第50話 男のケンカ
突如としてあらわれた円華。
彼女の登場と、その華麗な投げ技にこの場の全員が口をポカンと開けたまま固まっていた。
なんでここにいるんだ!?
「ちょっ……なにしてんの!? 早くあの女をやって!」
愛羅の小悪党じみた下知に、隆吾を捕らえていた手下たちが動いた。
ふたりは挟み込むように別れて、円華に襲い掛かる。
「逃げろ!」
正面からやりあって、彼女が勝てる道理がない。隆吾との戦いでも判断力こそ高かったが、腕っぷしに関しては女の子にすぎなかった。
しかも、それなりに運動経験のある男ふたりに囲まれては手も足も出ないだろう。
なんのためにここに来たのかは知らないが、無謀でしかない。
「逃げろォ!!」
隆吾の叫びに対して、
「…………フッ――」
円華は失笑……ではなく、短く呼吸をした。
次の瞬間、
「――あっ!?」
右手から飛び込んだ男が宙に放り出され、
「おわっ!!」
左手から掴みかかった男が床に引き倒されていた。
「……は?」
なにが起きた?
「なんで!?」
愛羅が身を乗り出し、誠人が彼女をかばいに動いた。
『奴隷』の効果で、勝手に主人を守ってしまったか。おかげで脱出へのルートは確保できた。
「円華、その戦い方は……」
「タヌキくん、話は後!」
円華は隆吾のスマホを手に入れると、すんなりと返してきた。
敵では……ない?
助けてくれたのか?
「さ、逃げるよ」
彼女に連れられて、体育館を出て行く。
後ろから愛羅のギャーギャーと喚く声が聞こえてきた。せっかく捕まえたのに逃げられたのだ。相当くやしいだろう。
これで諦めてくれればいいが、そうはいくまい。
「こっちだよ!」
引っ張られながら、隆吾は考えた。
彼女をこのまま信用していのか?
行った先が罠だったりしないか?
わざわざ助け出しておきながらどん底に叩き落す理由などないだろうが、疑心暗鬼になるのもしかたない。つい最近まで彼女は敵だったのだから。
「ひ~! 到着!」
息を荒げながら辿り着いた、学校の近所にある小さな公園だった。
遊具もブランコぐらいしかなく、あとは木とぽつんと生えているぐらいの殺風景な場所だ。
「あっ!」
と、ブランコに座っていた人影が駆け寄ってきた。
美里だった。
「タヌキ、よかった。無事だった。円華、だいじょうぶだったの?」
「ちょっとやばかったかな。でも、やっぱり思ったとおり強力だったね~」
「そっか。まあ、成功したならよかったわ」
と、親しげに話すふたりに隆吾は「待て待て待て」と割り込んだ。
「どういうことだ? 美里」
「悪かったわね、タヌキ。円華と組んでたことを黙ってて」
「……っつーことは」
「そう」
美里が取り出したスマホの画面には、催眠アプリ――エクスペリメンツが入っていた。
「私も選ばれてたのよ」
さっきの円華の華麗な動きについて思い当たるフシがあった。それは『兵士』だ。流れるような柔術の動きをおこなえるのは、唯一戦闘に特化した催眠しかない。
「一応、最後まで隠しておこうと思ってたんだけど」
「センサーに引っかからなかったのは……」
「円華に渡してたから」
どいつもこいつも同じ手を使いやがって。おれの知らないところで裏ワザの大辞典でも売ってるのか?
などと思うものの、おかげで助かったのも事実。
では彼女にかけていた『友人』の催眠はどうなったかというと、同じ所持者にかけても『アプリにはかかった状態になっているが、実際にはかかっていない』ということになる。
そんな話を、まだ正体を隠していた光輝の電話から聞いたのを思い出した。
「なるほど。敵を騙すにはまず味方からってわけか」
「ん? いや、報告するの忘れてた」
「報・連・相!!」
「眠る前とかに思い出すんだけど、次の日になると忘れてるんだよね」
「
「忘れないように書いたメモも寝相悪くてどっか行ったし」
「
「その四字熟語を連呼するのはなに?」
「
「それはただの四文字」
過ぎたことをくよくよしてもしかたがない。
美里がアプリを持っているということは、
「円華はアプリを持ってないのか」
「うん、そうだよ。美里に頼まれたんだよね。レベルの上げ方を熟知してるアンタに手伝ってほしいって」
「レベルは?」
「『102』だね。で、私には『兵士』の催眠がかけてあるの」
「異常な速度だな。おまえにメリットがあったのか?」
「ないよ? タヌキくんが勝てるようにサポートするつもりだから、願いを叶えられるわけでもないしね」
「じゃあ、なんで……」
「美里と同じ気持ちなんだ。ほかの人が勝って願いを叶えるより、タヌキくんに勝ってもらったほうが世界は平和だと思う」
「そりゃあ……たしかに、おれは世界を揺るがすような願いを叶えたりはしないけども。いや、礼を言うのが先だな。ありがとう。おれを助けるためにいろいろ頑張ってくれて」
「嬉しい!」
円華はぴょんと飛び跳ねると、ぎゅーっと抱きしめてきた。
同時に、胸部に彼女のあたまがぶつかり、骨がきしんだ音がした。
「うごっ……!」
「こっちこそありがとう、タヌキくん。してきたことの罪はちゃんと償うから」
罪を増やしながら言うことか。
「それにしても、罠だと分かってて愛羅を助けに行くなんて、私が見込んだとおりの人だったね」
「万が一があるだろ」
「そうだよね。うん。……やっぱり、タヌキくんは私のヒーローだ」
そうつぶやいた円華は、ちいさい子供のようだった。
大人びて見えた彼女のなかにあった幼い部分。おそらく、隆吾以外に向けたことないであろう“甘え”がここにあった。
