第59話 奴隷
以前、誠人は証明した。『奴隷』であっても抗うことはできると。
それに発破をかけたのは隆吾自身だ。
ならば、己もまた実践しなくてはならない。恐怖を乗り越えて、負けそうになる心を凌駕し、反逆の決意を胸に立たなければならない。
人は奴隷のままでは終わらないと。
「這いつくばれ……だと?」
一歩踏み出す。
恐るべき重圧によって、指を動かすだけでも全身が軋むかのようだった。
さらに一歩。
歯がガチガチと音を鳴らして、舌が喉の奥で絡まりそうなほどに震える。
もう……一歩。
乱れる視線の糸を、殴るべき相手に焦点させる。
「おれは……いままでも……これからも……おまえに従わない」
「…………ッ」
「いいか……愛羅……おれは怒ってるんだ……だから……」
何度も握りしめたこぶしを、今生で一番強く握り、燃え上がる血流を指の爪の先にまで行き渡らせる。
「むかつくヤツは……ぶん殴る!!」
◇
「バニースーツ、キミは人類の書物について詳しいかな?」
縛られたままのダブルスーツが無表情のまま言った。
さっきまで取り乱していたのがウソのような落ち着きっぷりだった。どうやら彼は、自分の生きがいを奪われたことにも適応したらしい。
つくづく頭の中身が読めないヤツだ。
「地理や俗習などを学ぶために調べたていどだ」
そっけなく返事をすると、ダブルスーツは鼻で笑った。
「キミらしいね。僕はいろいろ読ませてもらったよ。ざっと十万冊ほどね。じつに興味深い内容ばかりだったよ」
「ポケットディメンションをそんな使い方したのか」
あの空間は時間の流れが現実と違う。それだけ膨大な量を読むとなれば、あそこを使う以外に方法はないだろう。
「それで、その読んだ本がなんだ」
「夜長姫と耳男……という小説があってね。ヒメという名の無邪気で残酷な少女と、彼女に反抗する耳男という若い男の話さ」
「唐突だな」
「まあ聞いてくれよ。簡潔に説明するからさ。ヒメは傍若無人でね。耳男の耳を両方切り落としたり、住処に火をつけたり、民が病で死んでいくのを見てケラケラ笑うような子だ」
すでにバニースーツには彼の話がなにと関連しているのか察しがついてきていた。
「そして耳男は、そんな彼女に一泡吹かせるために恐ろしい化け物の像を彫る。そのために、何百という動物の血を浴びるんだ。ヒメの狂気に負けないために、自らも狂気をまとうのさ」
「つまり、イカレ女とイカレ男の戦いということか」
「フフ。最後には耳男はヒメの狂気に負けて、彼女を刺し殺してしまうんだけどね。あれだけ憎くて仕方なかったはずのヒメの死に、耳男は大きなショックを受けて気絶してしまうんだ。愛憎とは、得てして表裏一体なんだろうね」
なにを分かった気になって言っているのか知らないが、得意げな顔をしているダブルスーツはむかつく。
楽しむ心を奪われても、まだこいつはどこか変だ。
「無邪気な悪魔に対して、己のプライドを賭けて戦う男。どうだい? 隆吾と愛羅にも通ずるものがあるんじゃないかな?」
「まさか、このゲームとやらでわざわざ愛羅をラスボスに選んだのは、それを私に言いたったからなんじゃあるまいな」
「……あれぇ? 分かっちゃった? ――おぶふっ!?」
得意げになっていた彼の顔を蹴り飛ばす。
こいつのバカさ加減は一度死んでも治らなかったようだ。
「さっきの質問に答えてやろう。『どうでもいい』……だ」
吐き捨てると、倒れ伏したダブルスーツは仰ぎながら独り言ちた。
「……さて、どうなったかなぁ」
◇
愛羅の人生に“敵”は存在しなかった。
もちろん、反抗的な態度をとってきた人間は山ほどいる。愛羅の横暴を看過できず、目の前で物申したり、大人に報告した者も。
だが、それだけだった。
持ちうる権力の差、人望の差、カリスマの差……なんでもいいが、そのような相手にいつだって愛羅が楽々と勝ってきた。
一度踏みつぶしてやれば、もう牙が折れて愛羅に反抗しなくなった。それに例外はない。
まるで障害にならない者を敵とは呼ばない。認識しない。
愛羅はこれまで、あらゆる存在を支配してきたのだ。
「……ぶん殴る!!」
なのにたったひとりだけ、ずっと歯向かってくる者がいる。
綿貫隆吾。
牙をへし折ってやったはずなのに、それでも折れた牙で幾度となく噛みついてきた異常者。
アプリを手に入れてからは、もはや誰が相手であろうと止まらない機関車のような突進力で、あだなす敵を倒し続けてきた。
愛羅の“奴隷”にならない、ただひとりの“敵”。
どれだけ支配しようとも、必ず反抗してくる。
「は、はは……ハハハ……」
笑いが込み上げてきた。
同時に、へその奥から沸き上がるような興奮を感じる。
もっと立ち上がってほしい。もっと敵意を込めて睨んでほしい。もっと怒りに満ちた言葉をぶつけてほしい。
「ひざまずけ!!」
命令を飛ばすと、隆吾の体がガクッと落ちた。しかし、それも束の間のことで、また立ち上がってくる。
催眠を喰らったことがあるからこそ分かる。これは思考や意識そのものを変転させる悪魔の力だ。いくら抗えるといっても、沸き立つ感情は生のものとなんら変わりはしない。
愛羅の『奴隷』を受けた隆吾が感じている恐怖は『逆らえば殺される』というぐらいの、絶対的で本能的なものであるはず。
