マリアの休日

「よっしゃあ、どっか遊び行こうぜえ」

「どっかって、この島でもうそんな遊ぶ場所もねえだろう」


 昨日の強風により学校の発電機が壊れたとの放送が流れ、俺たちは急遽休みに変わった。


 突然の休日に浮かれる熊は俺の部屋に押しかけてきた。そのまま林太郎を部屋から引っ張り出し、一緒に外へ連れ出されようとしている。


 するとキッチンの陰でがさごそと物音がした。通りすぎざまに気になって俺たちが中を覗くと、そこにはしゃがみこむマリアの背中が見えこそこそと何かをしていた。


「マリア?」


 声をかけるとびくっと肩を震わせる彼女は振り返った瞬間、俺たちの顔を見て苦笑いを浮かべる。三人で顔を見合わせながら首を傾げた。


「いやあ、やっぱり最初からやってもらえばよかったかなあ」


 そう言って笑うマリアは外で割れていた鉢植えの片づけをしていたようで、そのときに破片の一部でざっくりと手の平を切ってしまったらしい。


 キッチンに置いてあった救急箱でなんとか応急処置をしていたみたいだが、利き手を怪我してしまったためどうにか貼った絆創膏ももはや意味をなしていなかった。


「それにしても林太郎ってば器用だねえ」


 そんなマリアを見兼ねて何も言わず真っ先に動き出したのは林太郎だった。自分の手元をまじまじと見る彼女はガーゼに包帯にと、てきぱき処置していく姿に感心する。


「いいよ」

「わーお、さすがね。ありがとう」


 そして完成した手を見て、何度も指を動かしながら満面の笑みを浮かべる。


「でもこの手じゃ今日の水仕事は無理ね。悪いんだけどあなたたち夕食は外ですませてきてくれる?」


 マリアはそのまま「よいしょ」と体を起こし、冷蔵庫に向かっていく。動かしずらそうに牛乳を入れる様子を見ていたら熊が突然バッと立ち上がった。


「俺たちが作るよ!」

「え?」

「今日の夕飯!マリアをおもてなしってな?」


 突然の提案に驚くマリアを見ながら林太郎とふたりで〝俺たち〟との言葉に引っかかる。そして強引な熊はニカッと八重歯を見せて笑った。



「それで、なんで釣ってくるなんて言ったかなあ」

「そりゃあ島といったら自給自足?いやーこれが役に立つ日が来るとはな。市場で見たとき買っといてよかったわ」


 ひとり満足そうにしている熊に付き合わされ、俺たちはかれこれ二時間ほど何も起こらない釣竿を見つめため息をつく。


 マリアに任せろと勢い付いたまでは良かったが、無謀にも今日の魚は自分たちで取ってくるなんて言い出し、今に至る。


「にしても釣れねえなあ」


 そうぼやく林太郎はもはや寝転がって空を見上げていた。


「林太郎ってさ、何人兄弟?」


 あまりの暇さに熊が唐突な質問を投げかける。


「ん?」

「そういえば聞いたことなかったなあって」


 あぐらをかいた膝に頬杖をつきながら寝かかっていた俺は、隣で始まった話になんとなく耳を傾けた。


「ちなみに俺は兄貴がふたり。海は小学生のかわいい妹がいんだよな」

「かわいいか?それにもう今年で中学生だよ」

「うぇ、もうそんな?でもこれがさ、海に似てちょっと生意気でさ」

「熊がバカにされてるだけだろ」


 そんな会話をしながら腕を広げて大きくあくびをし、そのまま俺もコンクリートの地面に寝ころんでみた。


「俺は……弟がひとり」


 そこで林太郎が口を開いた。


「へえ、林太郎って兄ちゃんなんだ!意外」

「兄ちゃんってか、双子だから年一緒だけど」


 初めてプライベートを見た気がして、俺も心の中で少し意外だと感じる。何となく林太郎は年の離れた兄貴がいるようなイメージだった。


 思えば、この島に来てから家族の話なんて一度もしたことがなかった。みんな非現実的な世界にでも飛び込んだように、不思議と過去の話をする人は少なかった。