愛羅とは別ベクトルの甘え方だ。
「気はすんだか? 暑いから離れてくれよ」
「もうちょっとだけ」
「美里、こいつを剥がしてくれ」
頼むと、美里は肩をすくめて「はいはい」と応じた。
抱擁――というよりほぼベアハッグ状態からようやく解放されて、首筋に溢れていた汗をそでで拭った。
「……助かった、美里」
「変なのにばっか好かれるわよね、タヌキって」
「だよな。おれはいたってフツーなのに」
「アンタが基準だったら人類はみな狂人よ。それより、さっさと家に帰ったほうがいいんじゃない? きょうはもうできることはないでしょ」
「いや、学校に戻る」
「ちょ、なに言ってんの!?」
美里はすっとんきょうな声を上げると、噛みつくように顔を突き出した。
「でかい音を立てたから人が来るでしょ? それに、爆発で気絶した人たちもそろそろ目を覚ましてるころのはずよ」
「なんであれがおれの仕業だって知ってんだ」
「見てたのよ」
「だったら、誠人に連れ去られてるあいだに助けてくれてもよかったのに」
「爆発でアタシたちもちょっと意識が飛んだのよ」
「すまんかった……」
プールの状況を確認できる位置となると、それなりに近い場所のはずだ。あの爆発音をもろに受けて気絶していたのも無理はない。
あの作戦は失敗だったような気がしているが、手っ取り早く人数を減らす方法はあれしかなかったのだ。
「で、どうして学校に戻るの?」
「おれは逆だと思った。人が集まってくるのなら、愛羅は逃げるはず。あの爆発の首謀者だと思われたら厄介だからな。そして、ほかの所持者たちもバラバラになって逃げるだろう。つまり、愛羅が孤立するいまが追撃のチャンスなんだ」
「人が集まってきた状態で戦ったら、タヌキもやばいじゃん!」
「目撃した人には悪いが、おれを見た記憶だけを消去すればいい。エクスペリメンツを終わらせるための必要な犠牲だ。ついでに訊いておこうか。円華、記憶の消去は、消す範囲によって消費レベルが変わるのか?」
問いかけると、彼女は「うん」とうなずいた。
「あんまり広い範囲だと百以上使うことになるけど、ほんの数分ぐらいなら、大して消費しないね。愛羅で試したことがあるから間違いないよ」
愛羅をボコボコにしたときのことか。
だが、これで仮定ではなくなった。記憶消去は消す範囲によって消費レベルが変わる。
まあ、その情報がなくてもやることは変わらなかったが……。
「おれは愛羅を追撃する」
「策はあるの?」
と言ってきた美里に、スマホの画面を見せた。
「一応、校内に置いてきてしまったマッチョたちのスマホにやるべきことをメッセージで送った」
「へえ、じゃあ安心だ」
「みんな既読がついてない」
「ダメじゃん!!」
「よっしゃ行くぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「どこらへんにそのテンション出せる要素あったの!?」
ざわめきが聞こえてきた校舎の前に近づく。やはり、人が集まってきていた。とはいえ夜中だからか、それほど人は多くない。
せいぜい三十人……といったところだろうか。
ダブルスーツがなんとかしてくれるから警察や消防、あとはマスコミなんかも来たりはしないはずだ。
「こっちじゃないな。反対側に回ろう」
「もう愛羅たちは出たんじゃないの?」
「いや、いまになってマッチョのひとりから連絡が来た。どうやらまだ校内にいるらしい。出口に向かって動いてる」
「なら、急いだほうがいいわね」
校内に入り、一直線に裏手の校門へと駆ける。
マッチョたちにはどこへ向かうかメッセージを送ってあるが、おそらく追いつかないだろう。
「……!」
目的の背中はすぐに見えた。
「げっ……!」
愛羅が振り返って、走り出した。
彼女を守るために誠人が仁王立ちになって構える。
「円華! やれ!」
「『兵士』の出番だね!」
砂を蹴飛ばして前に出た円華は、地面を滑り、腰だめにこぶしを構えた。
空手の突きだ。
誠人はそれを見て、腰を深く落とした。おそらく反撃を狙っているのだろうが、さすがに『兵士』相手では勝てまい。
「セイッ!!」
細い腕からキレイな正拳突きが放たれた瞬間、
「フンッ」
誠人はそれを受け流して、彼女の背中に両手を組んだコブシ――ダブルスレッジハンマーを叩きこんだ。
「あぶふっ……!?」
肺の空気を一気に吐き出したのだろう。目を剥いて地面に倒れた円華は、げほっげほっと咳き込んだまま立ち上がれなくなっていた。
おいおいマジかよ……。
強化されていても、しょせんは素の能力はただの女の子。鍛えているうえにケンカの経験もある男には歯が立たないか。
「でも、もう少し粘ってくれたらよかったのになぁ……」
呆れのため息をつく。
誠人は追撃はせずに、ゆいいつの通り道である校門の門扉を閉めてしまった。愛羅の姿はとっくに離れてしまっていた。
彼女に追いつける猶予はあまり残されていない。
「美里。ここはおれがなんとかする。円華と追え」
「えっ……わ、わかった」
四の五の言わずに即諾してくれるとはありがたい。
円華を無理やり立たせて、美里に任せる。
「さあ、来いよ誠人」
「…………」
そでをまくって、ケンカの構えをとった。
対して宿敵は、諦めの境地のように冷たい双眸で、どこか遠くを見ている。
「もう不意打ちなんかしねえよ。真っ向から殴り倒してやる」
「タヌキ……」
「勝負だ、誠人ォ!!」
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