秘密の恋＿＿桜井月side
私は秘密の恋をしている。
「なんか意外だなあ」
「なにが？」
鳥のさえずりや葉が揺れる心地よい音を感じながら、自然の中の密会現場にいる。
「月ちゃんみたいに真面目そうな子が教師と禁断の恋してるところ」
目の前にいる彼は太い幹に体重を預け不敵な笑みを浮かべる。
サマーキャンプ二日目の夜。辺りが薄暗くなりはじめ、みんなはキャンプファイアの準備に忙しくしていた。そんな中、私たちはその一瞬の間を狙って彼に会いに来た。
「違うよ。彼氏が知らないうちに高校教師になっちゃっただけで、教師と付き合ったわけじゃありません。禁断の恋にしたのはそっちでしょ？」
「まあ、たしかに。てかまだただの実習生だしなあ」
顎の辺りにある色っぽい黒子を見せながら切れ長の瞳が空を見上げる。そよ風に触れるたび、ナチュラルに伸びる黒髪が揺れて太い眉毛がちらちらと顔を出す。そのすべてが愛おしい。
私の彼は、光の島アカデミーの教育実習生だ。
彼との出会いは私が中学二年生の頃。当時大学一年生だった彼が家のリビングで紅茶を飲んでいて、母からは『今日から月の家庭教師になってくれる先生よ』と突然紹介された。
成績が思わしくないからと両親にはずっと勧められたが、断固として家庭教師なんていやだと言っていた。でもいざ彼と対面した瞬間、私の中に電撃が走った。
『月ちゃん。よろしくね』
そう言って微笑んだ甘いマスクに目を奪われ、穏やかな優しい声も私には高級なバイオリンの音のように聞こえてきた。周りの男子とは全然違う余裕のある年上男性に私は一目で恋に落ちた。
それからの私はとにかく勉強した。週に二日、彼のくる日が待ち遠しくて、それでいて馬鹿な女だと思われないようにと家ではひたすら机に向かった。両親もその劇的な変化には驚いていて、先生のおかげだと感謝し夕食まで一緒に食べる日もあった。
彼が私の家庭教師だったのは二年間。偏差値もぐっと上がり、神奈川県でも有名な私立の名門校へと進学することができた。
そして私は中学卒業と同時にダメ元で彼に告白した。五つ年上でちょうどハタチになる彼にとって、私は子供にしかない見えないかもしれない。でも気持ちだけは正真正銘本気そのもの。振られて元々、当たって砕けろの精神だった。
『付き合おうか』
しかし、彼から返ってきた言葉は思いもよらないもので驚きを隠せなかった。何度も確認し聞き返したが、私の耳が間違っていたわけではなく本当に恋が実った。
それから交際一年。私は目の前にいる
私にとって私立の名門校などただ誠くんに褒められたい材料でしかなく、それ以外になんの未練もない。私は両親に頼みこみなんとか許しを得ることで今彼と一緒にここにいる。
「そろそろ戻った方がいいよ」
周りをキョロキョロと気にする彼といられるのはほんの二、三分ほどの話。島に移住すると聞いて二年間会えなくなるくらいなら私も一緒に行ってしまおうと安易な考えで編入を決めた。
でもやはり公にはできないこの関係はとても寂しい。
「ねえ、もう少しいいでしょ？」
「だめ。見つかったらさすがにまずいし」
「大丈夫だよ。みんな作業してるしこんなところまで来ないよ」
「気持ちは嬉しいけど我慢しよう」
彼は私の顔もろくに見ず、誰かが通りはしないかとそればかり気にしていた。
たしかに教育実習生として生徒と付き合っているなんて知られれば問題になる。勝手についてきたのは私だけれど彼の迷惑になりたかったわけではない。だから仕方ないとは思いながらも、想像していた学園ライフとは違い気持ちは少し沈んでいた。
「じゃあ月ちゃん先に戻って……」
「待って」
