消えない傷跡__桜井月side

「どうして私まで……」

「だって帰れないでしょ?ね?」


 倒木の影響で道が通れるようになるまでは相当な時間がかかると分かり、私は桐島さんと共に海くんたちの家に来ていた。


 あのあと「うちで待てば?」と言ってくれた海くんに甘え、歩いて数分ほどで帰れる彼らの家へお邪魔することにした。


 でもひとりではどこか心細くその場にいた桐島さんを半ば強引に連れてきたのだけれど、とにかく不機嫌な彼女はもう何度もため息をついていた。


「ただいまー」


 家に帰るなり熊くんがそう叫ぶが、しんと静まる室内に人のいる気配はなかった。


「マリアなんでいないんだろ」


 スニーカーと靴下を脱ぎ捨て熊くんが家中をくまなく探すが、誰もいないのを確認しこちらを見て首を傾げる。


「おい、これ」


 すると海くんが机の上に置かれた一枚のメモを見つけた。


【港を手伝ってきます。頑張って早く帰るつもりだけど。林太郎、またご飯作ってくれてもいいのよ】


 顔を寄せ合いそのメモを見ていたら私は最後の一文にくすっと笑いそうになる。


「見るなっ」


 みんなの視線が集中し彼は照れたように視線をそらした。


 林太郎くんがこの前の休みに魚をさばいて料理まで作ったという驚きの噂は熊くんから聞いていた。だから気になってはいたけれど、お茶目な彼女の書き置きを見たら余計に興味が湧いてきた。


「出ないや」


 おもむろに携帯を耳に当てどこかへ電話する海くんだったけれど、マリアさんにも港にも繋がらないらしく一抹の不安がよぎる。


 港は寸断されている道の向こう側で私たちの家の近くにある。おそらくまだ港にいるマリアさんは戻ってくる手段をなくしているのだろうと、その場にいる誰もが察した。


「よし、これでもやって待とうぜ」


 そんな心配を募らせる空気の中、熊くんの口から底抜けに明るい声が飛んできた。


「大丈夫だって!そのうち復旧したらふらっと帰ってくるから」


 そう言いながらリビングの机にトランプを広げ始め、早く来いと言わんばかりに手招きをする。私たちは顔を見合わせながら、自然と彼の元へじわじわと集まっていった。


 しかしそれから二時間。マリアさんから連絡が入ることはなかった。


「きゃっ」


 不吉なことは続き、トランプをしていると突然家中の電気が消えた。日が暮れて外の明かりもなく辺りは一変、暗闇と化す。


 スイッチを押しても反応せず、どうやら停電したようだ。


「どっかに懐中電灯があったはずだから。ちょっと探してくる」


 携帯の明かりだけを頼りに真っ先に動き出した海くん。熊くんも慌てて立ち上がりその後を追った。


 残った私たちは異色の三人で、当たり前のように気まずい空気と無言が続く。そのうち暗闇に恐怖心がでてきた私は、手探りにそっと桐島さんの服を見つけ袖をぎゅっと掴んでいた。


 しばらくして部屋には灯りがともる。


 懐中電灯を持って帰ってきた彼らだったが、なぜか至る所にキャンドルを並べ始めた。


「すげえ匂い」

「多分これアロマキャンドルだわ。ロウソク探してたんだけどこれしかなかった、我慢して」


 構わず火をつける海くんだったが、ソファに座る林太郎くんがぴくぴくと顔を引きつらせ、私の鼻にもつんと突き刺すような甘ったるい香りが届く。


 だんだんと充満する香り。次第にみんなが顔を歪め始め、それぞれが一気にあらゆる窓へ飛びついた。


 窓を開け外の空気を吸うと微かに降り続いている雨が顔に当たる。振り返った私たちは、自分たちの滑稽な姿をお互いで確認し合いなんだか可笑しくなってきた。


「なにやってんだよ」


 熊くんがお腹を抱えて笑い出したのを皮切りにつられるように笑いが伝染する。


「しかも桐島まで」


 何より可笑しかったのは、今までずっと冷静だった彼女までもが必死になって窓から首を突っ込んでいたからだ。


 彼女は顔を赤らめながら恥ずかしそうにまた窓の外へと首を出すが、肩が小刻みに震えていて笑いを堪えているように見えた。



 私は桐島さんとともに部屋着を借りて着替えることにした。大きめのTシャツとダボダボのスウェットパンツを持ち、ふたりで熊くんの部屋を使う。


 でもふたりっきりになったら急に緊張し始めた。


 同じ家に住んでいてもなかなか部屋から出てこない彼女とは関わることもできない。まともに話すのは洞穴で遭難しかけたとき以来かもしれない。


 不意に「死にたかった」と言った彼女の言葉が蘇る。あの場面でこぼした心の底から出たような声には内心胸を締めつけられていた。


「あの、桐島さ……」


 背を向けながら着替えていた私は不意に後ろを向いて声をかける。そのとき、ちょうど桐島さんが服を着るところで露出した背中が見えてしまった。


 それは真っ白な肌。

 しかし、私はその光景に衝撃を受ける。


「大したことないから」

「え?」

「見たんでしょ。大したことないから騒がないで」


 静かに服を着る彼女が振り返りながら平然と言うが、どうしたらいいか分からずに固まってしまう。


 私はその背中に消えない傷跡を見た。


 痛々しく残った火傷の跡が、肩から腰にかけて大きく広がっていた。


「どうして……」

「火傷くらい仕方ないでしょ」

「いや、でも」


 そう言いかけて口をつぐむ。何も考えず土足で踏み込んでいい問題じゃない気がして、ギリギリでとどまった。


 なぜなら彼女の背中にあったのは火傷の跡だけではない。脇腹や腕、背中の至る所にまでいくつもの青あざも見られたからだ。


「先に行く」


 桐島さんは着替え終わると先に部屋を出ていってしまい、残された私は頭が真っ白になる。去り際に不安げな表情で目を泳がせているのが見え、余計に頭が混乱した。


 私の頭は〝どうして〟という感情で埋め尽くされる。


 今まで肌を露出してこなかった理由を察したところで、その姿を私に見られても動じなかった彼女の態度が腑に落ちなかった。


 私にだって隠そうと思えば隠せたはず。


 でもそうしなかったのはわざとだったのか。もしかしたら、勇気を振り絞って私にその痛みを見せてくれたのか。


 そう思ったら尚更言葉が見つからなくなってしまう。


 もっと桐島さんの声が聞きたいと言ったから心を開いてくれたのかもしれないのに、私の方が彼女の思いを受け止める準備が足りていなかった。

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