第13話 覚悟
梨佳と話している大樹くんをずっと観察していると、前に見た色がまたふわっと彼を包み込む。
これは、シエルさんいわく「可哀想な子の色」。さらによく見ていると、その内側に黒い砂鉄のようなものが集まって、外に向かって針のように伸びたものが無数に見えてきた。その針で攻撃されるのではないかと、ハッとした時、彼の色は外側の色ごと全部消えてしまった。
「透子さん?」
「透子、どうかした? ボーッとして」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「っていうか、大樹くんの家って、この辺だったの?」
私は彼に問いかける。
「祖母の家が、すぐそこなんです」
「そうなんだ」
「お恥ずかしい話、祖母の所に行って、少しお手伝いすると、お小遣いがもらえるので……甘えさせてもらってるんですけどね」
飽くまでも可哀想な子を貫き通す気らしい。私が色を見ていたのは気がつかなかったのかな?
「おばあちゃんがお小遣いくれるんなら、そっちと一緒に住めばよくない?」
梨佳が提案する。
「父に……凄く怒られますから……」
「お父さんに? 血が繋がってないって聞いたんだけど。……ねえ、間違ってたらごめんね。暴力とか振るわれたりしてる?」
「いえ……」
反射的に彼は左腕を隠すような仕草をした。気がついて梨佳が彼の手をとり、袖をまくり上げる。
「えっ?!」
そこには数か所、あざがついていて、手首には不自然にサポーターが巻かれていた。梨佳は、大樹くんの目を強く
「えっ?! ちょっと待って! なにこれ?!」
そこには無数の傷跡。自分で切った、ためらい傷の山のように見えた。
「透子」
梨佳が私の方へ向き直る。
「これは、児童相談所へ連れて行かないとダメなやつだよ」
私にあれほど関わるなと言っていた人とは思えない真剣な目だ。
「いえ、そんな、心配しないで下さい。僕なら大丈夫ですから……」
彼は完全に梨佳にとっても「同情すべき少年」になることに成功していた。
結局、大樹くんが、住所も親の名前も、通っている学校名すら言わなかったので、児童相談所へ連絡することは諦めた。
「でも、ホントに助けが必要になったら言ってきてね。私にでも、勿論、透子にでも」
そう言うと、メモ帳に自分の連絡先を書き、私に渡した。
「透子も、早く」
「困ったら電話してきて」
梨佳は、番号を書いたメモをメモ帳から切り取ると、大樹くんに渡した。
彼は、
「お二人とも、心配していただいて本当にありがとうごさいます」
そう言って、
「すみません、帰らないと……。じゃ、失礼します。」
深々と頭を下げて去っていった。
私も梨佳もしばらく黙っていた。
「ホントにあんな子いるんだね。ニュースの中だけの話だと思ってたよ。可哀想に」
梨佳が呟く。
「そうだね……」
曖昧に答える。
外堀から埋めるっていうことなのかな。それにしても、学校にまで来るだなんて……。
これから何が自分に起きてくるのか、自分の周りの人を巻き込んでしまいはしないのか、物凄い不安が襲ってきて、身体の震えを抑えることができなかった。けれど、守りたいものがある限り、最早、戦うしかないのかもしれない。私は、強くそう思っていた。
「透子ちゃん、大丈夫かな」
サトルは、カモミールティーを両手を温めるようにして飲む。シエルには、随分調子が良くなったので、明日から仕事に行きたいと言ってある。
「勿論、透子さんも心配だけど、僕にとっては、君が一番心配なんだよ、サトル」
サトルの座るソファの後ろから、シエルは彼女をそっと抱きしめる。
シエルはどこまでも優しい。自分のことを心から心配してくれる彼のことを、サトルは泣き出したいほど愛している。
だけどね、シエル。私達の使命からは目を背けることはできないのよ、きっと。サトルは思っていた。自分に言い聞かせるように。
彼の温もりに身を預けながら、
「……体ごと……愛してほしい」
サトルは後ろから抱きしめているシエルに言う。シエルが首を横に振ったのがわかる。
「僕だってそうしたい。君の全てを愛したい。……だけど、君に、あの色の意味がわかるのが怖いんだ。また君を怖い目にあわせてしまう。ごめん、サトル」
彼女を強く抱きしめるシエルに、サトルは言った。
「逃げない。そう決めたの」
身体を重ねることで、お互いに見えたもの、その色の意味が完全に重なってしまう。そのことを彼女は最早恐れてはいなかった。そこに、確かな「覚悟」が見て取れた。
シエルは、サトルの前に回ると、優しくキスをして、
「わかった」
と言った。
「僕も、もう逃げない」
彼女の華奢な身体をそっと抱き上げると、ベッドへと運んだ。
透子も、サトルもシエルも、自分たちにこれから起こってくることは何もわからないけれど、それが自分の「使命」ならば、立ち向かうより仕方ない。そう「覚悟」を決めたのだった。
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