第45話 ニューゲーム+

 嫌な予感は的中していたらしい。

 放言してはばからないダブルスーツは、両手を広げて天を仰いでいた。絶頂に達するかのように恍惚に、そして喜悦の混じった笑みを浮かべている。

 気色の悪さでめまいがしてきた。


「なんでゲームを続けられる? 一度決着のついたゲームは、もう結果を変えることはできないはずだ」


『そのとおり。だけど、これはニューゲームさ! 新しく始めれば、なんの問題もないんだよねえ』


 屁理屈がすぎる。

 隆吾のレベルが続投している以上、詭弁でしかない。だというのに、ダブルスーツの顔に欺瞞の色はまったくなかった。


『じゃあ、さっそくルールを説明しよう』


「従う気はねェ」


『従わなくても、相手から寄ってくるんだけどね。まあ聞いてよ』


 ダブルスーツは、まるで幼児が好きな本の内容を親に語るときのように楽し気に放し始めた。


『今回の参加人数は“100人”!』


「……は?」


 脳が理解を拒んだ。

 そんなこともお構いなしに彼は話を続ける。


『最後のひとりになれば、どんな願いも叶う! もちろん、隠れていてもいいし、戦ってもいい。倒す方法はひとつ。相手のエクスペリメンツを消去、もしくはそれが入っている端末を破壊することだ。

 相手を脱落させれば、相手が持っていたレベルの半分を手に入れることができる。つまり、戦うことも重要なゲームなのさ。催眠をかけられた人間がプレイヤーを脱落させても、かけた人間にレベルが行くよ』


 基本的なルールは円華と戦っていたときと同じらしいが、後半はかなり物騒なものが追加されている。

 よっぽど戦ってほしいらしい。


『ちなみに、参加者はすべてこの町の人間だ。もしエリアの外に逃げたら強制的に敗北したことになってアプリが消えるから注意してね。ちなみに、仕事や学校の活動でゲームの時間が取れない人は選んでないから』


「おい、待てよ……」


『そう。町中に散らばった参加者を見つけるのは難しいだろうね』


 隆吾が考えていたことを、ダブルスーツは得意げに語った。


『そこで追加ルールさ。お互いの位置があるていど近くなると、アプリ内で対象の居場所とレベルが分かるようになっているんだ』


「マジかよ……」


『これはレベルによって、探知の範囲が変わるんだ。レベル『1』の段階では二十メートル。『50』で百メートル。『100』を超えると、二百メートルさ』


「それは……敵から探知される距離か?」


『それもあるけど、自身もそれぐらいの範囲を探知できるよ。レベルを上げれば上げるほどに戦いやすく、そして敵を探知しやすくなるってことだね。ちなみに、時間がたてばたつほどに範囲は広がっていくよ』


 俺より強い奴が会いに来る、って感じか。

 想像すると恐ろしいが、おそらくこちらよりレベルの高い人間はいないだろう。さすがにノーヒントでこのレベルに到達する人間はいないはずだ。

 しかも、善行をするにもハデにはできない。隆吾がアプリを手に入れてすぐのあいだは消極的だったように、参加者たちも自分が所持者であることがバレないように行動を控えているに違いない。


「俺に有利すぎるな」


『そう思って、参加者たちにはキミの情報をリークしてあるんだ。レベル『100』超えのハイバリューターゲットHVTがいる。倒せば、大幅レベルアップだってね。もちろん、おおまかな生活圏と身体的特徴も教えておいたよ』


「プライバシーの侵害だろ!」


『これぐらいは当然の措置だよ。じゃないと、面白くない』


「警察沙汰になったらどうするつもりだ?」


『そうならないようにこっちもうまくやってあるから心配いらないよ。好きなだけ相手をボコボコにしてくれ! ゲームに関連することならすべて不問になる、そう解釈してくれていい』


