第51話 やりやがった

 間合いを測りながら、隙をうかがう。

 誠人は不動だった。門扉を守るという役目を与えられ、愚直に任務を実行しようとしているようだ。

 このまま待っていたら、愛羅に追いつけない。

 ダメージ覚悟でやるしかない。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 わざとらしく大声を上げて迫ったが、誠人は冷静にこちらを見据えていた。

 このまま殴りかかっても反撃されるだけか。

 そう判断して、


「……ッ!」


 砂を蹴り上げた。

 誠人がとっさに顔を守ったせいで目つぶしは失敗したが、それでいい。


 隆吾は彼に体当たりすると、地面に押し倒した。


「行け!! 美里!!」


 叫ぶと、美里と円華が急いで門扉を開き、校門から駆けだしていった。

 去り際に「無事で!」と心配されたが、骨の一本ぐらいは覚悟しなければ。


「どけタヌキ!!」


 頬を重いこぶしが打つ。奥歯が揺れるような衝撃と、悶絶しそうな痛み。

 それを冷静に分析しながら、隆吾は足をバネのように使って後方に飛んだ。距離をとって、呼吸を整える。


「おまえ、なんで愛羅なんかに協力したんだ」


「奴隷に拒否権なんかあるわけねえだろ……」


「違うな。奴隷でも拒否自体は可能のはずだ。もちろん、それだけの恐怖も感じるようになっているんだろうが」


「ごちゃごちゃうるせえんだよ!!」


 飛んできた右足のローキックをジャンプしてかわし、代わりにパンチを叩きこむ。しかし、すでに誠人は両腕を使ったガードを出していた。

 いくら殴ってもびくともしない。

 彼に倒されるだけだった日々を急速に思い出していく。真正面からぶつかっても、まるで手ごたえがない。

 ……だから、おれはこいつらに歯向かう牙を折られたのだ。


「催眠をかけられている自覚があるおまえなら、抗うことはできたはずだ! おまえ、またなんか脅されてんのか!?」


「く……あああああああああああ!!」


 ドスッ!! と誠人のこぶしが隆吾の左腕を打った。骨にまで響く重たい衝撃が、激痛とともに痺れをもたらす。

 一瞬、指の感覚がイカれた……。


「イッ……てぇ……!」


 やはりパワーに圧倒的な差がある。

 まともにぶつかってはダメだ。

 ならば……教室では使えなかった、柔道の技を見せてやる。死ぬかもしれないが、呪ってくれるなよ。


「ハッ……!」


 誠人のこぶしをあえて受け、


「ぐっ……おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 激痛に耐えながら、その腕を掴み、引っ張った。

 足をかけ、彼の全身を背中に乗せる。


 一本背負い。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 宙に放り投げられた誠人は、コンクリの地面に勢いよく叩きつけられた。

