第12話「可哀想な子」

「どうぞ。」

 シエルさんがコーヒーをいれてくれた。

「サトルがいないので……コーヒーで、すみません」

「いえ、そんな。いただきます」

 シエルさんのコーヒーも驚くほど美味しかった。この二人は、きっと「本物」を知っている人たちなんだろう。


「知らせたほうがいいのかどうか、僕もサトルも悩んだんです」

 まだ躊躇ためらっているように両手を組んで口元に持って行く。

「何を……ですか?」

 聞いて良いものなのか、こちらも躊躇ためらう。

「単刀直入に言います。あの子は危険です」

「あの子?」

「あの少年です。確か大樹くんといいましたか」

「大樹くんが? 危険? どういうことでしょう?」

「あなたが見ていた彼の色は何色でしたか?」

「この、色だったと……」

 目の前にある色のパネルの1枚を指差す。

「サトルが見た色は、その色ではありませんでした」

 そして、シエルさんはパネルの違う色を指差した。


「サトルが彼を見た時に、彼はこの色を送ってきました」

「送ってきた? ……見えたのではなくて、ですか?」

 シエルさんは首を横に振る。

「サトルは、彼が『ぶつけてきた』のだと言っていました」

 確かに刺激の強そうな色だ。だけど、サトルさんは色の意味はわからなかったはず。

「そこから、彼の色は見えなくなったそうです。そして、帰り際、今度はこの色を、より強い力でぶつけてきた……と」

 そう言いながら、また更に刺激の強そうな色を指で叩いた。悔しそうに。


「サトルさんにも、その色の意味がわかったんですか?」

 シエルさんが首を横に振る。 

「色の意味はわからなかったでしょう。それなのにサトルは物凄く怖かった、と震えながら泣いていました」

「この2つの色は、どういう意味なんですか?」

「とても強い『警戒』と『警告』です。最初の色で、『お前は何者だ?』と。そして別れ際に『邪魔をするな』と伝えたかったんだと思います」

「そんな……」

 あまりに驚いて、気持ちが混乱する。

「それって……その意味は、サトルさんに伝えたんですか? 大丈夫だったんですか?」

「サトルには伝えていません。今の彼女には安静が必要なので。」

「そうですか……」


 そんなことを大樹くんがしていたなんて、何も気付かなかった。大樹くんの色を自分が見間違えていたせいで、サトルさんにそんな苦しい思いをさせてしまっているだなんて……。

「透子さんも、これ以上、彼にかかわらない方がいい」

 いつもより強めな口調でシエルさんは言う。

「自分で何色にもなれる者……彼は、間違いなく『闇』です」

「闇」……こんな近くにいたんだ? 嘘でしょう? だって偶然だもの。たまたま自動販売機の前でお金を落とした子を助けただけ。それとも、もうその時点で「闇」は私に気付いていて、偶然を装っただけなの?

 「こちらから関わろうとしなくても、向こうから来る分にはどうしたらいいんでしょう……?」

 困って、シエルさんに尋ねる。

「なるべく用事を作って、彼を避けるようにして下さい」

「でも……」

「……そうですよね。確かにキリがない。それはわかっているんですが……」

 シエルさんにも答えは見えていない。彼も困り果てていたのだった。

「とにかく、暫くははなるべく関わらないようにして下さい。僕もどうすればいいのか考えてみます」

「わかりました」



 それからはバイト以外の時も、なるべく駅前は通らないようにしていた。大学の図書館で調べ物があるときにも、バイト先を通るバスに乗った。遠回りだけれど、その方が安全だと思ったから。


「それにしても……」と、考える。じゃあ何が狙いであんな「可哀想な子」を演じる必要があったんだろう? いきなりきばいてこないのは何故なんだろう……。



「ねぇ、図書館の前に、こんなの落ちてた」

 梨佳が何かを拾ってくる。

「参考書? 高校入試のやつじゃん」

「使い込んであるねえ。めちゃめちゃ勉強してるじゃん、この子」

 梨佳が感心して言う。

「でも、なんでこんなもんが、うちの学校の図書館前に落ちてるんだろね?」

「ここで勉強してたとか?」

 私が言うと、梨佳はまさかという風に笑った。

「そりゃ無理でしょ幾ら何でも。さすがに部外者は入れないよ」

 確かに、キャンパス内には簡単に入れても、図書館は学生証がないと入れないシステムになっている。

「なんだろうね?」


 梨佳と話していた背後から、いきなり声がした。

「あっ! すみません!」

 声を聞いて心臓が止まるかと思った。大樹くんの声だった。私は振り向かなかった。

「ごめんなさい……それ、僕のなんです」

 梨佳がびっくりして言う。

「え? なんで? なんでキミの参考書がこんなとこに落ちてるの?」

「あ、それが……その……友達が間違って放り込んじゃって……」

 私には気付いてないのか……いや、そんな筈はないだろう。

「どう間違えたら、友達がキミの参考書をこんなとこに放り込む事態になるの?」

 梨佳がいぶかしげに、問い詰める。

「そ、それは……ええと……ふざけてて……あのぉ……」

「もしかして、キミ、いじめられてるとか?」

 大樹くんはその言葉に黙り込んだ。


「どうしよう、この子?」

 梨佳が私に視線を戻したと同時に、大樹くんも初めてこちらを振り返った。

「あ!? 透子さん??」

 その驚きが本当なのか演技なのかはわかりかねた。

「なんでこんなとこにいるの?」

「透子、知ってる子?」

「うん、まあ……」

「あ、もしかして、例の98円の子?」

 梨佳が思い出す。

「え……透子さん、僕のこと話しちゃったんですか?」

「そうそう、透子は、最近キミのことばっかり気にしてたから。」

 梨佳はちょっと楽しそうに言った。

「それにしても、使い込まれた参考書だねぇ。ボロボロじゃない。勉強、できるんだね~」 

 梨佳が感心するように言う。

「いえ、そんなことないです。僕お金持ってないから、同じの何回も使うしかなくて……その……」

「ふーん、それでなのかぁ。お金ないのに勉強できるからいじめられてるの?」

「いじめられてはないのかな……ふざけてのことですよ。」

 大樹くんは作り笑いをして見せた。

 

 梨佳と話している内容は、いつもの「同情」を引くような話で、私に自分を「可哀想な子」だとあらためてアピールしたいように思えてきた。梨佳ではなく、私に、だ。

「どうする? 話を合わせておくか? ……それとも立ち去るか?」少し悩んだけれど、今、冷静に大樹くんを見られる状態で、彼の色を見てみようという気になる。


「大樹くんは、いじめっ子にまで優しいんだね」

 大樹くんに声をかけてみた。

「そ、そんなことないですよ。そもそもいじめられてなんかないですから」

 慌てて両手広げを顔の前で振って、否定したが、何が本当でどこまでが嘘なのかわからなかった。


 彼は私に本当の色を見せてくれるだろうか?

 それとも、サトルさんの時のように激しい攻撃色を投げつけてくるのだろうか?

 私が彼を「闇」だと知っていることに気付かれはしないだろうか?


 そんなことを考えるだけで、体ごと心臓になるのではないかと思うほどドキドキしていた。

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