第43話 ただいま日常

 次の日。

 隆吾は記憶を頼りに、円華の家をたずねた。

 たったひとつ、懸念が残されていたからだ。


「これでいいか?」


 隆吾の問いかけに、円華がうなずいた。

 リビングでソファに座っている女性を、ふたりで見下ろす。

 彼女が、円華の母親だ。

 先ほどまで窓の外をぼーっと眺めているだけだったが、催眠アプリで『まじめ』をかけた瞬間、


「あら、いらっしゃい。久しぶりねぇ、タヌキくん」


 別人が乗り移ったかのように一変して、社交的な人物になった。

 これが本来の人格か、といえば否だろう。

 それでも、円華にとっては親を失うよりもマシなはずだ。

 アプリを失った彼女はもう二度と母親を正気に戻すことはできない。それを分かっていて勝ったのだから、せめてこれぐらいはしてやろう。


 円華の部屋に通されて、ベッドに腰を下ろす。

 いたって普通の部屋だった。女の子らしく色のセンスが整っていながら、余計な調度品がないシンプルな内装だ。

 そういえば、あれだけ熱く語っていたヒーローのグッズがない……と思っていたが、よく見たら部屋中にある小物のほとんどがソレだった。

 グッズ感の少ないものが増えているとはいえ、ほぼ擬態だ。


「ちゃんと覚えててくれたんだね。私の話」


「いや、今朝になって思い出したから慌てて来たんだ」


「…………」


「まあ……忘れてはいなかったわけだから、許して」


「怒ってないよ。むしろ、なにも言ってないのにちゃんと思い出してくれたんだって嬉しいんだ」


 なるほど。あえて話さなかったのか。

 昨日までは、円華が同情を引きたいがために嘘をついたのではないか、という疑念があった。


 こうして真実を知れば、考えが分かる気がする。

 あのときは、メンタルが限界だったのだろう。なにもかも上手くいかない状況だったのだから。


「円華、おれはそろそろ帰るよ」


「そう? ありがとうね、タヌキくん」


 そう屈託なく微笑む彼女は、戦いを始める前の日々を思い出させた。


          ◇


「きゃあっ!」


 美里が悲鳴を上げて、


「おわっ!」


 盛大に水しぶきが跳ね上がった。

 ばしゃあっ、と飛び込んできた彼女に、隆吾と光輝は頭からずぶ濡れになって、髪をかき上げた。


「ふ、ふざけんなっ! びっくりしただろうが!」


「いいじゃんっ! ねえっ? キャハハハッ」


 フリルのついた青い水着を輝かせながら、美里は爛漫に笑った。


 隆吾たちは今、人気のレジャープール施設にいる。

 巨大なウォータースライダー。真ん中に島のある流れるプール。まるでジャングルジムのような建物。

 子供っぽい多彩な色使いが施された遊び場の中で、夏の日差しに晒されながら泳いでいた。


「ねえっ、次は何する!?」


 元気まんまんな美里に、隆吾たちはため息をついた。


「お、おれたち……おまえについていくだけで疲れたんだけど……」


「じゃ、休んでていいわよ。私だけで遊んでくるからっ」


 きゃーっ、と大はしゃぎしながら駆けていった彼女の背を見送って、木陰でフゥと一息つく。


「なんだあいつ……いきなりキャラがおかしいだろ」


「そうでもないさ」


 光輝がオレンジジュースを片手に言った。プールだから、メガネは外している。


「ダウナーなところもあるけど、遊んでいるときの美里は僕たちよりも明るいよ」


「初めて……いや、おれは初めて見たわけじゃないんだろうな」


「もちろん。キミも彼女のあんな姿を何度も見ているんだ。それを忘れてしまっているというだけで……」


