第53話 The game is afoot.(ゲームは続く)

「呼んだけど……別に、ここまで追えなんて言ってないし。ただ負けてほしかっただけなのに」


「動くなよ……いまから顔面をぶん殴ってやるからな」


「それ言われて動かないヤツなんている?」


 息を整えながら、状況を俯瞰する。

 愛羅がなんのアテもなく、こんな場所に逃げるとは思えない。またしても罠かもしれないが、もし罠なら最初からここに向かっていたはずだ。一度、行動エリアの端まで行って人質をとるのはリスクを取る理由がない。

 ならば、わざわざこんな高台に来た理由。

 誰かがここに来るよう誘導した?


「……ッ!」


 隆吾は最後の力を振り絞って、棒のように固くなった足を動かした。

 頭に浮かんだのは、円華を助けるためにダブルスーツがバイクに乗ってやってきた光景だった。

 彼は面白さのためならば平然とルールを破る。裏で手助けもするし、逃走も手伝う。

 ならば、


「いるんだろ……ダブルスーツ!」


 間違いなく愛羅に加担している。

 彼女にしては妙に知恵が働くと薄々思っていた。レベル上げの速さ、所持者であることを誤魔化す裏ワザ、そして数々の作戦。

 愛羅ひとりにできるわけがない。


「――あれ、バレてた?」


 瞬間、愛羅の背後に黒い穴が開いて、そこから二度と見たくない顔があらわれた。

 ダブルスーツ。

 以前から思っていたが、見た目からして黒い穴はポケットディメンションとは別のものだろう。たぶん、瞬間移動のためのチカラだ。


「というわけで、サヨナラ」


 ダブルスーツが愛羅の手を引いて、そそくさと逃げ出そうとした。

 ここに少しでも留まったら負けると分かっているのだ。


「させるわけねえだろ」


 隆吾はアプリを起動して『命令』を打ち込んだ。

 内容は『動かない』。


「は?」


 愛羅が首をひねった。


「こいつにそれが効くわけ……え?」


「ぐっ……!」


 愛羅は目を丸くした。

 信じられない光景だったはずだ。

 ダブルスーツが凍ったかのように制止し、その顔には苦悶の表情が浮かんでいる。


「ま、まさか……」


「テメェ、前におれの催眠にかかってたよな?」


「よく……覚えてたね……!」


「思い返せば、あれは演技してるって感じじゃなかった。明らかに体が勝手に動いてるふうだったもんなァ」


 彼が愛羅の手を掴んでくれたのは好都合だった。動けないのは手も同じだ。万力のようにがっちりと掴み、彼女は逃げることもできない。


「終わったな」


 そう確信しながらも、嫌な予感が拭えなかった。

 一秒だって油断はできない。なぜなら、相手はこのゲームを仕組んだ相手だ。どんなイレギュラーだって考えられる。

 だから、隆吾は全力で走った。

 ダブルスーツがなにか隠しているとしても、それを出させないために。


「困ったよ」


 ダブルスーツはそう笑うと、体からバチッと電流のようなものが弾け散った。

 同時に、彼の足がぎこちなく動き出す。


 やはり『命令』の効果を破っている!

 これがゲームマスターか!


「キミにそんなヒントを与えてしまっていたなんて。だけど――」


「『動くな』!!」


 再度『命令』を与えたが、ダブルスーツが止まったのは一瞬だけだった。

 かけられた瞬間に解除しているのか?


「意味ないよ。じゃあね」


「『愛羅を殴り飛ばせ』」


 ガッ!!


 ダブルスーツのこぶしが愛羅のこめかみを打ち抜き、彼女の華奢な体が軽く吹っ飛んだ。彼女は石畳のうえをゴロゴロと転がって、手足を投げ出した。


「あ、マジ……?」


 予想外だったのだろう。ダブルスーツの顔から余裕が消える。


 彼は催眠が効かないのではない。

 あくまで、効いてから解除しているのだ。

 つまり、解除するまでにわずかなラグができる。

 そのラグのあいだに完遂できる『命令』を出せば、解除しようとしても無駄になるわけだ。


「う……ぁ……」


 地面にぶっ倒れた愛羅は、白目を剥いて意識を飛ばしていた。

 成人男性が本気で振りぬいたこぶしを頭に食らったのだ。すぐに起き上がるなんてできるわけがない。最悪、そのまま気絶するはずだ。


 時間ができた。

 これで追いつく。


 もちろん狙うのは


「ダブルスーツ!!」


 ここで逃がしてはいけない男だ。

 愛羅は美里がなんとかしてくれるだろう。

 隆吾は接近すると同時に『動くな』を使い、ダブルスーツのふところに飛び込んだ。


「だから、殴っても無駄だって」


 侮るダブルスーツ。

 もちろん、殴るつもりはない。


さぁ、実験を始めましょうかNow, let's start the experiment.!!」


 隆吾が唱えた刹那、


「バカなっ……!!」


 世界が崩れて、いつか見たファンキーでファンタジーな世界へと変わった。

 いつものウサギたちがラッパを吹き鳴らしている。

 しかし、バニースーツの姿はない。


「なにをしたんだ!?」


 ダブルスーツは蒼褪めながら、動揺を隠そうともしていない。

 予想外を超えた予想外だったようだ。ただの人間がポケットディメンションを作り出すなんて。

 だが、答えはシンプルだ。


「バニースーツからもらった封筒だ」


「……まさか」


「中には手紙が一枚入っていた。内容はこうだ。『この封筒を持った状態で、唱えるがいい。さぁ、実験を始めましょうかNow, let's start the experiment.。これでおまえも一度だけポケットディメンションを使える』と書かれている」