「双子ってどんな感じ?やっぱり顔とか似てんの?」

「いや、うちは二卵性だから全然違う。それに弟は俺と違って出来のいい優等生」


 聞いていると棘のあるような言い方で少しだけ引っかかる。


「ふーん。てことは林太郎みたいに金髪じゃなくて、弟は黒髪の眼鏡くん?」


 しかし何も気づいていない熊は構わず楽しそうに話を続けていて、気になった俺がふと林太郎の方を見たらどこか複雑な表情を浮かべていた。


 そのとき、タイミング良く足元で動く竿が見えた。


「熊、引いてる」

「え?」

「竿。引いてんぞ」


 話に夢中になっていた熊は一瞬思考が停止した後、ぐいぐいと動きだす竿を見て我に返った。


「うぉ、まじだ!え、どうすんのこれ。海?林太郎?」


 立ち上がり慌てふためく熊が助けを求めるが俺たちは空を見上げたまま動かなかった。


「色々あるだろ、誰にだって」


 なんとなく林太郎の心に傷が見えた気がして、俺は誰に言うわけでもなくただ空に向かってそう呟く。


「ああ」


 しばらくして小さく出した林太郎の声は騒ぐ熊の声によってかき消された。



「それにしても、まさか最後の最後でここまで釣れるとはな」


 家に戻った俺たちは持って行ったクーラーボックスの中身を覗き込み、三人で顔を突き合わせた。


 熊の竿にかかって以降、なぜか俺と林太郎にまでヒットが続き魚ラッシュが訪れた。何匹かのアジに加えてクロダイとヒラメまで釣れてしまい、自分たちでもまさかの状況に驚いている。


「まあよし。これをどうするか」

「いや、任せろって言ったからには、さばけるんだよな?」

「俺が?」


 一瞬、空気が固まった。すっとぼけたような顔をしたかと思うと、みるみるうちに目を丸くし始める。


「いやいやいや、無理でしょ。海が出来んじゃないの?実家料理屋だったじゃん」

「料理屋って俺は食べてるだけだよ」


 うちは早くに父親が死んでから、女手ひとつで育ててくれた母が小料理屋をやっていた。確かに手伝わされていた時期もあったが、運ぶ程度で包丁なんて握らしてもらったこともない。


 なにせ水泳一本の人生だった。


「えーまじかあ。動画見ながら頑張ってみる?」

「お前なあ」


 自分で言っておきながら最終的には人任せ。熊らしいと言ったららしいが、携帯の画面を見せてくる屈託のない笑顔には頭を抱えた。


「俺、できるけど」


 するとシンクで手を洗い出す林太郎が真顔でそう言った。


「できるって?」

「だから魚さばくんだろ?地元の先輩が板前になってちょっと教わったことある」


 俺は熊と目を見合わせ、突然の救世主の現れに素直に感動する。


 それから林太郎は慣れた手つきで魚に包丁を入れ始め、あっという間にさばききってしまった。それだけでは終わらず、林太郎の指示のもとに動いているとだんだん料理になっていく。


「いや、お前すぐ店だせるよ」


 アジとクロダイのカルパッチョ。ヒラメのアクアパッツァ。それ以外にもちゃちゃっと作ってしまい、意外な才能を見せる。気づけばイタリアンレストランのディナーテーブルが出来上がった。


「Oh, My god.」


 マリアは他のルームメイトふたりと共に洗濯や掃除をしていたようだが、夕食時になって現れたら驚く声とともそんな言葉が飛び出した。


「信じられない」

「ほとんど林太郎が作ったけどな」


 いまだキッチンにいる林太郎を見ながら俺はテーブルのセットをする。味見をした瞬間あまりのおいしさに何も言えなくなった。


「林太郎、明日から毎日作ってちょうだい」

「いや、サボろうとするな」


 すかさず鋭いツッコミを入れる林太郎。笑いあう休日はマリアの怪我によって、いつも以上に家の中を明るくした。

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