第9話 少年②

 朝から寒い日だった。帰宅する頃には雪が舞っていた。寒がりの私は厚手のコートにマフラー、手袋。それでも寒くてコンビニでホットココアを買って、手を温めながらバスを待っていた。

 「あっ、透子とうこさん」

 振り向くと大樹だいきくんが立っていた。

「あ、ご、ごめんなさい、いきなり名前で呼んじゃった」

 照れたように謝ってくる彼が真面目な少年らしくて、思わず笑った。

「いいよ、名前で。何? 部活帰りか何か?」

 学校帰りにしては遅い時間だった。

「いえ、放課後図書館で勉強してて。」

「そうなんだ。あ、もしかして受験生?」

「はい。中3です」

「そっかぁ。もうすぐだもんね。頑張ってね」


「風邪引かないようにね」と言いかけて、初めて彼の服装に気付く。この寒さの中、学生服だけで、コートどころか手袋もはめていない。

「大樹くん、寒くないの、そんな薄着で?」

 そう言うと彼は情けなさそうに笑った。

「やっぱ寒かったですよね」

「も~、ほら、風邪引かないでよ、受験生」

 私は彼に持っていたココアを手渡した。

「あー、温かい。でも、透子さんが寒くなっちゃいますよね、ごめんなさい。僕、走って帰りますから、大丈夫です」

「いいから。持ってっていいよ」

 私は彼にココアを押し付けた。彼はとても遠慮がちに受け取ると、何度もお礼を言いながら去って行った。

「本当に礼儀正しい子」

 自然に笑顔になっている自分がいた。


 

「ふーん、よくできた子だねぇ」

 梨佳と学食でランチを食べながら大樹くんの話をしていた。

「でもさぁ、何その100円?98円?の返し方」

「わかんないけど……お金持ってないんじゃないかな」

「だって100円だよ、100円。幼稚園児でも持ってない?」

「そうだよねぇ……どんな生活してるんだろう」


 

 駅前のバス停。私はいつの間にか大樹くんの姿を探すようになっていた。

「あっ、こんにちはー。段差気を付けて下さい。僕、荷物持ちますよ」

 少し離れた場所で声がして、振り向くと、おばあさんを手助けしている大樹くんを見つけた。彼はお礼を言われながらそのまま立ち去り、そのおばあさんが私の座るベンチの隣に座った。

 「優しい子ですよね」

 私が話しかけると、おばあさんは微笑んだ。

「あら、見てたのね。そう、大樹くんはとても親切な子でね」

「よくご存知なんですか?」

「よく、ってほどじゃないのよ。時々この辺りで助けて貰うだけなんだけどね」

「そうなんですか」

 誰にでも親切な子なんだなぁ、と感心していると、おばあさんが哀しそうに口を開いた。

「可哀想な子でね。お父さんがお母さんの再婚相手らしいんだけど……どうも、親がお小遣いをあげてないらしいのよ。」

「え?」

「だから時々助けてもらった時にね、ちょっとだけお礼を渡そうとするんだけど、なかなか貰ってくれなくてね。極々たまに100円とか50円とかなら受け取ってくれるんだけど」

「そうなんですか……」

 だからか。だから、あの98円なんだ。あの98円はあの時の彼の全財産で、それを取り上げてしまった自分がとても酷い人間に思えてきた。


 

「それにしても、そんな酷い親ってどうなの? 再婚した本人同士は良くて、子供は邪魔でしかないの?」

 梨佳に憤慨しながら言う。

「知らないよぉ。よその家庭事情なんて。透子も放っときなよ~」

 耳だけこっちに傾けながら、スマホでゲームをし続けている。

「虐待とかされてないよね……。そういう時ってどこに相談するんだっけ?」

 梨佳がスマホから目を離して、私の顔を真顔で見る。

「透子のさ、そういうとこ、いただけない。」

「どういう意味、それ?」

「何でも深入りしようとするとこ。」

「だって放って置けないじゃない!」

「危ないかもしれないじゃん。」

「じゃあ、梨佳なら放っておくの?」

「あたし? んー、関係性次第かなぁ。」

「関係性?」

「自分に関係ある子や、親戚の子、とか?」

「じゃあ、それ以外の子は関係ないから知りません、っていうこと?」

「……透子さぁ、じゃあ、あんたが世の中のそういう子全部助けて回るわけ? 身削って?」

 さすがに梨佳のこの言葉にはカチンときた。

「もういいよ。自分で何とかするから」

「ちょっと透子~、やめた方がいいってば~」

 そう言っている彼女を置き去りにしてしまった。


 何で? 何で誰かのために何かしようとすることがいけないの? 困ってる子を助けてあげたい、って思うことは、当たり前のことじゃないの?

 この時の私は、とにかく真っ直ぐ「善人」でいようとしていた。

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