第56話 猪突猛進

「バニースーツに頼んで、アプリの権限を彼女に渡す」


「な、なんでだよ!?」


 誠人が目を丸くしながら怒鳴った。

 実際、聞いただけでは意味不明だろう。そこにどんなメリットやリスクがあるのかさえ、よくわからないはずだ。


「アプリを持っていると」


「……おう」


「愛羅を殴れないだろ」


「……………………」


 答えを聞いた誠人は眉間を指でつまみ、首を軽く振った。

 まるで「俺、寝ぼけてんのかな? 聞き間違いか?」とでも言いたげだった。


「……あー?」


「アプリを持っているおれが前線に出るわけにはいかないだろ。だから、ほかのヤツに持ってもらって、おれが殴る」


「愛羅を殴るためだけに、譲ると?」


「うっす」


「円華が返す保証もないのにか?」


「おれは愛羅が殴れればそれでいい」


「テメェ、あいつにむかつきすぎて脳の神経が何本か焼き切れてんじゃねえか?」


 愛羅の狙いは隆吾であることを考えれば、一種のだまし討ちにもなるだろう。彼女にアプリの破壊を狙わせておいて、別方向から円華が催眠を使う。奇襲としては上出来だ。

 唯一の懸念点は、円華だけだが……。


「おれは円華を信用する」


 隆吾のことが好きだからこそ、レベル差がありながらも不利なバトルを受け入れたこともあった。さっきは自ら戦って、けがも負った。

 ……都合のいい証拠を探しているだけかもしれない。

 結局、隆吾自身が円華を信じたいだけだ。仕組まれていたとはいえ、愛羅たちの横暴に抗っているとき、彼女だけが優しくしてくれた。

 その姿がいまだに脳裏に焼きついているだけだ。


「もう一度きくぞ。頼めるか? 円華」


「答えは変わらないよ。タヌキくんが正義のために戦うなら、私が拒否する理由はないからね」


「そうか……よし。バニースーツ!」


 呼びかけると、すぐに白い穴が開いてバニースーツがあらわれた。


「話は聞かせてもらった。アプリの移譲か。それなら、私の力でも可能だろう」


「できれば、ここにいる全員にアプリを渡せればいいんだがな」


「すまないな。それは不可能だ」


「できるなら、とっくにやっているわな」


「これをおこなった場合、権限は円華に移る。円華がおまえにアプリを移譲したいと言わない限り、おまえのところには戻ってこない。それでもいいのか?」


「円華を信じると決めた。構わん、やってくれ」


 このまま彼女がアプリを返さなかったとしても、それでいい。そのときに弄ばれるのはおれだけだ。

 しかし、愛羅を野放しにすることだけはダメだ。あんなヤツにアプリを持たせてしまったら、この世は地獄になる。


 隆吾は責任をとる覚悟だった。

 愛羅があそこまで増長するまえに、もっと早く改心させようとしていれば、こうはならなかったかもしれない。

 これは初志貫徹をなせなかった、せめてもの罪滅ぼしだ。


「できたぞ」


 バニースーツがやや疲れが見える声色で言った。

 傍目にはどれほどの労力があったかは知れないが、エネルギーを使う関係上、並々ならぬものがあるのだろう。

 たしかに、スマホからアプリの表示が消えている。反対に円華のほうの画面にあのアプリがあった。

 こんなアプリから解放されたいと思っていたが、いざ時が来ると寂しいものだ。


「よし、行くぞ。ぶん殴りに」


「テメェ、そればっかだな……」


 呆れる誠人に続いて、光輝も「疲れてるうえにぶちギレてるとき、こうなる」と疲れ気味につぶやいた。


「そうだ、誠人よ」


 バニースーツに話しかけられて、誠人が目を丸くした。


「な、なんだよ……」


「おまえの失った指、治しておこう。ずいぶん反省したようだしな」


「え!?」


 直後、アンバランスだった彼の手の、本来あるべき場所に指があらわれた。

 魔法だ。こんな技術があれば、この世から病気やケガはなくなるだろう。


「ま、マジか……」


 グーとパーを繰り返している誠人は、嬉しそうに微笑んだ。


「……よかった」


 これで彼は戦力として頼りになることだろう。指のあるなしで格闘にもかなりの差が出る。万全ならば、彼はそうそう引けを取らない。


「行くぞ」


 隆吾の声に、全員がうなずく。

 さあ、これが最後の戦いだ。


          ◇


 深夜の廃工場は、学校と同じか、それ以上に不気味だった。

 時刻は午前二時。草木も眠る丑三つ時だ。

 さびれた鉄骨の裏の闇。天井に空いた穴の奥。無造作に置かれた機械類の陰にさえ、なにかが潜んでいるような気がしてくる。

 風に吹かれたなにかが立てる小さな音に、鋭敏になった神経が悲鳴をあげた。


「紆余曲折あったが、最初の大目標に立ち返るとはな」


 隆吾はできるだけ冷静を装いながら、先頭を行く。スマホのライトで目の前を照らしているが、闇を払いきれていない。


「愛羅を止めようとして、アプリを手に入れて、円華と戦うことになって、バトルロイヤルをやって、ダブルスーツを倒して……始まりは一か月そこらなのに、まるで昔のことみたいだな」


