4章 愛羅姫と狸男
第44話 おかえり非日常
八月の二十日。
明日が登校日だが、そんなものが未だに残っている学校も珍しいだろう。一時間ほどホームルームなどで時間をとって、なにかするらしいが、どうせ大したこともないに違いない。
それにしても、今年はひどい暑さの夏だった。
さしもの夏の風物詩たるセミも、どうやら熱で死滅したらしい。鳴き声をまるで聞かなかった。
隆吾はそのあいだ、ダブルスーツを警戒してアプリのレベル上げをしていた。
「これで……えっと、レベル『160』か……」
人を対象にしたボランティアをおこなうことで効率的にレベルを上げてきたが、ここまで来ると手に入るものもかなり少なくなってくる。
『催眠可能人数:7人』『態度:トランス、憤怒、憧れ』『命令レベル5』
「な、なんで『60』も上げてこれだけなんだよ……」
「ネタ切れだ」
隣に座っているバニースーツがすげなく言った。
隆吾はいま、ボランティアが終わってベンチで休憩している最中だった。ちょうどそこにバニースーツがやってきたというわけだ。
この二週間余り姿をあらわさなかったのに、こうしていきなり出てきた理由はいったいなんなのか。
「……ネタ切れって」
「本来ならレベル『100』で終わりのつもりだったのだ」
「じゃあ、これから上げてもあまり旨味はないのか?」
「あるにはあるが、無理して上げる必要はない」
「どちらにしても上げないといけないんだから、やる気が上げるようなこと言ってくれよ」
「『200』まで行ったら私が脱ぐ」
「おおっ! ……いや、いいや」
「なにっ!?」
珍しく、バニースーツが目を剥いてたじろいだ。
「な、なぜだ……私はこんなにも美しいのに!」
「だって、美を追求しすぎて人間味がないんだもの。エロくないんだもの」
「えっ」
「人の皮を被ったロボットみたいなんだよね」
「う……ぐぐ……」
「人を模倣しようとしたが、生物らしさを備えられなかった。人外らしいと言える」
「人が美しいと思う要素をすべて入れたのに……」
「ラーメンにハンバーグとアイスクリームを入れたようなもんだな」
しかし、逆にダブルスーツは見たまんま人間だった。
それはなぜだろう。
バニースーツよりも人を観察することに長けていたのだろうか。彼女以上に人間を楽しんでいたから、それだけ細部を知り尽くしていたのだろうか。
数か月も学校の生徒として違和感なく溶け込んでいた男だ。不思議ではない。
「そういえば……バニースーツ、おまえのエクスペリメンツというのは成功だったか? 手に余るほどの自由を与えれば、本性が見える……って」
「やはり、興味深い結果で終わった。私利私欲のために一度くらい使うことを想定していたが……おまえは
「おれはむかつくヤツをぶん殴りたいって本性で動いてたんだよ」
「人間の感情とは、常に一定ではあるまい。あれがしたい、これがしたい、そういう欲望が渦巻くものだ」
「…………」
「だが、それを抑えておけることもまた、人の性なのだろうな。私は罪と罰を執行する者だが、罪を犯す理由について興味があった。だが、私利私欲だけでなく、確固たる理念によってなされる罪もあるのだな。実に面白い一か月だったぞ」
社会通念上で求められる行動を逸脱する……それは本性の一部でしかない。
人とは、それほど分かりやすいものではないのだ。
「そういえば、私がここに来た理由がまだだったな」
「あぁ、なにか言いに来たのか?」
「ダブルスーツの気配が消えた」
「気配?」
聞きなれこそすれ、その意味の通じない言葉だった。
「あぁ。私たちは互いの距離があるていど近ければ、気配を感じることができるのだ」
「だったら、遠くに行ったんじゃねえか」
「だとしたら、タイミングが中途半端だ。終わった直後に消えるならともかく」
「うーん。だったら……死んだとかだったりして」
