第4話 奈緒②
前期の試験が始まる前にゼミのコンパがあった。私はお酒が強い方ではないし、テスト勉強を本気でやらないとヤバいので一次会終わりで早々に引き上げることに。
凄く早足で歩いてたのだけれど、バスの時間に間に合いそうになくて、諦めて次のバスで帰ることにした。時間を潰すために開いているカフェにでも入ろうと、辺りを見渡す。
と、通りの向こう側に知っている顔を見つける。バイト先の佐伯チーフだ。
「チーフ!」
声をかけようとして、慌ててやめた。彼が隣に女性を連れていたからだ。ニコニコと彼女の方を向いて頷いている。彼女は甘えるように、彼を見上げながら組んだ腕に身体をからませる。
「奈緒?」
遠目にしか見えないけれど、あれは間違いなく奈緒だ。
見てはいけないものを見た感じがして、私は、ほぼ反射的に、彼らに見つからないように身を隠した。
「え? なんで? チーフ、なんで奈緒と一緒なの?」
佐伯チーフは、妻帯者だ。確か、奥さんのお腹には初めての命が宿っていると聞いていた。そのチーフが何故? 何故奈緒と手を繋いで歩いてるんだろう?
嫌な予感がして、私は彼らの後をつけた。気付かれないかドキドキしながら。彼らは、一軒の建物に躊躇することもなくスルッと入った。看板を見てどういう所なのかはわかったけれど、何が起きているのかわからなかった。
いや、考えたくなかったのかもしれない。
試験の間、私はバイトのシフトを入れなかった。余計なことを考えず、勉強に没頭したかったからだ。けれど、そんな器用なことができるはずもなく、当然、あの時のショッキングな光景を何度も思い出してしまう。そのせいにしたくはないけれど、試験は散々で、なんとかかんとか単位を取れたという感じのものばかりだった。
バイトに行く足が重い。けれど、仕送りを自ら最低限で良いと親に宣言して大学進学したからには、働かないとやっていけない。
今日も奈緒とシフトが一緒だった。勿論、佐伯チーフは常勤だ。
仕事中は何事もなかったかのように、いつも通りの仕事をしていた。
「透子ちゃん、奈緒ちゃん、休憩行っていいよー」
別のバイトの子が20分休憩から帰って来たので、私たちも休憩を貰う。他のパートさんたちは、外に買い物に出たとかで、休憩室は奈緒と私だけになった。
気まずい空気を感じさせまいと、大学の友達の失敗談なんかで誤魔化していると、奈緒が笑った。
「透子さん、見てましたよね」
ドキッとした。何と答えていいか迷っていると、奈緒が続ける。
「チーフね、すっごく優しいんですよ~」
「奈緒、自分が何やってるのかわかってる?」
「ほら、やっぱり見てたんだ」
「あ……」
「だって、透子さん、佐伯チーフのこと好きですもんね~?」
彼女の上から目線の言葉に苛立つ。
「チーフのこと、そんな風に見たことないわよ!」
「ホントに? 透子さん、チーフのことばっかり見てるから、てっきりそうなんだと思ってたなぁ」
確かに佐伯チーフのことは好きだ。だけどそれは上司として、人間としてで、恋愛対象として見たことはない。
「上司としては好きよ。だけどそれ以上の感情はないし、第一、チーフには奥さんも生まれてくる子供さんもいるのよ?」
そう言うと、奈緒は私の耳元で囁いた。
「好きなら奪っちゃえばいいんですよ。」
ゾッとした。
もうこの子とは関わらない方がいいと思った。
「私、透子さんのことも凄く好きなんで、嫌われたら辛いなぁ」
「ごめんなさい、私、そういうこと言う子とは仲良くなれない」
そう言うと、私はその場を立ち去ろうとした。
瞬間、私の唇に柔らかいものが触った。
「えっ?」
そう思った時にはもう遅く、私は奈緒にキスされたまま、壁に押し付けられていた。
「私ね、透子さんのことも奪っちゃいたい。」
奈緒の不敵な笑みに、怖くて動けず、暫く彼女にされるがままになっていた。
次第に変な気持ちになっていく自分がいて、
「ほら、透子さんだってそうじゃない。やっぱり似てるんですよ、私たち」
そう言われて、そうなのかもしれない……と思い始めた刹那、シエルさんの言葉を思い出した。
「気を付けて」
私は、全力で奈緒を振り払った。