 短いあいだにいろいろありすぎた。


「まあ、貴重な経験にはなったが……夏休みがほとんど潰れたことだけはむかつく」


「タヌキくん、ボランティアばっかりしてたもんね。まあ、私もだけど」


 円華が後ろから話しかけてきた。

 ついてくるだけでも精一杯だろうに、彼女は隆吾たちに気遣いをさせないために平気な顔を繕っているようだ。


「でも、来年があるよ」


「その楽しい来年の夏休みを守るために、愛羅をぶん殴りに来たんだ」


「あの子が勝ったとしても、ダブルスーツはいないんでしょ? バニースーツに捕まって……願いってどうなるの?」


「いや、終了条件が達成された時点で自動的に発動するようになっているらしい」


 それに関しては、ここに来るまでにバニースーツが言っていた。

 ゲームマスターはプレイヤーの願いを聞いて、叶える範囲を設定し、世界への影響を最小限に留める。

 つまり、たったひとりの願いで世界が終わるようなことがないようにしているのだ。

 しかし、ダブルスーツはそれを自動に設定した。

 その願いの範囲は地球全体に達するだろう。


「敗ければ、地球すべてが愛羅の王国になる」


「バカみたいにスケールでかくなったね……って言っても、よく分からない神様もどきが出てきてる時点で、些末なことかな」


 神様もどきか。言い得て妙だ。

 宇宙人と呼ぶよりは聞こえがいい。


 暗闇のなかを、アテもなく彷徨う。

 いったいどこで待ち構えているのか、情報がまるでない以上はしらみつぶしに当たるしかない。


「まだ出ねえのかよ……」


 誠人のことばに、隆吾もうなずく。


「歩かせるだけ歩かせて、体力の消耗を狙ってるのかもな」


「だったら、休憩すれば相手から来るんじゃないか」


「そんな単純に――」


 ジャリ……と砂を踏む音が左方向から聞こえた。

 刹那、石が飛んできた。


「うっ!?」


 とっさに腕でガードしたが、重たい衝撃に骨まで痛む。皮膚が裂けて血が出た。


「誰だ!?」


「タヌキ、囲まれたようだ」


 光輝が周囲を警戒しながら、徐々に陣形をとる。

 円華を守る体勢だ。

 彼女が所持者であることを隠す気はない。なぜなら、隆吾が戦うと決めた以上、小細工は足かせになるからだ。


「光輝、何人だ?」


「十人ぐらいかな」


「円華、ヤツらに催眠はかけられるか?」


「まだ姿が見えないから、かけられないよ。だから被催眠者かどうかは、なんとも言えないね」


「そうか。……誠人、頼む」


「おう」


 男三人が背中をあずけて、構えをとった。

 誠人は以前まで仇敵だったというのに、いまは信頼感が強い。何度も負け続けてきたからこそ、彼の強さはよくわかる。

 自分よりはるかに強い敵が味方、か。心強い。


 闇のなかから、人影が飛び掛かってきた。


「うぉぉぉぉぉぉッ!!」


 隆吾はそのうちの一体を投げ飛ばし、二体目に蹴りを叩きこんだ。

 現在、こちらの三人には『兵士』の催眠がかけられている。並みの人間ならば、かなう相手などいないチカラだ。

