2
オレンジ色の髪
サマーキャンプを終えてから一週間が経った。
「おはよう、海くん」
じんわりと汗ばむ空気の中、廊下にある自分のロッカーで次の授業の準備をしていたらひょっこり顔を出してきたのは桜井月だ。
キャンプ以来、俺はなんとなく彼女と話すのが気まずくなっている。きっと密会現場を見られていたなんて気づいてもいないと思うが、こちらとしてはどんな顔をすれば良いか分からず、熊に隠し事をしているのも正直苦しかった。
「おはよ」
俺はちらりと顔を見てから、ロッカーの扉の陰に隠れて言葉だけを残す。
しかし桜井月は一緒に教室へ向かおうとしているのか、壁に寄りかかりながら俺が動き出すのを待っている。熊が知らぬ間に俺たち三人の時間割を合わせてくれたせいで、彼女とはほとんどの授業がかぶっていた。
この学校では単位制を取り入れており、生徒たちの方が授業のたびにそれぞれの学科の教室へと移動するようになる。
今日は朝から必須科目の英語が待っていて教科書と辞書を手にとりロッカーを閉めようとするが、そばにはまだ彼女の足がちらりと見えて一度静かに深呼吸をした。
「そういえば熊くんは?」
「朝から腹痛いってトイレから出てこないから置いてきた」
「ああ、だから珍しくひとりなんだ」
当たり前のように隣を歩く桜井月と、三階建ての校舎の階段をのぼっていく。
思い返せばふたりっきりになる状況は初めてだ。いつも必ず熊がいて八割方話してくれるから、口数の少ない俺は気楽に隣を歩けていた。しかしふたりだけでは沈黙が続き、正直彼女もどうして俺を待っていたのか疑問だった。
「あのさ、金髪の男の子って知ってる?」
すると階段を上り切ったあたりで突然ふられた話題に目を丸くする。
「金髪?」
「そう。白に近い金髪だった気がするんだけど、まだ学校で一回も見かけてなくて。お礼が言いたかったのに」
そのとき、ふと森の中で見た男のことを思い出す。
ここでは頭髪やアクセサリーの類は基本自由で制服もないからいろんな格好の生徒がいる。でもあそこまで目立つ抜け切った金髪は珍しい。きっと彼女が探しているのと同一人物だろう。
でも記憶を辿ってみれば、あれ以来俺も見かけてはいなかった。
「あ、
一瞬考えたあと「さあ」と首を傾げていたら、隣を歩く桜井月が誰かに手を振っていた。
気になって顔を上げると、目の前からはモデル並みに細く日本人離れしたエキゾチックな顔立ちの美女が歩いてくる。彼女は声に反応しゆっくりと視線をこちらに向けたが、表情ひとつ変えることなくそのまま目の前を素通りしていく。
去り際に切れ長のアーモンドのような瞳にじっと見つめられる。視線を残したまま教室へ入っていく彼女はさらさらとしたオレンジ色の髪だけを跡に残し、長い前髪をすっと耳にかけた。
「同じ家のルームメイトなんだけど、どうも掴めなくて」
思わず独特なオーラを前に固まっていたら桜井月の声でハッとする。しかし、ルームメイトならばこの前のキャンプで見ているはずだと思い返す。
「キャンプのときにいたか?」
「ああ、あの日は体調が悪いからってずっと家にこもってたらしいんだ」
理由を聞いて、どうりで見なかったわけだと納得する。あの派手な見た目だ。さすがに一度見れば誰の記憶にも残るだろうと思った。
ふたりで一番後ろの席をとると前方にはオレンジ色の髪の彼女がよく見える。誰ひとりとして話しかけようとする者はいなかったが周りの視線をまとめて釘付けにしていた。
「きっと高嶺の花って感じだから、みんな話しかけずらいんだろうね」
結局熊は薬を飲んで安静に寝ていることになり、俺はなぜか桜井月と昼食を共にしている。
「あ、そっか。桐島さんって誰かに似てると思ってたんだけど海くんと似てるのか」
校舎の広場で買ったハンバーガーを持ってテラスに座ると、唐突にそんなことを言ってくる。
「俺と?」
先程から話題はあの桐島について。
でもほとんど一方的に話しているのを聞いていただけだったが、急に自分の名前が浮上し初めて声を出した。
「だってこの島にきたときからイケメンがいるって有名になってたよ」
「へぇ」
「でも海くんってこう人を寄せ付けないオーラがあるでしょ?だからみんな話しかける勇気ないって。ちょっと似てるよね」
まるで興味はなかったが、初めて聞く話にハンバーガーをかじりながら反応だけする。
「ほんと熊くんが言ってた通りの人だね」
すると、そんな俺を見て彼女はくすりと笑った。
「中学の頃から相当モテてたのに部活部活で興味示さないなんて、イケメンの無駄遣いだって」
「大きなお世話かよ」
そう言いながらも熊の言いそうなセリフだと笑いそうになる。
しかし熊にも同じようなことが言えた。いつも輪の中心にいるムードメーカーであの明るい性格だ。人気者で女子からも好かれ、モテないはずがない。
ただ、俺の目の前で小さな口をめいいっぱい開けてハンバーガーにかじりつく桜井月しか見えていないから、他の女子になんて興味も示さない。もはや似たようなものだ。
「そういえば〝海はスポーツ馬鹿だから〟って言ってたけど、なんのスポーツやってたの?」
すると不意打ちでくらったボディブロー。
突然すぎてパンが変なところに入って咳き込み、慌てて水に手を伸ばした。
「ごめん、変なこと聞いた?」
「いや、別に」
あからさまな反応をしてしまい怪しまれたかもしれない。しかし気軽に話せる話題でもないし、できれば触れられたくはなかった。
そのまま黙り込んでいたら空気感で伝わったのかそれ以上は詮索してこなかった。
いつもペラペラとなんでも話してしまう熊には困ったものだ。でもそこに悪気がないのが分かっているから余計に厄介だった。
それからお互い黙々と食べていたら、近くを通った会話が何気なく耳に入ってくる。
「聞いた?この前キャンプで一緒だった
「あ、知ってる!金髪の子と喧嘩になって自宅謹慎中なんでしょ?」
それには桜井月も気づいたようでふたりして目を見合わせた。
「怖いよねえ、ヤンキー。何で怒るか分かんないって言うか」
噂する彼女たちはちょうど隣のテーブルに座る。
これは気になっていた金髪の男の情報を得るチャンスだ。きっと桜井月は聞き耳を立てているのだろうとちらりと様子を伺う。
「その話聞いてもいい?」
しかし桜井月は椅子ごとぐるりと後ろを向き、直接女子たちに話しかけていた。
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