第58話 フェアなゲーム

「一度、美里にアプリを消されたんだけどね。そのあと、どういうわけか新しいアプリがインストールされてた。それで、試しに開いてみたら……ダブルスーツからの最後のゲームがどうとか、まあ長々と書いてあったわけ」


 ニヤニヤと笑いながら、愛羅は這いつくばる隆吾を眺めている。

 同じだ。

 牙を失って、彼女に屈するしかなかった日々に逆戻りだ。

 あのとき、アプリを手に入れたからもう一度立ち上がる決心がついた。

 だが、もう抗う術はない。


「……ぅぅ」


『所持者同士は催眠をかけることはできない』

『被催眠者に対して、ふたつ以上の催眠をかけることはできない』


 それらのルールがこのエクスペリメンツ……ゲームの平等さを保っていた。

 そうでなければ、こうして不意打ちをして終わりだ。

 特権を得た人間がいるだけで、ゲームはイジメへと変わる。


「どうせ愛羅のものになってくれないんだから、壊しちゃったほうがいいよね」


 イカレ女が残念そうに笑った。


「愛羅に必要なのはリュウくんだけなのに、リュウくんは愛羅のことを必要に思ってくれない。だけど、もういいよ。また心を折ってあげればいいんだもんね。そしたら、リュウくんも愛羅のことを好きでいてくれるよね」


 どういう理屈かさっぱり分からないが、彼女にとっては決定事項なのだ。

 愛羅はカツカツと足音を立てて、隆吾を見下ろす位置にまでやってきた。だが、こちらからは足しか見えず、彼女がどんな表情をしているかうかがいしれない。


「タヌキくんっ!」


 円華が動こうとするも、


「下がって」


 愛羅の命令が飛んだ瞬間、彼女は苦々しげに一歩ずつきびきびとした動きで後ろへと歩いていった。

 命令には誰であっても逆らえない。

 そのまま遠く離れて、壁に背中をつけた状態で動きが停止した。あれではとっさに手出しができないだろう。


「クソ……!」


 これがおれの辿り着いた結末なのか。

 最初は愛羅たちを改心させるために動いていた。穏当に終わるのなら、それに越したことはないからだ。

 だが、彼女を知るたびに、その無邪気な悪意の底知れなさに恐怖してきた。後天的に悪魔になったのではない。

 なるべくしてなった、生粋の悪意の権化。

 エントロピーが不可逆であるように、彼女のドス黒い性根を洗い流すことはできないのだろう。


 だからせめて、被害は最小限に抑える。

 これ以上、好き勝手はさせない。

 いまもまだ、こぶしだけは強く握られている。牙は折れていない。


「さて、スマホはどこかな」


 ズボンのポケットを探られて、あっさりとスマホが取り上げられた。


「えーっと……あれ。アプリがないじゃん。あれれ?」


 首をかしげる愛羅。


「ダブルスーツ、もしかしてなにかやった? それともバニースーツ?」


 円華に渡したということまでは考えが回っていないらしい。

 にしても、真っ先に疑う相手がダブルスーツか。それもそうか。愛羅にあのチートを渡したのは他でもないダブルスーツだ。愛羅にしたように、隆吾にもなにかしらの特典を与えていてもおかしくない。


 ……そういえば、ダブルスーツはなぜあんなアプリを愛羅にくれてやったんだ?


 隆吾にはなにも与えられていない。それは事前に確かめているし、バニースーツからもなにも言われなかった。

 これが彼の言うゲームならば、面白味が必要なはずだ。

 一方的に蹴って嬲って辱めて終わりだなんて、いったいどこが“おもしろい”んだ。

 もちろん、愛羅と同じ特権がこちらにもある可能性も考えた。しかし、彼女の言葉がほんとうなら、隆吾や円華がアプリを開いたときにも、同様のメッセージが表示されていなければおかしい。

 だから、こちらにはない。

 ダブルスーツが面白味を求めているのなら、こちらにも手があるはずなのに。


「…………」


 ……あるのか?

 この状況を逆転する“なにか”が用意されているというのか?