 彼は受け身をとれずに肩を強打した。ボキッ、というにぶい音が皮膚を通して伝わってきた。


「ぎっ……あ……!!」


「クソが……頭かち割ってやる気だったのによ……」


「この……殺人野郎……痛ッ……!」


 誠人の肩の服が破れて、血が出ていた。とはいえ、動かすのに大した支障はないだろう。

 それよりも妙なのは、傷を負わされたというのに怒り狂わないことだ。

 焦燥感……それが彼の目の動きから伝わってくる。


「クソ……タヌキが……!」


 二度目は同じ技は通じないだろう。

 もう打てる手はない。柔道はむかし習っていただけで、今回すんなりとおこなえたのも奇跡みたいなものだ。

 一度校内に戻って武器を探すか? いや、そのあいだに誠人に美里たちを追われたらタイヘンだ。

 ならば、時間を稼いでマッチョたちが来るのを待つか? 待て。おれの体がもつ保証がない。

 どうすれば……。


「ぶっ殺す……!」


「それだけの反抗心がありながら、なんで愛羅に従ったままなんだ!? あいつはおまえを使い潰す気だぞ!」


「無理だ……もう無理なんだよ……」


 誠人の蒼白になった顔面に、脂汗が浮かんでいる。くちびるも紫に染まり、視線は恐怖で揺らいでいた。


「あいつには……もう……」


「なにがあった?」


「あいつ……父さんの形見のギターを……最後の一本を持ち出しやがった!!」


 泣き叫ぶ声に、以前聞いた愛羅の言葉を思い出す。

 そういえば、あいつは「誠人の父親の形見のギターを一本壊してやった」とか楽しそうに語っていた。

 隆吾は構えをとったまま言った。


「だが……おまえ、ギターはやめたんだろ? 形見だからって、世界を愛羅の思い通りにする願いの手助けなんか……」


「俺だけの問題じゃない! 母さんが……あれは、父さんと母さんの思い出のギターなんだ!!」


 声を嗄らし、涙でぐしゃぐしゃになった誠人の目は、すがるかのようだった。

 彼は崩れるように両手をつき、ポタポタと涙をこぼしながら続けた。


「ふたりのギターなんだ……いっしょに買って、いっしょに演奏して……そんな話をいつも楽しそうに笑って話すんだ……」


「…………」


「いまでもすごく苦労をかけてるんだ……だから、あのギターがなくなったなんて知ったら、母さんがどうなるか分からねえんだ!!」


 ガンッ、と叩頭した誠人は、土下座の体勢のまま喉が割れんばかりに叫んだ。


「世界がどうなろうと知ったこっちゃねえんだよ!! 俺は!! 母さんの思い出を守りたいんだァッ!!」


 恥も外聞も捨てた、男の哀願。

 宿敵であったことすら忘れそうになるほど、その姿は憐れみに満ちていた。


「…………」


 隆吾は深く呼吸をして、胸にわだかまった重たい泥のような空気を吐き出した。


「ふざけんなよ」


「…………」


「世界がどうなろうが知ったこっちゃないだァ? こっちこそなァ、平和のためならおまえの母親がどうなろうが知ったこっちゃねえんだよ」


「ぐっ……うぅ……!」


「始めたのはおまえだ。いままでやってきたことのツケが、おまえに回ってきた。それだけだろうが」


「でも、母さんは関係ねェ!」


「いいや、大いにあるね! おまえが愛羅をかばう理由である以上、大有りだ!!」


「ち……違う……!」


「すべておまえのせいだ!!」


「う、うぅ……ああああああああああああああああああああああ!!」


 そして、誠人はさまざまな感情が入り混じった悲痛な声をあげながら、殴りかかってきた。

 良心の呵責に耐えられなくなったか。

 だが、崩壊したメンタルではケンカに勝つことはできない。自ら負けを認めてしまった者に勝利はない。

 よろよろとした足取りから放たれる攻撃は、こどものケンカよりも脆弱だった。


「ふんっ……」


 大ぶりのパンチをいなし、


「ダァッ!!」


 飛び込んできた誠人の顔面に、ずつきを食らわせた。

 ひたいとひたいが激突。

 血を噴き出し、肉が割れたのは――誠人のほうだった。


「が……ぁ……っ!!」


 目を剥いてひっくり返った誠人は、次に頭を押さえてのたうち回った。


「ああっ! うっ……うぅぐぅ……!!」


「昔から頭が固い頭が固いってさんざん言われてきたんだぞ、こっちは。舐めんな」


「ぐっ……クソ……なんで勝てねえんだよ……! いつもなら、真っ向からやりあえば勝てんのに……!」


「おまえが迷ってるからだろ」


「まよっ……?」


 隆吾は誠人の腕を掴み、無理やり立たせた。


「このままじゃダメだってわかってんだろ」


「…………ッ」


「愛羅の言いなりじゃあ、いつまでたっても自由にはなれない。戦えよ! 愛羅の呪縛から解放されて、形見のギターも取り返せる道を考えろよ! それでなにも思いつかなかったなら、プライドを捨てておれたちに相談するぐらいはしろよ!! 本気で母親のことを想っているのなら、最善の道を選びやがれ!!」


「うぅぅぅぅぅうぅぅ……!」


「おまえがするべきことは愛羅に頭を下げて許しを請うことか!? それでなにかが変わるのか? なにも変わらない! これからもギターと母親を人質にとられて、やりたくもないことをやらされるだけだ! それが嫌なら立ち上がれ! 鎖につながれて引っ張られるんじゃなくて、自分の足で歩いてみせろ!!」