「思い出したいな」


「だが、今はまだダメだ。レベルを上げないと」


「だったら遊んでる場合じゃないと思うんだが……」


「最初に言っただろ? ずっと円華に利用されてきた美里を労う意味での……つまりはプレゼントだよ」


「おれも労ってほしい……」


「すべてが終わったらね」


「それはいつになるん……ん?」


 視界の端で、美里の姿が引っかかった。

 ビーチサイドから上がったばかりの彼女に、若い男ふたりが話しかけている。最初こそ道をたずねているのかと思ったが、それにしては距離が近い。


「……行くか」


 隆吾が腰を上げると、光輝も「そうだね」と立ち上がった。

 近づくと、さっきまで喧騒に呑まれていた話し声がようやく聞こえるようになった。


「ね? ひとりなら、俺たちと……」


「いや、えっと、と、友達、と、来て……」


「じゃあ、なんで友達と一緒にいないの?」


「――ここにいるけど?」


 隆吾が後ろからヌッと顔を出すと、男ふたりがたじろいだ。


「ちょっと強引なんじゃない? そこでやめときな」


「え……っ!?」


「あ、おれ? この子のお友達」


「……ご、ごめんね。じゃあっ」


 いたたまれない様子のふたりが去っていく姿を見送り、顔を真っ赤にしたまま目を回している美里の肩を叩いた。


「だいじょうぶか?」


「あ、あ、あ……な、ナンパって初めて、されて……」


「なんだよ。嬉しかったのか?」


「違う……怖かった、けど……」


 潤んだ瞳でこちらを見上げた美里が、泣きそうな顔でくしゃりと微笑んだ。手はもどかしそうに胸へ上げて、頬を朱くしている。


「あ、あ、ありが……と……うれし、かったよ……」


 やや嗚咽混じりの感謝に、心が温かくなった。

 ……おれが見てきたのは、ほんとうに美里の素顔ではなかったんだな。

 本来の彼女を取り戻したのだという実感がわいてくる。


「う……待って……緊張の揺り戻しで吐きそう」


「いや、いくらなんでも動揺しすぎだろ」


「おえっ……ぷ」


「吐くな吐くな吐くな!」


 隆吾は慌てて美里の肩を支えると、もう片方を光輝に支えてもらい、急いでトイレへと向かった。

 外で待っているあいだ、泳いでいる人たちをぼーっと眺めながら、光輝とよもやま話に興じる。


「いや、まったく……」


 すると、彼がけらけらと笑いだした。


「三人で遊べなくなったのはほんの数か月前のことだっていうのに、なんだか懐かしいよ……」


「懐かしい、ね。こんなゲロまみれの思い出なら取り戻さなくていいな」


「彼女のパンツを見た思い出も?」


「それはいるグエッ」


 戻ってきた美里に後ろから喉を締められ、変な語尾みたいになってしまった。


「あのねえ、光輝。アンタ……」


「ハハハッ。ただの冗談だよ。でも、いまのうちになにを思い出すのか、楽しみにしてたほうがやる気も出るでしょ?」


「……水着よりパンツに興味あるってのもどうかと思うけど」


「それもそうだね」


 ふたりの視線に晒されてしまい、隆吾は目を逸らした。

 スタイルで言えば、美里はかなりのものだ。実際、ちょっと目を離した隙にナンパされるぐらいなのだから。


「まあ、おれのことなんてどうでもいいんだよ。きょうは美里に付き合う日なんだからな」


「こうして私ばかり労われてもね。あんたたちだって、私のためにいろいろしてくれたでしょ。正直、あんたたちを裏切って円華についたときは二度と仲が良かった日々には戻れないと思ったけど」


