台風接近
「本日深夜に通過すると予報されている台風十号は、急速に勢力をあげて島の南東から接近する模様です。学校内にいる生徒たちは下校時間に十分注意して帰宅してください」
朝一番、始業前から何度も流れる校内アナウンス。
今までにも台風接近の放送が入ったことはあったけれど、これほど繰り返し注意喚起されたのは初めてだ。不安を煽るアナウンスはそれほどの危険が迫っていることを予測させた。
「前回みたいに、結局進路それましたってなるんじゃないのかな」
数学の教科書を広げながら半身後ろを向いて話す熊は、ガタガタと風に揺れる窓ガラスの外をぼんやり見つめていた。
そのうち教室の扉が開いて数学教師が入ってくる。〝ぱぴぷぺぽ〟の半濁音を異常に破裂させて喋る癖があり、みんな陰で噂する人物だ。
「授業始めます。今日は教育実習できている星野先生にも参加いただきますのでよろしく」
今日は珍しく若い男が入ってきて、スーツ姿で緊張気味に立っている。
「星野誠です。皆さん宜しくお願いします」
無駄に爽やかな見た目をしているその男はどちらかと言えばベビーフェイスで、前面には出していないが〝自分がかっこいいと思っているタイプ〟といったところだろうか。
何人か教育実習生として参加しているとは聞いていて、キャンプの時にも明らかに若い大人の姿が何人かあったのは覚えている。
その中でも無駄に爽やかな笑顔を見せるやつだと少し鼻についていた。
授業中、後ろに立つ星野先生は俺たちが問題を解くたびに手元を覗いて見て回った。たまに女生徒が質問するとしゃがみ込み熱心に教えていた。
「年上ってやっぱりかっこよく見えんのかなあ」
女生徒に囲まれる先生を羨ましそうに見る熊が俺の机に突っ伏して急にそんなことをぼやき始める。
「どうした」
「いや、月もあの輪の中に入っちゃうのかなって思ったら悲しくなった」
ちょうど桜井月が取っていない授業であからさまにつまらなそうな顔をする。でも彼女ならあの輪に入りそうなものだと感じたが、またそんなことを言うと騒ぎ出しそうで黙っておいた。
「どう?ここは大丈夫そうかな?」
噂をすればというべきか、今度は俺たちの元へやって来る。そしてまたもやニカッと白い歯を見せて笑う姿を俺はじっと見つめ続けた。
不思議そうにする星野先生は苦笑いに表情を変えるが、俺の隣へ少し視線を変えた瞬間ぎょっとしてすぐにいなくなった。
隣には林太郎がいる。
恰好や髪形を含めまだ不良感があるのは否めないが、以前よりまともになり断然話しかけやすくなっている。
しかしあの先生の表情は何だったのだろうか。目を合わせないように、関わらないようにと避ける感じではない。驚いた顔で少し怯えているように見えた。
「ん?」
じっと見つめていたらさすがに気になったようで、林太郎は怪訝な表情でこちらを見てくる。
「なあ、あの先生となんかあった?」
こっそり聞いてみると、一瞬考えるような素振りを見せたがすぐに手元のノートに視線を戻した。
「いや、別に」
「ふーん」
林太郎の様子になんとなく引っかかった俺は、また星野先生に目を向けてもやもやと違和感を感じていた。
強い雨風の影響でテラスには出られず、俺たちは室内のカフェテリアスペースで昼食をとっていた。その間、周りにいる生徒たちがざわついていて気になった熊がそばにいた女子に聞きに行った。
「午後の授業一旦自習だって」
そして情報を得て戻ってきて第一声にそう言う。
「今回の台風、予想より速まるかもって先生が緊急会議開いてるらしい」
「たしかに、さっきより雨強くなってきたもんな」
外を見れば木々の揺れは朝よりも大きくなっていて、横殴りの雨が大きな音を立てて窓に打ち付けている。
携帯でニュースを開くと十五時にはこの島の真上を通過しそうな勢いだ。
「星野先生!どうしたの、それ」
突然、甲高い声が遠くから聞こえてきた。
