テトラポットの上で
その日の夜、夕食を済ませた俺たちは夜の八時にビーチへ集まった。
青春の一ページとでも言うように熊を筆頭にはしゃいでいる姿を遠巻きに見ながら、俺は砂浜の上であぐらをかいて見守っていた。
壇はなぜか俺の横でひとり黙々と火をつけては花火を散らす。
たまに無言でひとつ手渡してくることがあり、なぜか男ふたりで何を言うわけでもなくパチパチと弾ける花火を見ている時間もあった。
そのうち壇は今日の主役だからと熊に連行されていき、だるそうに歩きながらも意外と素直に輪の中に加わっていった。
「桐島さん、誘えなかった」
すると一緒に楽しんでいたはずの桜井月が新しい花火の袋を開けながら俺の横に腰掛けた。
「部屋に行ったんだけどいなくて」
「まあ誘ってもこなかっただろうよ」
少し残念そうに膝を抱えて縮こまる彼女を見ていると俺の手元の火種が消えていった。水をはったバケツに投げ込んだらジュッと音を立て、一緒にその場の空気も静まった。
「仕方ないか」
諦めたように立ち上がる彼女は、新品の花火を見せながら一緒にいこうと目配せしてくる。しかし人の多い空間が苦手な俺はこうしてひとりで見ている方が楽だった。
「ちょっと飲み物買ってくるわ。なんかいる?」
とりあえず理由を作って、気分転換に散歩でもしてこようと思う。
「んー。じゃあ炭酸!シュワッてやつ」
「大抵炭酸はそれだろ」
相変わらず少し変わっている彼女の希望を聞き、俺はその場を黙って離れた。
しばらくビーチ沿いの道を歩いていく。
港からだんだんと遠ざかっていき、ポケットに入れていたイヤホンを取り出す。空を見上げると今日は満月でなんだか音楽の世界に浸りたくなった。
歩きながら携帯で曲を選んでいたら、突然耳に入れたイヤホンから歌が流れこんできた。一瞬、勝手に曲でも流れ出したのかと思ったがまだ何も鳴らしていない。
不思議に思いゆっくりとイヤホンをとってみたらそれでも歌は聞こえてきた。
顔を上げたとき、初めてその正体に気づく。
防波堤のそばに並ぶテトラポットの上で、空から落ちる明かりに照らされてオレンジ色の髪がなびいていたのだ。
彼女はこちらの存在に全く気づいていなかった。
透き通るような声を風に乗せ、満月の夜空を見つめている。
「声出るんじゃん」
俺はしばらく彼女の後ろに立って、その歌を聞いていた。
不意に話しかけたらビクッと細い体を震わせて凄い形相で振り返る。次第に彼女の顔は赤く、さらに茹で蛸のように真っ赤になっていく。
桐島はテトラポットから飛び降りた。地面についた瞬間、慌てて立ち上がり顔を伏せたまま足早に逃げていく。
俺はまた意外な場面を目撃したようだ。
どこかで聞き覚えのあるその歌はまだ続く道のりのBGMになる。彼女の歌が耳から離れず、ひとりで小さく鼻歌を奏でた。
「あー!どこ行ってたんだよ、海」
ビーチに戻るなり熊に叫ばれ、俺はごめんと手を立てながら砂浜を進んでいく。
手には二種類の炭酸飲料を持ち桜井月の姿を探すが、花火は一旦やめたようで彼女は女子たちの輪の中心になってきゃっきゃと笑っていた。
「珍しい、海が炭酸買ってくるなんて」
「別に」
「でも二本?俺飲めないけど」
競泳中心の生活だった頃はとにかく泳ぎに支障があるものは摂取しないように徹底していた。だから炭酸飲料なんて飲んだことはなかったし、買おうとも思わなかった。
それが唯一競泳を諦めたあの日だけやけになって飲んだのを思い出し、ペットボトルの中で浮き上がる泡をぼんやりと見つめた。
「そうだ、海。俺の決意を聞いてくれ」
突然熊が真剣な表情で両肩を掴んでくる。思わずその勢いでペットボトルを落としそうになった。
「俺、月に告白しようと思うんだ」
「は?」
それは思いもよらない決意だった。
頭に浮かぶのは振られて部屋に引きこもる熊の姿しかなく唖然とした。
どうして急にそんなことになったのか分からないが、恋人の存在を必死に隠してきた俺の努力が無駄になろうとしている。
「ちょっと待て。まだ島に来てから一ヶ月も経ってないだろ」
「そうなんだけどさ。思ったんだよ、早く付き合えればそのあとは楽しいスクールライフが待ってるって」
にかっと八重歯を見せて笑う熊に俺は頭を抱えた。
確かに言いたいことは分かるが、それは全て成功したときの話。どこからその自信が湧いてくるのか熊の頭には失恋という二文字はまるで浮かんでいないようだ。
「とにかく早まるな」
「なんで。もう準備は万端だよ。それに最近ちょっといける気がするんだよなあ」
端から突っ込みたくなる熊のセリフに心の中でため息をつきながら、どうしたら止めることができるのかと頭を悩ませる。
「あ、海くん戻ってきたんだ」
そのとき桜井月がタイミング悪く現れた。
「ん?なに?」
話題の中心にいた人物の登場にふたりして無言になってしまい、彼女は不思議そうに首を傾げる。
「ほら、どっち」
俺は話題を変えようと、目を逸らしながらペットボトルのラベルだけを彼女の方へ向けた。
「あ、選んでいいの?レモンかサイダーかあ。じゃあ、こっち」
そう言いながら笑顔でサイダーを指さす。
何にも間違ってはいないのだがこちらの気も知らずにこにこしている様子がどこか納得いかなくて、俺はわざと手渡さず冷たいペットボトルを彼女の頬にあてた。
「わっ」
「どーぞ」
「なあに、びっくりしたあ」
俺はそのまま熊を連れて彼女から離れる。
「とにかく時がくるまで待て」
「え、師匠っぽい」
ばかでよかった。
俺は単純な熊の肩に腕を回し、背中を優しく叩いて歩いた。
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