「……………………ぅぅ!」


 立ち上がろうとする誠人の動きは、ひどく緩慢だった。まるで地面から鎖が伸びて、彼の体を縛っているかのようだ。

 それでも抗っている。

 愛羅にかけられた……いや、ずっとかけられてきた『奴隷』の呪縛から解放されるために、奥歯が割れんばかりに気張り、筋肉を収縮させ、肺が破裂しそうなほどの大きな呼吸をしている。


「ふぅぐぐぐぐぅ……!!」


「クソッタレ女の手足になって、使い捨てられるままで終わる気か!? このままあいつの言いなりになったとして、この先おまえの大事なものがまた奪われない保証でもあんのか!?」


 奴隷に必要なのは、主に歯向かう勇気。

 支配されたままでは終わらないという覚悟。

 そこからの解放を望むには、自らが変わるしかない。


「そんなに守りたいなら、目を背けずに立ち向かいやがれ!!」


「んぐぅぅぅぅううううううああああああああああああああああああああ!!」


 魂に癒着した異物を剥がすかのような悲痛な叫び。


「ぐ……ぐぐ……!!」


 息を荒げたまま、誠人は震える足を押さえつけていた。

 いまの彼は、頽れた末期の病人のように脆弱に見えた。

 だが、その眼には生者のギラギラとした本能の輝きがあった。奴隷ではなく、自由を手にした男の眼だ。


 静寂。

 そして、


「…………行け」


 彼は絞り出すようなつぶやいた。


「……愛羅を倒せ。タヌキ。俺が自分を抑えているうちに」


 全身の筋肉をガチガチに硬直させている。『奴隷』の効力と、そして与えられた命令に必死に逆らっているのだろう。

 それに加えて、いままでに与えられてきた愛羅への恐怖もある。

 並大抵の精神力では抗えない。

 だが、彼は打ち勝ったのだ。


「行け!!」


「……あぁ!」


 誠人のわきを走り抜き、門を乗り越える。

 その気概と矜持に、尊敬の念を抱きながら……。


 と、住宅街に飛び出したはいいが、


「クソッ……どこ行ったんだよ!?」


 夜の十時で周りに人もいない。道行く人に質問もできないだろう。

 けれど、愛羅の体力でそこまで遠くに行けるとは思えない。早々に美里に捕まっているはずだ。

 と、センサーを忘れていた。

 疲れていると思考が働かない。

 確認しようとスマホに目を向ける。


「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 刹那、甲高い悲鳴が空気をはげしくふるわせた。

 住民たちが窓を開けて、なにごとかと辺りを見回していた。閑静な住宅街であんな声がすれば嫌でも注意を引かれるだろう。しかも、シャレにならない爆発音がしたばかりだ。


「あっちか!?」


 声のした方向へと走る。

 そのさなか、さらに悲鳴がいくつかあがり、続いてドンドンとなにかがぶつかり合う音、大きなものが倒れる音。

 本能的に足が止まりそうになった。進めば確実に目にしたくない光景を見ることになってしまう。

 それでも、隆吾は走った。

 何度目かの角を曲がり、 


「なっ……!?」


 呆然と立ち尽くした。


「おい……嘘だろ……」


 円華が頭から血を流した状態で倒れていた。

 ……だけではない。

 まるで世界がひっくり返ったかのような光景だった。


 車道に面した人通りの多い交差点。

 そこにいる人々はどういうわけか傷だらけだった。自分たちがなぜこんなことになっているのか分かっていないらしく、痛みに悶えながら困惑の言葉を漏らしている。

 そして、車が何台か激突していた。ひしゃげたフロント部分が痛々しい。けがをした運転手が、対向車の中で気絶している運転手を助けようと扉に手をかけている。

 街路樹は倒れ、電柱は曲がり、折れた信号は赤と青を不規則に点滅させていた。

 見ればわかる。

 逃げるためにめちゃくちゃに催眠を行使しまくって、混乱を引き起こしたのだ。


「愛羅……あいつ、やりやがった……!!」


 想像していた中でも最悪の状況。

 地獄が広がっていた。

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