悪モノ
もうすっかり暗くなってきた。
「気は済んだか」
壇はそう言いながら桜井月の前にしゃがみ込む。しかし彼女の耳にはまるで入っていかないようで、カメラの写真に夢中になりながら目を輝かせていた。
壇の撮った写真は、あまり興味がない俺でも凄いと思うものばかりだった。
自然の中で暮らす生き物たちが今にも動き出しそうに生き生きと映っていて、よくカレンダーやポストカードになっている写真のようだと感じた。
携帯と一眼レフのカメラの違いも分からない素人だが、それでも胸打つものがあった。
「帰るぞ」
とうとうしびれを切らした壇は、カメラを取り上げ携帯のライトで足元を照らしながら歩きだす。
桜井月は口を尖らせ何か言いたげな表情を浮かべるも仕方なく立ち上がる。そして帰り道のわからない俺たちは一緒に壇の後をついていった。
「壇くんってカメラマンになるの?」
不意に彼女が声をかける。
「絶対なれるよ!プロのカメラマン」
それでも黙って歩いていく後ろ姿に、彼女は構わず話しかけた。
結局壇が何も言わないまま山道を抜けた。街灯の明かりが少しずつ大きくなり始め、脇道の終わりを見た。
俺は鋪装された通りに足を出そうとするが、近くに人影があることに気づいた壇に肩をつかまれ止められた。
「あ」
そこで置き去りにしていた自転車の存在を思い出す。人影は島を巡回していたであろう先生たちのもので、自転車を囲み険しい顔で何やら話し合いをしている。
なんともまずい状況だ。
ここでは十時までに帰宅するという門限があるが、今の時刻は七時半で規則を破っているわけではない。
ただ今一緒にいるのは、自宅謹慎中の壇である。
俺はまだ、自転車を放置していたことに注意を受ける程度で大したお咎めはないだろうが、もし壇までここにいるのがバレればたちまち更なる罰則を与えられるに違いなかった。
「お前らもう帰ってろ」
「ちょ、壇くん」
しかし葉の陰に隠れながらタイミングを伺っていた俺の考えなど無視して、暴走する壇は桜井月の制止も聞かずにひとりで進んでいく。
無謀にも丸腰で敵陣へと乗り込もうとしていた。
「壇くんってどうしてひとりで悪者になろうとするんだろう」
俺は悲しそうにぽつりと口にした彼女の言葉を聞き、頭をかく。面倒臭いとは思いながら放ってはおけずに俺も続いて足を踏み出した。
「すみません、それ俺のです」
俺が顔を出したとき、壇は主任教諭の
朝倉は学校初日から生徒をどこか見下しているところがあり、いけ好かないやつだった。俺としては先生と敬称をつけるのも気が進まない。
「君は」
「汐江海です」
視線がこちらに集中するのと同時に、壇の首元にかかった手もだんだんと緩んでいく。
苛立ったように手を振り払う壇は朝倉をにらみつけ、こちらに近づいてきた。
「助けたつもりか」
「格好つけんな。どうせ自転車のナンバー調べられりゃ俺のだってすぐわかるんだよ」
そして目も合わせずにふたりでそう言い合いため息をつく。
「汐江、どうして自転車がこんなところに置き去りにされている」
すると早速朝倉の目が俺に向いた。
後ろにいる他の教師はタブレットで俺の顔をちらちらと見ながら素性でも調べている様子だ。
「置いていたのを忘れてました」
「ほお、そうか。じゃあ質問を変えよう。どうして謹慎中の壇
俺はそこで初めて壇の名前を知った。
林太郎っていうのか。そう言いたかったところだが、空気的にそんな冗談が通じる状態ではなかった。
必死に打開策を考え黙っていたら、ふと桜井月のことを思い出しひとつだけいい策を思い立った。
「一大事だったので。彼にどうしても手伝って欲しいと俺が無理やり連れだしました」
「なんのために」
響くように返ってくる質問に一瞬ひるみそうになる。
でも一か八か。上手くいくかは分からなかったが、俺は桜井月の元へ向かい戸惑う彼女を連れて朝倉の前に突き出した。
「彼女が山道で遭難してたので。人命救助です」
ちょうどいい汚れ具合。これが証明だと言わんばかりに彼女の顔や衣服をついた土を見せつける。
何も知らない桜井月は驚いて声を漏らしそうになるが、それを大きな咳払いでかき消す俺は朝倉から視線を逸らさないようじっと見続けた。
「はい、私遭難しました」
隣では目を泳がせながら固まったままの桜井月がパクパクと口を動かしている。
「朝倉先生、もういいじゃないですか。人命救助です。むしろ褒めてあげないと」
すると、突然そう言い出したのはキャンプのときに配給用テントにいた女教師だった。
「えっと、桜井さん?だったかしら。怪我は?」
「い、いえ。大丈夫です」
「そう、じゃあ家まで送るわ。いいですね、朝倉先生」
きっと朝倉にはそれが全て作り話だと勘づかれているだろう。
しかし女教師の介入と人命救助だという建前を攻め立てることができなかったのか、渋い顔をして仕方なく承諾していた。
「さあ壇くんも家に入りなさい。汐江くんは自転車で帰れるわね」
「はい」
他の教師たちもぞろぞろと引き上げていき、俺も自転車を起こしてさっさとこの場から消えようとする。
「汐江」
しかしペダルをこぎだそうとした瞬間、朝倉に呼び止められた。
「お前はここに編入してきた生徒の中じゃ特別だ。オリンピックまで目指して真剣に何かに打ち込んできたやつは違う」
振り向いた瞬間、予想もしていなかったセリフに眉がピクリと動く。
その場には俺たち以外誰もいなくなっていた。
「どうして壇なんかに関わる」
しばらく目を合わせていたが、話す価値のない内容に呆れ何も言わずに自転車をこぎ出す。
やはり俺は朝倉だけは好きになれない。
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