「ならよかった」


 隆吾はパンク男のスマホを地面に叩きつけると、シャベルでガンガンと殴りつけて、破壊した。


「あぁ……」


 自身の所有物を粉々にされた憐れな男は、嘆くような声をこぼすと、がっくりと肩を落とした。完全に戦意喪失している。

 アプリを確認すると、たしかにレベルが上がっていた。『160』が『170』になっている。


「……なるほど」


『これでチュートリアルはすべて完了したようだね?』


「テメェ、わざとおれとコイツが接敵するタイミングでスタートしやがったな?」


『それはどうかなぁ? でも、面白かっただろ?』


 なにが面白いんだ。

 ただでさえ日差しが暑いのに、動いたら余計に暑くなってきた。もう難しいことは考えたくない。

 だが、最後に訊かなければならないことがある。


「バニースーツはどこへやった?」


『彼女は一時的に預かってあるよ』


「なぜ?」


『キミがバニーに願いを言ったら、このゲームを強制終了させられるかもしれないじゃないか! そんなの、許せないよねぇ!?』


「分かった。もう十分だ。おまえは必ず潰す」


『すごく……楽しみだよ! なにをしてくれるのか、いまからワクワクが止まらないんだ! タヌキ、キミは最高だよ! ハハハハハハハハハッ!』


 前はボロクソに貶してくれた覚えがあるが、もはや返事をする気力もない。


「見てろ」


『まずはなにを見せてくれるのかな?』


「きょう中に人数を半分にしてやる」


『そりゃすごい。でも、ほんとにできるのかな?』


「できるさ」


          ◇


 満藤しずるは初めて神がいることを知った。

 あの日会った、ダブルスーツとかいう不審者がくれたもの……。

 手元にある『エクスペリメンツ』という名の催眠アプリの効果が本物であることを知ってから、しずるにとってのクソッタレな日常は終わりを告げたのだ。


「これさえあれば……」


 学生生活の中でため込んでいた欲求。

 それを解放する鍵が、この手の中にある。

 もはや節義を守る必要なんてない。頭の中に蔓延する妄想も、妄想ではなくなるのだから。


「ヒヒヒ……」


 現在、しずるは狭い路地のなかで、通りを歩いていた女性を追い詰めていた。


「い、イヤ……!」


 彼女は恐怖の色を顔にき、背を壁に張り付けている。

 日頃から日焼け止めを塗り、日傘を差して歩いている彼女の肌は白い。この夏の日差しの中でもひときわ白く輝いて見えた。

 

「来ないで……!」


「そうだよ。そうやって怯えてほしいんだ」


 しずるにとって、この反応こそが求めていたものだ。

 怯え、怒り、嫌悪したあとに催眠によって無理やり感情を書き換えられる姿。それがなによりもしずるを興奮させてくれるものなのだ。


「怯えろ!!」


「ヒッ……! だ、だれ……か……たすけて……」


 彼女の声はかすれていた。

 恐怖で声がうわずり、大きな声が出ないのだろう。

 ついには目尻に真珠のような涙が浮かんで、あっけなく零れ落ちた。


「ヒヒ、ヒヒヒヒヒッ……!」


 しずるは興奮の頂点に達していた。

 これで十分だ。この泣いて許しを請う女が、ほんの数秒で俺に媚びて愛を囁くようになるなんて、まったく最高じゃないか。


「じゃあ、なってもらおうかな……俺の、恋人にィィィィィ」


 アプリから『態度:恋人』を選択した。

 瞬間、女性はぎこちなく硬直したかと思うと、すぐに目の色が――


 キィィィィィィィィィ


 ――急ブレーキを踏む音が背後で響いた。


「……え?」


 しずるは思わず振り返った。

 狭い路地の向こう。大通りから見える一台のバンが、先ほどの騒々しいブレーキ音の正体であることに気づいた。


 ……なんだ、ただの迷惑運転か。


 そう思い、女性に振り向く寸前、見た。


 バンのバックドアが勢いよく開き、そこから、


「……!?」


 見るからに屈強な男たちが六人、のしのしと降りてきたのだった。

 筋肉は盛り上がり、シャツが悲鳴をあげていそうなほどに張り詰め、その双眸は誰も彼もが血走っていた。

 しかも……まっすぐにこちらを向いている。


「え……?」


 彼らの後ろから青年があらわれ、しずるを指差した。


「所持者だ!! ぶち殺せ!!」


「サー!!」


 筋肉男たちは即座に命令に従い、ドスドスドスドスと恐ろしい足音をたてて駆け寄ってきた。


「う、うあああ!! マッチョの群れがこっちに来るゥゥゥゥゥゥゥ!!」


 逃げなければ……!

