第6話 壊す

 あんなことがあった後、1週間ぶりにバイト先に行った。

 その間、体調不良を理由に休ませてもらっていたのだが、奈緒と一緒に仕事をするのは、もう無理だと感じていて、今日はバイトを辞めさせてもらいに来たのだ。


 パートリーダーの加藤さんが気がついて駆け寄ってくる。

「透子ちゃん、大丈夫? もういいの?」

「はい。ご心配おかけしました。ええと……」

 佐伯チーフの姿を探す。

「チーフは? 今日はお休みですか?」

「あ~、透子ちゃん、あのね……」

 加藤さんが説明しづらそうにしていると、丁度休憩に入ったパートさん方に囲まれた。みんな口々に心配の言葉をかけてくれる。

 そのうち一人が、

「あんたが休んでる間に大変なことがあったのよ~」

 そう言うと、おばちゃんたちは、うんうんと頷きながら、ちょっと面白がっているように話し始めた。


「佐伯チーフったら、奈緒ちゃんと駆け落ちしちゃってさぁ」

「え?」

 言葉の意味をすぐには理解しかねた。

「『駆け落ち』って、あの『駆け落ち』ですか?」

「そうなのよ~。透子ちゃん休んですぐだったわよね、確か」

 他のおばちゃんに確認するように聞いている。


「朝出勤したら、チーフが来てなくてね、遅刻かな? でも、あのくそ真面目なチーフが連絡してこないなんてことなかったじゃない?」

「そうそう。それで支店長が携帯に電話したのよね。そしたら携帯に出なくてさぁ。仕方ないから家に直接かけたのよ」

「もー、支店長、固まってたわよ。奥さんが泣きながら怒りながら謝ってたらしくて」 

「書き置きがあったみたいよ」

 おばちゃんたちが小声になる。

「彼女のことは本気です。本当にすまない。って」

「判子押した離婚届も置いてあったみたいよ」

「奥さん名義で通帳も作ってて、そこに慰謝料が入ってたんだって~」


「……」

 どうしたらそんなに詳しく知ることができるんだろう? おばちゃんのネットワークに変な感心をしながら、

「だけど、奈緒は高校生ですよね? それって犯罪になるんじゃ……」

 恐る恐る不安を口にする。

 

「奈緒ちゃん、東ニ高の生徒じゃなかったみたいですよ」

 瑞希みずきというバイトの子が話に混ざってきた。大学1年生。学部は違うが、同じ大学の後輩だ。

「私の従妹の友達が、東ニ高に通ってるんですけど、イタリア帰りの子なんかいないって言ってました。そもそも音楽科どころか吹奏楽部すら存在しない、って」

「……どういうこと? 何でそんな嘘つく必要があったの?」

 私は狼狽える。何故? じゃあ奈緒は何者? 何が目的だったの?


 「さぁ? 最初からチーフ狙いだったんですかねぇ。イタリア帰りは他のバイトにマウント取りたかったんじゃないですか?」

 元々、瑞希は奈緒のことを疑っていたらしかった。

「チーフ狙いだって~」

「物好きだねぇ」

 おばちゃんたちが小声で嘲笑っている。


 違う。


 奈緒が「闇」だとすれば、狙いは私だ。

 私の周りのものを破壊して、私に力を見せつけたんだ。

 私を奪い、闇に取り込めなかった代わりに。


 ゾッとした。鳥肌が立った。


 奈緒とチーフがいなくなって、辞める理由がなくなった私はバイトを続けていた。

 チーフと奈緒が「駆け落ち」をして数日後、瑞希が、チーフを見かけたと言ってきた。

「おばちゃんたちに話すとまた勝手な推測話を始めるだろうから、透子さんだけに話しますね」

 そう言って。


 彼は道端に座っていたのだという。へたりこむように。虚ろな目をして。  

 余りの姿に最初誰かわからなかったが、ハッとして立ち止まったのだと。

「どうしたらいいのか正直わかりませんでした」

 彼女は瞬間的に状況を理解して、目を背け、見なかったことにしてその場から逃げ出してしまったらしい。


「……そういうこと、なんでしょうね、きっと」

「……そういうことなんだろうね」

 奈緒は、彼がこれまで積み上げてきたもの全てを奪って、彼を壊して消えたのだ。

「彼女は、一体、何だったんでしょう?」

「闇……」

「え? 透子さん?」

「ううん、なんでもない」


 もしかしたら「奈緒」という実体さえ、本当は存在しなかったのかもしれない。

 そう思うと寒気がした。


 私には、自分が立ち向かわなければならないものの大きさが、全く想像できないでいた。

 どう立ち向かえばいいのかということも。 

 何もかも全くわからなかった。

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