「違う! 私は、あなたとは違う!」
「なんで? 私のものになって下さいよ〜」
「やめて! こないで!」
怖くて泣きながらドアに突進した。
ショックで座り込んでしまった私にチーフが気付く。
「透子ちゃん? 調子悪いの?」
「いえ、ちょっと……」
この人もあんな風に強引に心を奪われてしまったのだろうか。物凄く気分が悪くなった。
「透子ちゃん? 顔真っ青だよ? もう上がっていいから」
「すみません」
「一人で帰れる? 送って行こうか?」
慌てて頭を振った。今はとにかく関わりたくない。早くここから逃げ出したい。
「通りに出てタクシーを拾います。すみません」
そう言うと、逃げるようにバイト先を後にした。
大通りまで走ったけれど、タクシーには乗らなかった。このまま自分の部屋に帰ると、奈緒のことが一気に襲ってきそうで怖かった。
随分な距離をふらふら歩き続けて、気がつけば、私は「COLOR ENERGIE」の前にいた。時間を見ると、もう閉店間際。今頃行っても迷惑なだけだろう。
そう思って引き返しかけた時、
「透子ちゃん?」
背後からサトルさんの声がして、私は彼女の方を振り返るなり、その場に泣き崩れてしまった。シエルさんも出てきて、驚いて、二人で私を支え、店の中に連れて入ってくれた。
サトルさんが、何も聞かず、ハーブティーを入れてくれる。
「飲んで。少し落ち着けると思う」
私の色を見たサトルさんがシエルさんに伝えたのかもしれない。だから何も聞かないのかもしれない。
シエルさんは、お客さんが帰ったあとも仕事が残っているらしく、
「ゆっくりしていって下さい。サトルが何でも聞いてくれると思いますから」
そう言って奥に引っ込んだ。
サトルさんが入れてくれたハーブティーが私の気持ちを落ち着かせてくれる。
私は、ぽつりぽつりと今回のことを話し始めた。
「違うんです……奈緒がバイセクシュアルだとして、それに対しての偏見があるわけではなくて……LGBTを否定するわけでもないんです……」
ただ悔しくて涙が止まらない。
「だけど、自分の気持ちも聞いてくれないまま、突然心にズカズカ入って来られて……急に……奪われる、というか……凄く、怖くて……」
サトルさんは時々邪魔にならない程度の相槌を打ちながら、静かに聞いてくれた。
全部全部話すと、凄くラクになった。
「もう一杯どう? 最近手に入れた美味しいのがあるの」
私はサトルさんの好意に甘えた。
「はい、凄く可愛らしい味がするのよ」
「可愛らしい味?」
飲んでみて、なるほど、と思った。
「サトルさんはハーブティーが好きなんですね」
「そうね。でもワインも好きなのよ」
「なんかそんな感じ。お洒落で」
「ワイン片手に音楽聞いてる時間なんて最高じゃない?」
「サトルさんは、どんな音楽を聴くんですか?」
興味があった。
「うーん。いろんなジャンルを聴くわねぇ。透子ちゃんは?」
「私は、『Red Snow』とか『Lady's joker』とか、結構ロック系が多いですね。」
「あら、そうなの?! 私も『Red Snow』は凄く好き!」
「ホントに?! サトルさん、ロック聴くイメージないのにー」
「よく言われます」
二人、顔をあわせて笑った。
「SHIORIさんの声がすっごい好きなんですよね~」
「わかるわかる。私も声フェチ」
「歌詞も、なんていうか、最近ありがちな小難しい言葉をいっぱいに詰め込んだ感じじゃなくて、全部聞き慣れた言葉なはずなのに新鮮で、すっと心に入ってくるって言うか」
「うんうん。いいよね~」
サトルさんがニコニコ笑っていて、私は凄く嬉しくなった。ちょっと距離が近づいたみたいで。
シエルさんが顔を出す。
「なんだか、こっちは楽しそうですね」
私は嬉しくて、シエルさんに報告した。
「サトルさんが私が大好きなアーティストが好きだって知って、なんかうれしくなっちゃって」
シエルさんは、ちらっとサトルさんと目配せすると言った。
「……透子さん、試すような真似をしました。申し訳ありません」
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