 そう判断したしずるだったが、激しい恐怖によって足がすくんでしまっていた。

 ムチムチの筋肉男たちがしずるを取り囲み、掴みかかる。

 この間、わずか十秒にも満たなかっただろう。


「やめてくれェェェェェェェ!!」


 体のあちこちを屈強な男たちにまさぐられながら、しずるは泣き叫んでいた。

 服を脱がされ、パンツも下ろされ、炎天下に裸で放り出される。


「ヒイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」


「ありました。スマホです」


 マッチョのひとりが青年に報告すると、


「壊せ」


「サー!」


 しずるが「待って」と言い終わる前に、マッチョはスマホを全力でコンクリートの地面に叩きつけた。

 ガチンという無事ではすまない音がして、スマホが跳ね返り、大きく飛び上がる。


「ま、待って! やめて! お願いですから! お、お、俺にはまだ脅迫したい女が残ってるんだからァァァァァァァァ!!」


 しずるの懇願も聞かず、マッチョたちは的確に、迅速に、スマホを粉々に破砕したのだった。


「帰るぞ」


「サー! イエッサー!」


 マッチョメンと青年がバンに引き返し、どこかへ走り去っていった。

 残されたのはしずると、女性。

 そして、ベキベキに折れ曲がり、部品もどこかへと飛んでいっている、見るも無残なスマホだけだった。


「ひ、ひどい……俺がなにしたっていうんだ……! ただ、ちょっとだけ気に入った女を弄んだだけなのに……ぁあんまりだァァァァァァガハッ?!」


 言い終わる前に、女性が叩きつけたコンクリブロックがしずるの頭上に直撃し、彼の口を物理的にも塞いだのだった。


          ◇


「今ので二十人目、か」


 隆吾は現在、バンで移動しながら、アプリの範囲に引っかかった所持者を片っ端から狩っていた。

 もちろん、このバンは催眠をかけたマッチョの物である。

 時刻は午後の七時をまわっている。

 だいたい、十分かニ十分にひとり倒しているペースだ。

 真夏とはいえ、この時間帯になると空は暗くなり始める。夜の冷たいにおいが鼻腔をついた。


「催眠によって『兵士』を与えたマッチョを仲間にすれば、大概の事態には対処できる。だが、五十人には届きそうにねぇか」


 本来想定していないであろうペースによって、隆吾のレベルは『265』になっている。

 相手のレベルを奪える以上、予想では『300』をゆうに超えるはずだったが、どうやらペナルティが発生しているせいでかなり減っているらしい。

 所持者を攻撃したことも一回や二回ではないので、当然か。


 手に入れたのは『催眠可能人数:9人』だけだった。


 アプリから、残りの所持者の数を調べる。

 ダブルスーツの説明はなかったが、これは範囲内の所持者を調べる画面に表示されている。

 どこで誰が倒されたかも曖昧ファジーではあるが、知ることができた。


「現在の人数は『五十二人』……」


『すごい速さで減っているね』


 突然、スマホのスピーカーからダブルスーツの声が響いて、驚きで目が覚めた。


「いきなりしゃべるなよ……全滅はさすがに無理だったか。だが、半分にはしてやったぜ」


 レベル上げと、アプリの慣れの期間があったからこその減りだろう。

 それでも残りが五十人もいることになるが……。


『こちらとしても、あんなに頑張って集めたのにもう半分まで減って、気分が落ち込んじゃうよ……もっと楽しみたかったのに』


「それはよかった。もっと落ち込ませてやる」


『でも、信じているんだ。きょうを生き残ったみんなは、明日にもっと面白いことをしてくれるんだって!』


「いや、明日も今日と同じ日になる」

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