私はぎゅっと彼に抱き着いた。一瞬驚いて引きはがされそうになったけれど、必死にしがみついた。
これから本格的に学校が始まればこうしてふたりで会う機会も減る。そう簡単に会えなくなってしまう。だから彼の温もりを覚えていたくてもう少しだけ傍にいたかった。
「少しだけだよ」
彼は諦めたように微笑むと私を優しく抱きしめ返してくれた。そっと頭にのせられた大きな手は温かく、彼の匂いに包まれて幸せを感じる。私も腕にぎゅっと力を込めた。
そのとき、砂を踏みしめる足音が聞こえた。
慌てて離れた私たちが振り返ると、目にしたのは暗闇に同化する人影。目深にフードをかぶる背の高い男の子がこちらをじっと見つめていた。
見られた……。
心臓の鼓動が一気に加速する。
フードの隙間からは金色の髪が光り、冷め切ったような鋭い目で私たちをとらえたかと思うとそのまま何も言わずに背を向けて歩き出そうとする。
「あ、ちょっと」
慌てた誠くんが引き留めようとするが、彼は止まる様子がない。
「待ってって」
「星野先生？」
すると声を聞きつけてか誰かが誠くんの名前を呼んだ。びくっと反応する彼が恐る恐る振り返れば、そこには強面の主任教諭の姿があった。
「こんなところで女生徒と何を」
「あ、いや……」
口ごもる誠くんを怪しむ先生は眉間にしわを寄せながらゆっくりと近づいてくる。
「君も準備をさぼって何をしている」
それから私にも視線を向けられた。誠くんに助けを求めようにも視線を逸らされてしまい、蛇に睨まれた蛙のように委縮して声が出なくなった。
「おい、そこにいるのは
さらに人影を見つけた先生が目を細め、視線は別のところに向く。つられて目を向けると、いつの間にか立ち止まっていた金髪の男の子がポケットに手を突っ込みながらだるそうにこちらを見ていた。
「星野先生、説明してください。これはどういう状況ですか」
問い詰められる誠くんはきっと頭をフル回転させて言い訳を考えている。しかし瞳孔が開いてしまい、額に汗をかき絶望的な顔をしていた。
「その女が勝手についてきた」
そのとき、沈黙を破って口を開いたのは壇と呼ばれた男の子だ。
「さぼりたいのに準備手伝えってうるせえんだよ」
どうして……。
聞こえてくるのは耳を疑う言葉ばかり。初めて聞く話になんでそんなことを言い出したのか分からず、戸惑いを隠しきれなかった。
「なるほどな。それは正しい行動だ」
納得した様子の先生が彼を馬鹿にしたように鼻で笑い、得意げに細いフレームの眼鏡をかけ直す。
「お前は本当に問題ばかりありそうだな。親父さんが泣いてるぞ」
「あ？」
「まあいい。お前はよく注意して見てるからな、次は容赦なく謹慎処分にするぞ」
私は壇くんだけが悪者になっているこの状況をどうにかしなくてはと焦った。首根っこをつかまれ連れていかれる彼と目が合い、私は咄嗟に誠くんを見る。しかし安堵の表情を浮かべていて、むしろこの展開を喜んでいるように見えた。
「助かったあ」
壇くんが連れていかれふたりになった途端、誠くんが小さくそう言葉を漏らし太い幹にもたれかかった。
「助かったって、あの人は私たちを庇ってくれたんだよ？何も悪くなかったのに」
「まあでも仕方ないんじゃない？さぼってたのは本当なんだし」
冷たく言い放つ言葉は、私の知っている誠くんの口から出たものとは思えなかった。
興奮する私をなだめるように頭をぽんぽんと撫でると歩き出した彼の背中はだんだん遠くなっていく。
こんなのおかしい。
取り残された私は心の中にもやもやとした気持ちを抱え、呆然と立ち尽くした。
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