 相手はどうやら同じ高校生のようだった。見覚えがある。以前、円華との戦いで愛羅とともに救援に来たヤンキー集団だ。


 光輝と誠人が応戦するのを見ながら、隆吾は叫んだ。


「円華! アプリは使えるか!?」


「ひとり使えた……いや、待って! 催眠がかかっている人と、かかってない人が混ざってるのかも!」


「なにッ?」


「特定の誰かにかけようとした瞬間、必ず割り込まれるの!」


「あぁ、そういうことかよ……」


 つまり『かかってない人間』が催眠をかけられそうになったら『かかってる人間』が前に出て、視界を防いで催眠を防御する。

 催眠は視線をあてた対象にかかるようになっている。そして、一度ミスすれば、もう一度どの催眠を使うか選択し直さないといけない。

 仕様を逆手にとった作戦だ。


 わざわざ催眠がかかっていない人員をよこしたのは、こちらが催眠を使って手が塞がるように誘導するため。

 ひとり目があっさりと催眠にかかったのも、この作戦の意図を教えるためだろう。

 動揺して手間取ってるあいだにスマホを奪う手はずだったに違いない。

 地味だが、引っかかったが最後、こちらは敗けていた。


「くっ……こいつら! おれを狙ってやがんな!?」


 考えるに、彼らは「隆吾がアプリを持っているから襲え」と愛羅から命令を受けているのだ。彼女は隆吾たちが所持者を変更したことに気づいていないはずだ。

 しかし、被催眠者は前述したとおり「アプリを使われそうになったら守れ」とも命令を受けているため、奇妙な状況になっている。


「光輝! 誠人! 頼む!」


 隆吾は守りに徹しながら、攻撃を引き受ける。

 パンチやキック、体当たりを全身に食らいながらも、倒れずに踏ん張った。じっと耐えれば、ふたりがなんとかしてくれる。


「ウォラァァァァァ!!」


 ふたりが落ちていたガレキで容赦なく敵の頭を殴りつけていく。

 いや、最悪死ぬだろ……。

 敵の何人かが気づいて応戦しようとしたが、すでに遅い。誠人が持ち前の腕力で押さえつけて、あとは消化試合だった。


 この場に十人あまりの人間が倒れ伏して、奇襲で始まった戦いは終わった。


「タヌキ、いまの攻撃はなにが目的だったと思う?」


 光輝が床に寝ている男子たちを眺めながら、こちらに問いかけた。


「……さあな。おれのスマホを狙ってたのは分かったが」


「そうか……。ムチャな作戦だったとしか思えない」


「相手は愛羅だぞ? あのバカなら、物量で押しつぶすことしか頭にないはずだ」


「あいつの考えていることが分かるようになってきたみたいだな、タヌキ」


「それなりに会話を交わしたから分かる。あいつは策を弄しても、根底にある部分がわがままなガキだから、求める結果は短絡的なものになる」


「いい分析だ。そのまま、あいつの行動を予測していてくれ。僕たちはそれをサポートさせてもらう。さて、寝ているところ悪いが、こいつらに愛羅の居場所を吐いてもらうとしようか」

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