第52話 飛び降りろ
「マジか……おい! 無事か!?」
円華に駆け寄って、下手に触れずに観察する。
ひたいが割れているようだが、深い傷ではない。引いた血の気が戻っていくのを感じながら、呼びかける。
こういうときに身体を揺らしたりしないほうがいい。
「聞こえるか!? おい!」
「うぅ……た、タヌキ……くん……」
「指、何本に見える?」
「百本……」
「無事か。じゃあな」
「冗談言ったのは悪かったから置いてかないで……」
立ち去ろうとした足を止めて、円華のそばにひざを下ろす。
「で、なにがあった?」
「見たとおりだよ……あとちょっとで追いつけそうだったんだけど、愛羅が催眠を使ったせいでこんなことに……。私は車に轢かれそうになったのをギリギリで避けて、そのせいで電柱に頭を強く打って気絶したみたいだから、その後のことは分からないんだ……」
「美里たちがどっちに行ったか分かるか?」
「混乱の広がってる方向に行けば……たぶん、まだタヌキくんのセンサーの範囲からは出てないと思う……」
となると、横断歩道だろう。そちらにも被害が続いている。
まるで怪獣の足跡だな……。
「いいか。救急車が来るまで頭を動かすなよ。見た目は平気そうだけど、中身がどうなっているか分からないんだからな」
そう言いながら、スマホを操作する。
「オレを追ってきてるマッチョのひとりに、おまえを護衛するように言っておいた。こんなヤバい状況で痴漢も強盗もないだろうが、念のためだ。容態が変わっても困るしな。傷口はハンカチをやるからそれで押さえとけ。あと……」
「……ちょっと過保護すぎるよ」
「なにいってんだ。命がかかってるんだぞ」
「あんなにひどいことしたのに……助けるなんて……」
「黙って安静にしとけ。頼むから」
「フフ……ムチャしないでね」
「あぁ」
サムズアップで返答して、隆吾は戦いの跡を追った。
円華、なぜこんな状況であんなことを言いだすのかと思ったが、彼女なりに不安を覚えていたのだろう。隆吾が自分を嫌ってやしないか、と。それに、過保護に接してもらって甘えが出てしまったのかもしれない。
「どこまで行ったんだ」
アプリを使いながら逃げるにも限度があるはずだ。
破壊のいくつかは『命令』によって引き起こしたとしか思えない。だが、頭を使えばレベルの消費が少ないやり方もあるはずだ。愛羅が弱体化していると考えるのは尚早だろう。
「こっちか……ったく、遠くまで来たな」
走って走って……大きな河川にかかる橋までやってきた。
中央が車道。両端が歩道になっており、手すりは赤い。高さは二十メートルはあるだろうか。見下ろしただけで足がすくむ。
その中央に対立するふたつの人影があった。
美里と愛羅だ。
「ん? 待てよ、ここって……」
スマホでセンサーを眺めながら、この“状況”について思案する。
とりあえず、マッチョたちに現在位置を送りつつ、刺激しないようにゆっくりと近づいた。
どうやら彼女たちは疲労でろくに声も出せないらしい。手すりで体を支えながら、じっと睨み合っている。
「……!」
愛羅がこちらの姿を見止めて、舌打ちをした。
「誠人のヤツ……足止めもできねーのかよ……」
「あいつなら自分から道を譲ったぞ」
「……はぁ?」
「かける催眠を間違えたな。あいつは『奴隷』と……おまえに抗ったんだ」
「くっ…………!」
「逃げ場はないぞ。ここがバトルエリアの端だからな」
ふたりが立ち止まって睨み合っていた理由がそれだ。
エリアの外に出ると強制的に敗北になる。つまり、愛羅はこの橋の向こうへは逃げられない。
詰みだ。
「リュウくん……終わりなわけないでしょ……」
「なに?」
「なんで美里が私を攻撃しないんだって疑問に思わなかった?」
愛羅が手招きした。
すると、鉄柱の陰からスーツ姿の女性があらわれた。会社からの帰りだったのだろう。死人のように蒼褪めている顔と、そのいまにも叫び狂いそうな表情。切羽詰まっていることがありありと見てとれる。
「……なにをした?」
隆吾がたずねると、愛羅はいつもの笑顔で言った。
「ここで『飛び降りろ』って命令したら、この人どうなると思う?」
「どうやって信用させたんだ……」
「カンタンだよ。もうひとりの通りすがりにね、催眠で『頭から血が出るまで鉄柱にぶつける』って命令したんだ。その異常な状況を見て、自分がこれからどんなことになるのか分かってもらえたみたい」
つまり、命令したタイミングで発動するタイプの『命令』をかけたわけか。いや、ややこしいな……。
頭から血を流した人……その姿は見当たらないが、たしかに鉄柱に血痕が見える。
「結論を言うと、人質ってことだね」
「よ、よせ……その人が死んでしまう……」
この女、やると言ったらやりかねない。
いや、実際にやるつもりだろう。隆吾が女性を止めているあいだに、愛羅はこの状況とから脱出できる。
「さ、どうすんの?」
「分かった……なにをすればいい?」
「アプリを消すから、渡して」
アプリをその場で消せ、ではなく、渡せ、か。
自分で削除しなければ、レベルが手に入らないことを知っているようだ。
拒否することはできない。下手に時間稼ぎもおそらく無駄……さきほど、バレていたのを見るに、またやったら即座に『命令』が下るだろう。
「よし……渡す……」
美里が「待って!」と腕を掴んできたが、振り払った。
ここで迷ったらまずい。
「近づかないで。投げて渡して」
「わかった……お姉さん、安心してください。なんとかしますから」
