第11話 疑惑

 年末近くになると、バイトに明け暮れるようになってきて、帰りが遅くなることが多く、駅前には殆ど行かなくなっていた。大学は冬休みに入り、書かなければいけないレポートも沢山出たが、まぁ、そんなに急いで手を付けなくても間に合いそうだし。

 

 思えば、去年の今頃は彼氏がいて、会えなかったクリスマスの埋め合わせデートなんかしてたなぁ。自分から別れを切り出したくせに、何を今更。可笑しくなる。あれから恋愛そのものに興味がなくなっている自分がいて、だけどその分、自分のことに集中できるのはいいことなのかもしれないと思ったりもする。

 


「透子ちゃん、瑞希みずきちゃん、休憩入っていいよ~」

 藤田チーフが声をかけてくれた。前のチーフ、佐伯チーフが辞職してしまった後、赴任してきた新しいチーフ。前チーフと年は変わらないらしいけど、とてもしっかりした感じの男の人で、職場が引き締まったような気がしていた。

「藤田チーフ、感じいいよね」

 休憩室でコーヒーを飲みながら、瑞希に言う。

「イケメンっていうか渋いおじさん? って感じですよね~」

「あはは。渋い。わかるわかる、そんな感じ。おじさんは失礼だけどさ~」

「透子さん狙ってます?」

「もー、ほんっと勘弁して。もー、怖い。キツイ」

 あはははは。二人して笑ったけれど、二人ともあの時の恐怖をまだはっきりとおぼえていた。


 一緒にバイトをしていた高校生。妻帯者でもうすぐ子供が生まれようかという前チーフに言い寄り、愛人になり、彼を妻子から奪った後、消え去った、謎の女の子。何もかも失って職場を去り、それから行方も知れぬ前チーフ。

 全てを失って路上で魂が抜けた人のように座り込んでいた彼のその姿を、実際に見てしまった瑞希のショックも相当大きかったに違いない。


「闇」……あんな者が、また自分のもとに現れるのだろうか。もし、現れたとして、自分にそれが見抜けるのだろうか。シエルさんは言っていた。私には「本当の色」が見えるのだと。先入観なく冷静に見ればわかるはずだと。「闇」はどんな色にも化けられるらしい。じゃあ今は一体何色をしているんだろう? 


「そういえば、私、この前、変なもの見ちゃったんですよね」

 瑞希が思い出したように話しかけてくる。

「駅前のバスターミナルから駅に渡る、すごく短い横断歩道があるじゃないですか」

「ああ、うん」

 バスがターミナルに入ってくる道路上にある、ターミナルと駅を結ぶ横断歩道のことで、長さはほんの2車線ほどだ。安全のため、押しボタン式の信号が設置されている。

「一人のおばあさんがゆっくり渡ってたんですけど、信号が途中で点滅しかけたんですよね。それで、危ないなぁ、大丈夫かなぁ、と思って見てたら……」

 おばあさんと言われて、この前の、あの、人のいいおばあさんのことを思い出す。

「後ろから猛ダッシュで男の子が走って渡ってって、おばあさんの肩にぶつかったんですよ。おばあさんは、よろけて転んで」

「えっ?」

「でもその子は、おばあさんには目もくれず、駅のドアの中に駆け込んで行きました」

「助けたの?」

「助けに行こうとしたんですよ。そしたら駅から男の子が走って出てきて、『大丈夫ですか?!』って助けてました。」

「え? どこが変な話なの?」

「それが……同じ男の子に見えたんですよね」

「え?」

 意味がわかりかねて、再度尋ねる。

「ごめん、どういうこと?」

「おばあさんにぶつかって転ばせて、引き換えして助けたように見えたんです。結構距離が離れてたから、そう見えただけなのかも知れませんけど」

「自分がぶつかって転ばせたから、びっくりして、謝りながら助けたんじゃないの?」

「明らかにぶつかったことには気付いてたと思うのに、知らん顔して一度駅の中に入って行ったんですよ? 同じ子だったとしたら、普通、その場で助けませんか?」

「なんだろうね。妙な話だね。同じ子だとしたら何の意味があるんだろ? 男の子って、小さい子? だったらわからなくもないけど」

「いえ、中学生か高校生に見えました。詰め襟の学生服を着てましたから」

 中学生とおばあさん……どうしてもあの二人をイメージしてしまう。まさか、だ。転んだおばあさんは気の毒だが、大樹くんがそんなことをするはずがない。

「妙な話だね。おばあさんは大丈夫だったのかな?」

「他の人達に支えられてはいましたけど、立ってすぐ歩けてたから多分大丈夫だったんじゃないですかね」

「そうだといいね。……それにしても、もし、それが本当に同じ子で、わざとだとしたら、何が目的だったんだろう……」



 数日後、シエルさんから連絡があった。お店の方に来てくれませんか、という話だった。なんだか深刻そうな声。「ちょっとお話しておきたいことがあるんです」、と言っていた。

 お店は閉まっていた。休憩時間には「CLOSED」の札がかけられているので、あまり気にせず、お店のドアをノックした。奥からシエルさんが出てくる。珍しいことだった。いつもはサトルさんが出迎えてくれるのに。

「すみません。急にお呼び立てしてしまって」

「いえ、それは構いません。暫く来れてなくて、こちらこそすみません。……あの、サトルさんは?」

「ちょっと体調がすぐれなくて、休んでいるんです」

「じゃあ、お店の方は……」

「ええ。休業状態です。僕一人では正確な占いができないので」

「そうですか……」

 サトルさんは身体がどこか悪いのだろうか。この前一緒に買い物に行ったときも、途中で目眩をおこして倒れ込んでしまった。とても華奢な人だが、それも病気のせいなのかもしれない。

 私の心の内を読んだかのように、シエルさんが言った。

「サトルは、元々少し虚弱体質なんです。感受性が強いせいで、よりデリケートにできていて、少し強いショックを受けると動けなくなってしまいます」

「……ショックを受けるようなことがあったんですね」


 あまり深くきいてはいけないことのように感じて、それ以上は追求をしないでおこうと思った。

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