常人ならば抗えるわけがない。
なのに、それを何度となく受けて、なぜ立ち上がれるのか。
気が狂ってしまわないのか。
ふいに、彼の口角がニヤリと上がった。
「皮肉なもんだな……愛羅が人を支配するのを止めようとして……おれ自身も人を支配するアプリを使うことになって……そして、最後におれがアプリを捨てて、おまえはその両方を手にしている……」
「……………………」
「だが、そのふたつがあっても……おれを支配することは、おまえにはできない……」
どれだけ悪意に打たれようとも前に進んで来る様は戦車を彷彿とさせた。
けれど、そこが好きだ。
死の恐怖を乗り越えてまで強く求めてくる姿が、愛羅にとってこのうえなく愛おしく感じられた。
「アハハッ!」
楽しくなってきた。
発売前からずっと欲しがっていた物の発売日が目前になったかのような、胸が沸き立つような感覚だ。
「そうだよね」
護身用に持ってきていたバットを持ち上げる。ずっしりと重たい、木製だ。
「そうじゃないと、愛羅だって困るもん」
隆吾の顔色が変わる。
「……テメェ」
これからなにが起きるのか、彼がしているであろう予想はまったく正しい。
愛羅はバットを力の限りに振り回し、隆吾の肩に叩きつけた。
「うぐぅっ……!! うっ……!」
痛みに呻く隆吾に、何度も叩きつける。急所を外して、できるだけ長く苦痛を味わわせるために。
「ほら! なにかしてよ! ただ命令に逆らうだけで勝てるわけないでしょ? 黙ってやられてくれるとでも思ってた?」
「ハァ……ぐっ! がはっ!」
「だから、なにかしてみろって……言ってんだよ!!」
皮膚が裂けて、彼の服に血がにじんでいく。
しかし、死の恐怖と激痛に苛まれてもなお、その双眸から意思は消えていない。
隙を見せたら喉笛を噛み切られそうな殺気があった。狼……餓えた狼のような、ぎらついた目だ。
「……タヌキくん!!」
視界の端で、円華が走ってきていた。
あっちも精神力で催眠の効果に抗ったのか。
いや、隆吾の必死に抗う姿に、催眠に対抗するためのヒントと強い気持ちをもらったおかげだろう。
こうなってくるともはやアプリの優位性は、相手の行動を一時的に止めるぐらいしかない。
「リュウくんを蹴り飛ばせ」
命令を出すと、円華が回し蹴りで隆吾の体に攻撃をした。
「がっ……!?」
「うあああっ! タヌキくん……そんなっ!」
円華の顔が青ざめて、罪悪感にまみれた。
やはり、抗うにもそれなりの猶予が必要になる。瞬間的におこなわれる命令に対しては、抗うのも難しいのだろう。
「焦ったけど……愛羅の勝ちってことには変わりないね。結局、ふたりも揃っててもなにもできないんだから」
「う……うぅ……」
「さっきの『ま』ってさ……円華のことでしょ? 破壊されないようにアプリを置いてくる、なんて日和ったことはしないだろうし。でも、リュウくんのスマホにはアプリが入っていなかった。調べたけど、間違いなくリュウくんのスマホだったのにね。じゃあ、可能性はひとつ」
愛羅は動けない円華に近づいた。
「バニースーツがアプリを移動させた。それしか考えられない」
「う……ああああああああ!!」
「スマホを差し出せ」
円華が攻撃をしかけようとするも、愛羅の命令を受けて急停止した。彼女の手が服のポケットに伸びて、パッと戻る。
だが、もう遅い。
「そこにあるんだ」
膨らみに手を入れて、中身を引っ張り出す。
案の定、スマホだった。
「ロックの解除方法を教えろ」
「い……や……だ……!!」
円華が抗おうとするが、指がロックパターンを描いてしまっている。
それに従うと、あっさりと解錠できた。
「さてさて……お、やっぱりあるじゃん。アプリ」
「くっ……うぐぐぐぐう……!!」
歯噛みする円華。
その後ろで隆吾が立とうとしているが、手遅れだ。
「頑張ったのに、ダメだったね。残念、円華。あんたが大好きなリュウくんは愛羅がもらっていくからさ。世界が愛羅のものになったら、あんたは……どっかのおっさんにでも腰を振りながら愛羅に許しを請い続ける人生をあげるね! さんざん殴ってくれたお礼にさァ! アッハハハハ!」
「あい……らァ……!!」
恨みがましい視線さえ、心地よく感じる。
それでいい。
愛羅にとって邪魔な人間なんて、みんな苦しめばいいんだ。
「じゃあね。削除――――ぐっ!?」
刹那、後ろから羽交い絞めにされた。
首を絞められ、呼吸が止まった。視界がパチリと弾けて、思わず円華のスマホを手放してしまう。
「なっ……が……ぐ……!?」
「させるわけ……ないでしょうが……!!」
「み……さと……!!」
催眠をかけたはずの美里が、血が出るほどにくちびるを噛みながら、愛羅の首を締め上げていた。
まさか、この女まで……『奴隷』に抗うなんて……! なにも見聞きできないように、何重にも命令をして心を壊したはずなのに……!
だから……円華とは違って、隆吾の行動に感化されたわけではないはず……。
「まさか……自力で……!?」
「これ以上……あんたの思い通りになんか……させないわ……!!」
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