑んで見送っていた。
手すりに寄りかかる俺はひとりになった途端、顔からスッと表情を消す。星野先生の遠い背中が横目に見え、ボーッと消えていくまで見続けていた。
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