「死んだなら確かに気配は消えるが、まさかな……」
ハハハハと笑う隆吾に対して、バニースーツはだんだんと顔が渋くなっていった。眼球が脳内の迷宮を探るように、左右にゆらゆら踊っている。
そう真剣に考えこまれると、こちらも不安になってきた。
「おい、まさかほんとうにお亡くなりってわけじゃないよな?」
「私たちは基本的に死なないが、例外がある」
「それはなんだ?」
「エネルギーを使い切ることだ。私たちは望むものを生み出すために、エネルギーを使う。それが大きければ大きいほど、消費する。時間がたてば回復するが、身の丈以上の消費をすれば、死に至るな」
「おまえら、命を削ってあんなくだらないことしてたのか? お笑い芸人より体張ってるな」
「私は命に関わるほどのことはしていないが、ダブルスーツは例外だ。あいつはイカれている。前々からおかしなヤツだと思っていたが、今回の件でよくわかった」
「また仕掛けてくるぞ」
「念のためこれを渡しておこう」
と、バニースーツが封筒を差し出してきた。
うさぎの模様が描かれた可愛らしいものだ。受け取って触ってみたが、どこにもおかしなものはない。この世界の物のようだった。
「なんだこれ?」
「中身は」
突如、バニースーツが消えた。
「……………………………………」
バニースーツが消えたのだ。
「……………………」
一瞬で消えた。
事態を認識するまでに、三秒かかった。
「…………は?」
さっきまでいた場所に、誰もいなくなっていた。
まるでカメラの映像が切り替わったかのように、彼女が音もなく消失した。
まばたきをした瞬間にいなくなっていた。
「…………ッ!?」
隆吾はガタッと立ち上がった。
血の気が引いて、夏だというのに凍えるような寒気が襲った。
全身に鳥肌が
なにかとてつもなく嫌な予感に苛まれ、居ても立っても居られなくなった。
「なっ…………!?」
周りを見渡す。
変わった様子はない。
人はちゃんといる。消えたのはどうやらバニースーツだけらしい。
……喋ってる最中に、勝手にどこかへ行っただけか?
そんな常識的な考えが頭に浮かんだが、この脳みそを揺さぶるような緊張が「そうではない」と否定していた。
直感。
場合によっては推理よりも信頼できる、第六感が働いているのだ。
「おい、キミ。だいじょうぶか?」
と、近くを通りがかったらしい男性が声をかけてきた。恰好を見るに、ランニングをしていたらしい。
「顔が真っ青だけど……」
「あぁ……いえ、だいじょうぶです。心配なさらず……」
「そっか。熱中症には気をつけてね」
いまどき珍しいぐらいに親切な人だ。
やっぱり、不安は気のせいだったのかもしれない。そうだ。そうに違いない。
なにもおかしなことは――
ガシッ
――男性が、隆吾のスマホをいきなり掴んだ。
「「え?」」
隆吾だけでなく、男性までも目を丸くしている。
彼にぐっと引っ張られて、慌てて抵抗した。
足が地面を滑るほどのとてつもないパワーだ。
「なにしやがる……!」
「ち、違う! 手が、手が勝手に……! ほんとに違うんだ!」
そう叫んだ彼の表情は引き攣り、呼吸の頻度もかなり激しくなっていた。まさしく、恐怖と混乱に陥った憐れな者の姿だ。
彼の意思でないならば、その原因は……。
こんなことが可能なのは、ひとつしかない。
「おれぁ、運がいいゼぇ……」
ザッザッと砂を踏みしめて、悠々と歩いてくる男がいる。
髪をグラデーションに塗って、唇や耳にピアスをたくさんつけている。パンク、といった風体だ。
そのパンク男は、どこかの作業場から持ってきたのだろう若干錆びているシャベルを引きずっていた。
「テメェだな……」
「あ?」
「レベル『160』の
「……ッ!」
さまざまな疑問が脳内のシナプスを駆け巡ったが、その中で、隆吾は確固たる真実だけを抽出した。
――こいつもアプリの所持者か!
