目撃

 渡された食材でカレーライス作り始めた俺たちは、桜井月たちのグループと一緒に作業していた。おおかた料理は女子に任せ、こちらは力仕事を担っていた。


「追加で水汲んでくるわ」


 俺は両手にバケツを持ち、ゆっくり森の中を進んでいく。飲み水以外は近くに流れている小川で調達するように言われていた。


「たしかこの辺に」


 ひとりでそう呟きながら歩いていたとき、目の端にきらりと光るものが映る。


 視線を向けると茂みの中に人影が見え、大きな木を見上げながら空に向かって小さなシャッター音を響かせていた。その瞬間、草木をかき分ける鳥がバサバサと空に解き放たれていく。


 バケツを持ちながら固まって見入っていると、相手の男もこちらに気づいた。全身真っ黒な装いで目深に被ったパーカーのフードの隙間から覗かせる髪は木漏れ日の中で鮮やかな金色に光っていた。


 目が合ったのはほんの数秒。お互い時が止まったかのように視線を交わらせ、何を言うわけでもなく同じタイミングで背を向けた。一通り生徒の顔を見渡したつもりではいたが、先ほどの男は見たことのない顔だ。遠くからでもわかる鋭い目つきに彫りの深い顔。特にあの特徴のある髪色は一度見たら忘れないだろう。


 俺は首をかしげながら、見てはいけないものを見たのかもしれないとそれ以上深くは考えずにまた小川に向かって進んだ。


 しかし、今日はそういうものを見てしまう日なのかもしれない。


 水の音がしてやっとの思いでたどり着いたあと、近道を見つけ歩いて来たルートを外れたら俺は衝撃的な光景を目の当たりにする。それが運命の分かれ道だった。


「来ちゃった!」

「来ちゃったじゃないだろ。まったく」


 道と言わない人も通らないような木の陰で抱き合っているカップルの声が聞こえてくる。艶やかな長い黒髪を耳にかけながら青いジャージを着た男の首元に腕をまわすと、女は唇が触れ合う寸前でじっと男の顔を見つめた。


 思わずバケツを落として気づかれてしまわないかとヒヤヒヤした。


 彼女の横顔を見た瞬間、足が地面に吸い付いてしまったように固まって動けなくなる。可愛らしい笑顔とは裏腹に、女の顔になって男をうっとり見つめるその人物を俺はよく知っていた。


 明らかにそれは、紛れもなく。

 桜井月の姿だった。


「海、遅かったじゃん」


 動揺を抑えながら平静を保ちみんなの元へと戻ると、第一声に熊の声を聞いてわざとらしく目をそらしてしまった。


「え、なに」

「いや別に」


 熊の気持ちを知っている手前、目撃した光景を話すこともできずひとりもやもやとした感情に襲われる。あの道を通らなければ何も見ずにいられただろう。素通りでもすれば親友に秘密を抱えることもなかっただろう。しかし俺は見覚えのある顔に足を止め、しっかりとこの目で見てしまった。相手の顔は見えなかったが、この島のどこかにいる。


 桜井月には恋人がいる。


「汐江くん。戻ってくるとき、月ちゃん見なかった?」

「へ?」


 そのとき他の女子からあまりにもタイムリーに彼女のことを尋ねられ、思わず声が裏返った。


「トイレに行くって言ってからまだ戻ってきてなくて」


 そう言ってきょろきょろと心配そうに辺り見渡していて、俺は咄嗟に言葉が出なくなった。


「ああ、いやあ」


 なぜ俺が焦っているのかわからない。

 ただ熊が知れば相当なショックを受けるに違いないと真実を聞かせるわけにはいかなかった。それに桜井月に恋人がいると分かったら、ここへ来た唯一の目的が編入して二日もたたずに消えてしまう。さすがにそんな残酷なことを俺にはできない。


「探しに行ってくる」


 すると熊は洗っていた調理器具を手から離し勢いよく立ち上がる。俺の出番だと言わんばかりに気合十分で、これはまずいと思い慌てて腕をつかんでいた。


行くな!」


 口にしてから気づいた。血相を変えて引き留めた俺は焦りすぎてあまりにも不自然だ。不思議そうなみんなの視線が集中し、目を泳がせた。


「え、海どうした?」


 一番驚いていたのは熊でいつもと違う俺を見て目を丸くする。どくどくと心拍数が上がり思わず顔が引きつった。


「トイレにまで探しに来るやつは嫌われるぞ」


 咄嗟に思い付いた言い訳を発しながらだんだんと勢いが尻つぼみになっていく。誤魔化せたかとドキドキしながら様子を伺うと、しんとした空気が急に動き出したような気がした。


「たしかに!」

「それは嫌だよねえ」

「待ってれば帰ってくるよ」


 女子たちは納得し口をそろえて言う。

 熊もポリポリと頭をかきながら、いじけたようにしゃがみ込んでその光景にホッと安堵した。


「ごめん、途中で迷子になっちゃって」


 するとタイミングよく桜井月が現れ、いつも通りの変わらない笑顔で何もなかったかのようにみんなの輪の中に戻った。


 俺は森の中での光景を思い出す。いつの間にか彼女を目で追っていて、それを桜井月に気づかれると首をかしげながらにこっと微笑まれた。


「良かった、ちょうど月が戻ってこないって話しててさ。探しに行こうとしちゃったよ」

「え?」


 すると彼女からすっと笑顔が消え、熊の言葉に明らかな動揺を見せた。笑顔が引きつりだし、やはり見間違いではなかったと改めて痛感する。


 今はその場にいるのも窮屈で、俺はひとりテントへと戻った。



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