「自分のエネルギーの一部を込めたわけか……」


「だろうな。このアプリみたいに、非現実的な効果を発揮するものを生み出せるのがおまえたちだ。アプリもポケットディメンションも、本質的には同じものなんだろう。だから、他人にも使えるようにすることができる」


 もらったときはどう使えばいいのかさっぱりだったが、まさか絶好のタイミングがやってくるとは。


「フフッ……」


 ダブルスーツは歯の隙間から笑い声を漏らし、口を弧に歪めていた。


「すごい……たしかにすごいよ! だけどね、ここに送り込んでも無意味だ。キミも見ていたはずだよ? ボクはここから脱出できるんだ」


「…………」


「ダメだよ。最後まで抗ってくれないと。こんな無意味なことをして、キミはいったいなにがしたかったんだい?」


「……ダブルスーツ!!」


 やけくそ気味に、全力で走り出す。狙いは体当たりだ。

 ダブルスーツは失望のまなざしを向けてきた。


「残念だよ。考えることをやめてしまうなんて」


「終わりだ!!」


 彼の腰に組み付き、黒い穴へと押し出す。

 体が宙に浮く感覚と同時に、意識が暗転した。


「――――――――――」


 一面が闇だ。

 まるで泥の中を潜っているかのように、上下左右がハッキリしない。だが、どこかへと流されていることだけは分かる。

 流水プールに潜っている状態が近いだろうか。抗うことは許されず、目的地へと送られるしかない。川面を滑る葉っぱよりも不自由な気分だ。

 だが、行き先にまったく不安はなかった。


 光が訪れたのも、また突然だった。


「ぷはっ!」


 投げ出されると同時に、固いコンクリの感触が全身に痛みを与えてきた。

 錆びたにおいが鼻をついて、よろよろと立ち上がる。

 どこかの廃墟だろうか。月明かりの光線だけがかろうじて差し込むだけで、辺りは一寸先も見えないほどの暗黒だった。


「ど、どうしてここに……!?」


 そう驚いていたのはダブルスーツだった。

 彼は自分で開けた道の行き先もよく分かっていなかったらしい。

 無理もない。

 彼にまったく悟られず、ここに来るよう仕向けたのは隆吾なのだから。


「タヌキ! ……これはキミがやったのか?」


「おいおい焦りすぎだろ。おまえが場所を指定したくせに」


「そうか……! 穴に入る寸前に、行き先を変えるよう『命令』を……!」


「いまさら気づいても遅い。おまえはおれとの知恵比べに負けたんだ」


「ぐっ……!」


「――来ると思っていたぞ。綿貫隆吾」


 声の方向に視線をよこす。

 暗いが、かすかに見える。

 柱に縛り付けられている、バニースーツの姿が。

 どこにでもあるようなロープが身体に巻き付いているが、人外であっても外せないようなものなのだろう。以前、ダブルスーツを捕まえたときのように。

 だが、外部からなら誰でも外せることを円華が証明している。ダブルスーツを助けたときに。


 彼女はクックックッと喉を鳴らして、静かに笑っていた。


「百点だ」


「遅れて悪かった。なかなかダブルスーツが出てこなくてな。だが、おかげで見つけることができた。おまえを解放したら、ダブルスーツを倒せるか?」


「もちろん」


 どうやったのか?

 答えはいたってシンプルだ。

 ダブルスーツが穴に入る寸前『命令』によって、バニースーツのいる場所へと飛ぶよう指示した。

 彼が催眠を破れるのは、かかったあとだ。予防はできない。

 そして、かかったという自覚が必要であることは、何度か試して分かった。

 特定のタイミングで発動するタイプの『命令』ならば、ほぼ確実に遂行ができる。


「このために、おまえをポケットディメンションに連れ込んだんだ」


「……ふ、ふふ……こんな、こんなことで終わらせてたまるか……。こんなに面白いゲームの邪魔はさせない……永遠に続けるんだッ!!」


 などと興奮しているダブルスーツを置いて、隆吾はバニースーツに向かって全速力で走った。

 きょう何度目かのトップスピード。筋肉痛は避けられないだろう。

 それでも、ここですべてを終わらせるにはこれしかない。


「おいおい、せっかちだな」


 ダブルスーツが持ち前の長い足で、すばやく接近してきた。

 すぐに肩のそばへ追いつかれて、弾かれるように距離をとる。

 もう少しでバニースーツに接近できたんだが……。


「ダメだろ。まだスタートの合図もしてない」


「黙ってろ。テメェの負けだ。このエクスペリメンツをここで終わらせる」


 ここでダブルスーツを倒す。

 勝利条件は、バニースーツの解放。

 彼女ならば、ダブルスーツを止められるだろう。

 だが、どうやって接近する?


「ククク……」


 追い込まれていながら、ダブルスーツは愉快そうに声を殺して笑っていた。


「キミだって楽しかっただろう? 平凡な日常では味わえないスリルを体験できたはずだ。ホントは楽しかったんだろう!? なぜ終わらせる!?」


「どきやがれ」


「どくもんか。キミにはしばらく消えてもらう」


「なに?」


 バッ、とダブルスーツは両手を広げると、深く息を吸い込んだ。

 そして、


ゲームを続けようThe game is afoot.!!」


 ――空間が割れた。

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