一度答えが分かれば、後の疑問も芋づる式に分かる。
パンク男の目的は隆吾のアプリ。だから、男性を操ってスマホを奪おうとしており、彼には意識が残っている。
ということは使われたのは『命令』。
「あっ!」
隆吾の手からスマホが奪われた。男性はそれをパンク男に渡すべく近づく。
「な、な、なんで体が勝手に……!?」
「ヒヒヒ、ご苦労サン」
「そこまでが『命令』なんだな」
隆吾の言葉に、パンク男は眉根を寄せた。
どうやら“奪われた”のではなく“奪わせた”ということに気づいていないらしい。
「『態度:兵士』……命令する! 敵からシャベルを取り上げろ!」
「了解」
そう隆吾が発した瞬間、男性は素人とは思えない動きを始めた。
彼は手を伸ばしてシャベルを掴むと、引き戻そうとするパンク男の手を殴りつけた。
「ぐあっ!!」
パンク男は痛みで手を離し、その隙に男性は見事にシャベルを奪いとった。
彼は知らなかったらしい。『命令』は任務を終えた瞬間に催眠が解けて、その隙を狙われる可能性があることに。
今かけた『兵士』の仕様は単純だ。命令に従う。だが、それにはあるていどの制限があるようだ。
攻撃を下せるタイミング。それは“攻撃意思を持った敵があらわれた場合”のみに限られる。
それがまだ判然としない状態では、こうして相手の武装を無力化することだけしかできない。
だが、ひとたび動けば常人を超えた戦いをおこなうのだ。それを可能としているのは『兵士』の追加効果。被催眠者の身体能力をフルに使い、攻撃する機能だ。
「なっ!? か、返せ!」
手を抑えながら焦るパンク男。
「よこせ」
隆吾はそう言って男性からシャベルを受け取ると、
「ウオラァ!!」
パンク男の脇腹を殴りつけた。
肉を抉る感触と、肋骨を殴打した固い感触の両方が、柄を通じて伝わってきた。
これは『兵士』にはできない以上、こちらがやるしかない。
「いっでぇぇぁぁぁぁぁああああああああッ!!?」
こちらが躊躇するとでも思ったのだろうか。
パンク男はまるで防御もせずに攻撃を喰らい、のたうち回った。
「返してもらうぞ」
スマホを取り戻し、そして相手のスマホも手に入れた。
カバーケースまでパンクな模様をしている。
ロックはかかっていなかった。中には案の定、催眠アプリがあった。だが、名前は『エクスペリメンツ』となっている。
ダブルスーツの仕業に違いない。
ペナルティによるレベルダウンを確認したが、まったく減っていなかった。
相手が所持者だからか?
「テメェ、なにが目的だ。アァ!?」
先ほど殴った場所を追い打ちする。
パンク男は体を丸めてのたうちまわった。
「答えないと、骨を折るぞ」
「わ、分かった……話す! 話すよォ!」
『その必要はないよ』
聞こえてきたのは、ダブルスーツの声だった。
どこから? いや、手元のスマホからだ。
画面を覗き込むとビデオ通話が繋がっており、ダブルスーツが映っていた。
「テメェ……」
『楽しんでくれたかな? 初戦から熱いバトルだったねぇ』
「やっぱりテメェの差し金か」
『今日までのあいだに、キミの知らないところで種は蒔かせてもらったよ。この一か月のあいだ、僕がエクスペリメンツを配った人たちは熱心に善行をしてくれていたんだよ。この暑さの中、誰もが己の望む願いを叶えるためにね。すばらしいよ! 正義のおこないをすれば報われるっていう分かりやすいゴールのおかげで、彼らもやりやすかったんじゃないかな?』
「なげぇんだよ。さっさと答えろ。なにをしようとしてる?」
『別にそこまで難しい話じゃないんだ。ただ人数を増やしただけなんだよ。あ、もちろん人が増えただけあって仕様変更はさせてもらったよ? 近くに所持者がいると、それが分かるようになっているんだ。レベルもね』
「だから、さっき襲われたと?」
『そう……もう始まってるんだよ』
ダブルスーツはその一片の曇りもないまなざしで、無邪気なこどものように笑って言った。
『バトルロイヤルがさァ!』
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