女性は泣きそうになりながら、こくこくと何度もうなずいている。
「だいじょうぶ。お姉さん。そうだ。なんなら、そこのガードレールにでも座ってください。そう、そうです。疲れたでしょう」
と、隆吾の指示どおりに女性がビクビクしつつもガードレールに腰かけようとして、
「動くなッ!!」
愛羅が耳に痛いほどの大声で叫んだ。怒りを眉宇に漂わせて、じっと隆吾のほうを睨んでいる。目を離す気はないようだ。
「リュウくんの考えは読めたよ」
「…………」
「愛羅が出した『命令』は『飛び降りろ』……。つまり、飛び降りるならどこでもいいっていう解釈になるかもしれない」
「……チッ」
「だけど、ホントーにそうかなぁ? もしかしたら『橋から飛び降りろ』かもしれないよぉ?」
「嘘だな。おまえにそこまでの脳みそはない」
そうだ。もしも後者なら、さっき「動くな」と叫んだこととムジュンする。
ハッタリをかましてくるあたり、余裕がないと見える。
さて、こうなったらもう勝ちは決まったような――
「……ッ!?」
やにわに、愛羅が女性に向かって走り出した。
「ま、まずい!」
隆吾も慌てて駆け出す。
もしも女性をフェンスから引っ張り降ろされたら『飛び降りろ』の命令は彼女を死神の待つ川の底へといざなうだろう。
しかし、距離に差がありすぎる。
愛羅からすればせいぜい五メートル。こちらからは十メートルはある。
「間に合わない……!」
手がまるで届かないうちに、愛羅は女性の腕を掴んだ。
「きゃあっ!!」
悲鳴を上げた女性の足が地につく。
「『飛び降りろ』!!」
愛羅の命令が飛んだ。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
手を伸ばしながら、川へと歩き出した女性に駆け寄る。
愛羅、本気で殺すつもりなのか!?
下知を飛ばした愛羅は、またエリアギリギリのところまで距離をとった。
「た、タスケ……っ」
女性がカオを蒼白に変えながら、地獄へつながる落下防止用の欄干に手をかける。その真下には吸い込まれそうになるほどの暗黒をたたえた川が、目も眩むほど一面に広がっている。
催眠が発動した時点で、止める術はない。たとえどれだけ引き止めようと、女性は橋から飛び降りようとするだろう。
いや、待てよ?
「美里!! 力を貸せ!!」
「う、うん!!」
女性が欄干から身を乗り出し、体が宙へと傾く。
振り返った彼女の顔から血の気が引いていき、絶望が瞳を満たした。
重力が死を与える……。
寸前、隆吾は美里とともに彼女が伸ばした腕を引っ張った。
「こっちに『飛び降りろ』!!」
女性は必死にしがみついてくると、欄干に足をかけ、そして――
「あぁっ!」
こちらに『飛び降りた』。
なんともふざけた光景だが、隆吾自身としては心臓がハレツしそうなほどにバクバクと音を立てているほどの緊張感だった。
飛び降りろ……これで正解のはずだ。
着地した女性は、自分の意思でカラダを動かせることに気づいたようだった。
「よし!」
「あ、あ、ありが……」
と女性が感謝の言葉を口にしている後ろで、
「じゃあね」
愛羅が停車していたクルマに乗り込んでいた。
これも囮か!
瞬く間に走り出したクルマは、愛羅を乗せて街へと戻っていった。運転手は彼女の味方か、もしくは催眠を使ったか。
「クソ! 追うぞ!」
通り過ぎようとしたクルマに向かって『兵士』の催眠を送る――代わりに、催眠が可能な人数の限界に達していたのでマッチョをひとり解除した。
そして、クルマが停まったところで運転手に「前のクルマを追ってくれ!」と指示を出した。
美里とともに乗り込み、発進する。
「いつまで追いかけっこさせるつもりなんだ? きょうだけでプールが壊れて、校舎の窓ガラスが割れて、交通事故が多発して……」
「いや、半分アンタでしょうが……」
「あ、そうだっけ……って、見ろよあれ」
クルマが速度を落としていく。
渋滞だった。
目のまえに並ぶ自動車たちの窓から、いったいなにが起きているのかと運転手たちが顔を出している。
その原因について、隆吾は知っていた。
「愛羅があんだけ暴れたから、か……信号も潰してたからなあ」
「え、じゃあ愛羅も?」
「あっ……」
案の定、愛羅はクルマから這い出していた。
この状態では走ったほうが速いだろう。たとえ疲れきっていたとしても。賢明な判断だ。
隆吾はバカ笑いしながら柏手を打った。
「こんだけやって、結局最後はそれかよ! はーっ……おもしろ」
「あんた、前から思ってたけどかなりアタマにキてるでしょ」
「とにかく追うぞ」
いちいちマッチョたちに現在位置を送る身にもなってほしい。
だが、これでもうなにがあっても終わりのはずだ。
仲間はおらず、スタミナも切れて、逃走手段もなくなり、人質もいない。
なだらかな坂を登り、ぜえぜえ喘ぎ、肺が割れそうになったところで、ようやっと頂上にたどりついた。
坂の上は小さな広場になっていた。別段語ることもない、公園と呼ぶにも小さな場所だ。ベンチがふたつほど置いてあるだけ。住居よりやや高いぐらいで、景観がいいわけでもない。
「愛羅!!」
その広場の中心で、因縁と向き合う。
雲間から覗いた月明りが、愛羅の苦虫を嚙み潰したような顔を照らし出した。
「はぁ。しつこっ……ねえ、いつまで追ってくんの?」
「……………………ぉぉおまえが呼んだんだろうがァッ!!」
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