見るとそこには頭からずぶ濡れになったジャージ姿の先生とその周りを野次馬のように囲む女子たちの姿がある。
「いやあ、レインコートって全然駄目だね。外の点検してたんだけど、もうびちょびちょだよ」
へらへらと笑う星野先生を見ていたらなぜか無性にその足元が気になり出す。蛍光の黄色いラインが入った黒い靴。
一瞬、どこかで見たような気がした。
「海?どうかした?」
不思議そうに聞いてくる熊の声も半分に聞き流し、俺はぼーっとその靴だけを見つめた。
思い出そうと頬杖をつき、指で一定間隔のリズムを刻む。なにか引っ掛かって記憶を端から辿っていった。
「でもキャンプの時がこんな雨じゃなくて良かったよなあ」
不意に熊が言った言葉で動かしていた指が止まった。打ち付ける雨音だけがやけに大きく聞こえてきて、周りの声が一瞬にして消えた。
思い出した。それを見たのはあのキャンプの時だ。別の衝撃が大きすぎてすっかり相手の格好を目に入れる余裕もなかったが、去り際に見えた蛍光のラインを覚えている。
あの日、桜井月といた男が履いていたものと同じだった。
別の生徒が同じ靴を履いているという可能性も考えられなくはない。
しかし桜井月が恋人と思わしき人物と一緒にいる場面を見たことがないという点。あのとき
自分の中の点と点が一本の線になって繋がってしまった。
「自習だってね。台風どうなるんだろう」
次の授業は桜井月と同じだった。
熊と並んで座る彼女の後ろ姿を見ながら、どうしても頭の中はあの先生のことでいっぱいになる。一方で前の席はなにかの話題は盛り上がっていたが、俺の耳にはひとつも話は入って来なかった。
「海くんは何が好き?」
不意打ちで話を振られびくっと反応する。
「なにが」
「季節だよ。こっち来たら年中、夏になっちゃうでしょ?だからどの季節がずっと続いたら嬉しいかなーって話してたんだけど……大丈夫?」
今どんな顔をしているだろうか。
平静を装っているつもりだが怪しむ彼女が眉間にしわを寄せていて、俺はゆっくり目線をずらした。
「なんかいつにも増してAIみたいな顔になってるよ」
「いつにも増してってどういう意味だよ」
しかしそう言いながら笑いだす彼女を見てホッとする。一瞬冷や汗をかいたが、大して深い意味はなかったようでその流れに合わせてやり過ごした。
二十分後、先生が会議を終えて戻ってくると通常通りの授業が始まる。
帰宅できると踏んでいた面々からは残念がる声が聞こえてくるが、下校時間にピークは過ぎるだろうとの予報を得て結局校舎の中に軟禁されることになった。
「帰れると思ったんだけどなあ」
放課後を迎え、熊が口を尖らせてぶつぶつと言いながら歩いている。俺たちはまだ雨が残る中、バス停に向かっていた。
いつの間にか自然と桜井月を見送ってから帰宅するというルーティーンが出来上がっており、今日も誰が何を言うわけでもなく足向く先は同じだった。
「何かあったのかな」
するとバス停に着くなり先生たちが慌てた様子でうろうろしているのが見える。何人かの女子たちも騒がしくしていて、そこに桐島の姿を見つけると桜井月は近づいていく。
「桐島さん、何かあったの?」
屋根のあるベンチで雨宿りをしていたようだが、桐島はその問いかけを無視して顔を伏せてしまう。
早々に諦めた俺が近くの先生に声をかけようとしたら、迷いながらも彼女は少しだけ顔を上げた。
「通れないんだって」
「え?」
「さっきの台風で木が倒れたから道が寸断されたって。うちはその道の奥だからしばらく帰れないみたいよ」
淡々と話しながら至って冷静で、騒いでも仕方ないと言わんばかりに携帯をいじる。周りでは「どうしよう」と口々に言う女子たちがいて、これが正常な反応だと心の中で思う。
桜井月を見ると、頭が真っ白のようで呆然と固まっていた。
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