 ダブルスーツが隆吾を痛めつけるためだけに作ったとしたら、この予想は役に立たない。

 だが、彼が恨みを晴らすためにそんなことをするタイプとは思えない。


「愛羅……」


「ん?」


「おまえが円華にかけた催眠は……なんだ?」


「なんでそんな……いや、教えない。教えたら、なにか悪い予感がする」


 警戒の色を強くした愛羅が、ゆっくりと離れていく。

 クソッ。

 言ってさえくれれば、推理の材料になったのに。

 推論、空論、どちらでもいい。この状況を突破するためのヒントを見つけなければ。


 愛羅が円華にかけた催眠はどうだったか。

 蹴れ、と言われて、円華は隆吾を蹴った。そして、彼女は自分の行動に驚いているようだった。

 これはおそらく『命令』だろう。

 しかし、催眠を認知していれば自我を保てるのは事実だ。

 だとすれば、あんなことが可能だったのは他に『態度:兵士』だろうか。


 次に、隆吾にかけられた催眠だ。

 這いつくばれ、と言われて、抗いがたい衝動によって言葉どおりに行動してしまった。

 そのときの激しい恐怖。それはいまも感じている。

 しかし『命令』ならば恐怖を感じることはないはずだ。

 だとするなら、他に可能だったのは『態度:奴隷』だろう。


「…………」


 愛羅はこちらを怪訝な表情で見つめたまま、固まっていた。


「……なに、その顔」


「…………」


「勝てないって分かってるのに、なんで諦めてない顔してんの。答えて。『アプリの入ったスマホはどこに隠したの!?』」


「……ま、ま、ま……」


 臓腑の奥から、血管が凍りついていくような錯覚に陥った。

 怖い。

 このまま要求どおりにすべて吐いて楽になりたい。

 負けてしまえば楽になれると心が叫びながらも、隆吾はそれをギリギリで噛み殺していた。


「ま、ま、ま……」


「ま? なに? さっさと答えてよ!」


 焦ったように叫ぶ愛羅。


 ほんとうに愛羅のアプリは無敵なのか?

 誰でも催眠をかけられる、完全な上位互換だというのか?

 それをダブルスーツが良しとするだろうか?


 ……そうか。

 これはワンサイドゲームじゃない。


 隆吾は恐怖の炎に意識を向けた。

 愛羅が怖いという感情は、いったいどこから発生している? そう、冷静に分析していく。発生源を探るため、炎に手を突っ込む。

 心が焼かれていく感触。しかし、指先が答えへと触れた。

 彼女に逆らったらダメだ、殺されてしまう……そんな強迫観念が炎の源である。平伏して寛恕を請うこと以外に、助かる術はない。

 それは『奴隷』の感情だ。


「そう……か……」


 いまかけられているのは『命令』ではない。『態度』だ。

 ならば、なぜわざわざ愛羅は“命令しているかのように”声に出して言ったのだろう。『命令』ならば、スマホ内の書き込みでもできたはずだ。

 そっちなら、こちらになんの催眠をかけたかバレずに済む。つまり、声に出すメリットはない。

 そもそも『命令』ができるのはひとつの行動までだ。這いつくばりながら、質問に答えさせるなんてことはできない。永久的にかかるタイプの例外は除いて。


 愛羅は隆吾たちに『命令』を使っていると勘違いさせなければならなかった。


 そんなことをする理由。

 いろいろ思いついたが、シンプルなものがひとつある。


 隆吾は床に手をついて、恐怖という重しに逆らいながら顔を上げた。


「分かった……!」


「な、なんで……っなんで!!」


 苛立ちを隠さない愛羅が、大声で怒鳴った。


「這いつくばれ!!」


 ズシン、と大人百人は乗っているような重さが襲い掛かってきた。

 それは恐怖が感じさせている錯覚にすぎない。

 理解していても、神経すべてがちぎれそうな状況であることに、一切の安らぎをもたらさなかった。


「こと……わる……!!」


「……うっ!」


 きょう、誠人が証明してくれた。

 催眠の効力は本人の強い意志で跳ね返すことができる、と。


「這いつくばれ!! 這いつくばれ!! 這いつくばれぇ!!」


 ズン、ズン、ズン、と全身が重くなっていく。

 骨が鉛に変わり、筋肉が鉄に変わり、脂肪が砂袋に変わったかのようだった。

 それでも、諦めるものか。

 立て、立て、立ち上がれ!!


「おまえ……の……」


「……う、うぅ……」


「アプリは……無敵なんかじゃ……ない……!!」


 必死にひざを折り曲げて、どうにか四つん這いの体勢になる。


「わかったぞ……仕組みが……!!」


「う、う、うぅ……」


「できない……んだろ……」


 膝立ちになりながら、無理やりに笑顔を作る。

 挑発のための、敵意を込めた笑みだ。


「『命令』が……できないんだろ……!?」


「ぐっ……!!」


 図星、といったリアクションを見せた愛羅に、隆吾は畳みかけた。


「なぜなら、おまえのアプリには……『命令』がないんだ!!」


 それ以外の可能性もいくらでも考えられた。

 しかし、現状を変えられる可能性がある答えはこれしかなかった。

 決死の推理。その成否は、愛羅の並々ならぬ憤怒の表情にあらわれている。


「リュウ……くん……!!」


「ゲームは……いつだって……フェアなものだ……!!」

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