「あんなの、事情があるって誰でも分かるだろ」


「だとしても、ふつうは信じるまでには至らないじゃない。半信半疑ぐらいにはなるもんじゃないの?」


「おれはふつうじゃない」


「説得力のあるお言葉……」


 そもそも、美里が円華側についていた理由を知ることを後回しにしていたこちらにも非があるのだ。

 知りさえすれば、対策も立てられただろう。

 いまさらそんなことを考えたって過去は変えられないが……。


「そろそろ昼メシにする?」


 光輝の提案に、隆吾たちはうなずいた。

 とにもかくにも、これまでにあったことを忘れて楽しもう。

 三人で売店を左から右まで眺める。伸びるように並べられた色とりどりの店と、そこから漂うにおいが空腹感を呼び覚ました。


 近くのテーブル席に腰かける。日差しは大きなパラソルが防いでくれている。


「ところで……」


 隆吾は割りばしを割りながら、顔を上げた。


「なんでおまえがここにいるんだ?」


「やっほ」


 円華が目を細めて、すぐ後ろに立っていた。

 レースのついた淡いピンクの水着に、ラッシュガードを羽織っている。すぐ目の前に彼女の豊満な胸があらわれ、隆吾はたじろいだ。


「タヌキくん、どうして誘ってくれなかったの?」


「考えられる人選の中でも一番ありえないからだ……」


「なるほどね」


 どんな気持ちでここにいるのか疑問だが、このあっけらかんとした顔を見る限りでは、まったく気にしていないようだ。


「そういや、聞くのを忘れてたな」


「ん? なにか質問?」


「あぁ……なんで美里がおれに嫌われるように仕組んだんだ」


「うぐっ……」


 円華は呻いたっきり動かなくなった。どうやら黙秘権と一緒になにか危ないものを引っ張り出してしまったらしい。

 だが、そこに美里はくちばしを入れた。


「私だけの記憶を消して、私を悪人にしてって過剰すぎるわ。嫉妬でしょ? 好きな男子のそばに気に入らない女子がいるからイジメてやれ、っていう。それ以外に考えられる? だいたい、愛羅を必要ないぐらいボコボコにした時点で、こいつが嫉妬深いクズだってわかるじゃん」


 明け透けすぎる。

 自分の恥部と暗い部分を同時に晒された円華は、耳まで真っ赤になってぶるぶると震えていた。


「ち、違うもん……」


「いまさら照れることかしら」


 答えに窮していた円華は、思いついたようにパッと顔を上げた。


「でも、タヌキくんはやっぱり私の思ったとおりの人だよ! 美里ちゃんを労うためにこんなことをしているなんて、まさしくヒーローだね」


 どうやら話を逸らすことにしたらしい。


「ヒーロー認定の安売りね」


「タヌキくんを褒めたいだけだもん。ねー」


 円華は隆吾にぴったりとくっついてきた。巨乳のやわらかさがダイレトクトに背中から伝わってくる。

 しばらくこのままでいたいと思ったが、美里が睨んできたので断念するしかない。


「はい、おしまい。あとでいくらでも聞いてやるから、帰れ」


「えー……」


 円華は自分の髪をいじりながら、口を尖らせた。


「だって……タヌキくんと遊びたいのに……」


「はぁ……帰ったらいくらでも遊んでやるから」


「ほんとに!?」


「嘘だよバーカ!!」


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」


 小さい子のようにうろたえる姿はギャップがあってカワイイが、構い過ぎるとろくでもないことを要求されかねない。


「うっ……うぅ……」


「円華……」


 隆吾は彼女の肩に手を置いて、優しく語り掛けた。


「反省してるなら、おれはもうなにも言わない。おれが尊敬してたころのキミに戻ってくれるか?」


「うんっ……戻る……」


「美里とも仲良くできる?」


「する……」


「そりゃよかった。というわけで今日のところは『帰れ』」


 不意打ちで『命令』を実行すると、円華はくるりと後ろを振り返って歩き出した。


「あ、あ、あれ? 待って! タヌキくん!」


「じゃあな。歯ぁ磨けよ。いい夢見ろよ」


「いやまだ昼間ってあぁあぁあぁあぁ~~~~~~!!」


 自分の意思に関係なく動き出した体に戸惑いの声をあげながら、円華はどこかへと去っていった。


「そうか。アプリの所持者じゃなくなったから催眠が効くのか」


 光輝の言葉に、隆吾はうなずいた。


「あぁ。ったく、いきなりの登場に割と本気でびびったぞ。……美里、おまえは平気か?」


「私も驚いたけど……」


「あいつの横暴に振り回されて、嫌な目に遭ったろ。もう顔も見たくないんじゃないのか?」


「……まあね。でも、解決したことをいつまで気にしててもしかたないし。クラスメイトはあいつのことを優等生って思ったままでしょ? 反発してたら、私の印象は変わらないままじゃん」


「変える気あったんだな」


「もう円華にも愛羅にも従う理由はないし。たとえ、あいつらがなにしてきても」


 美里は頬を赤らめながら、上目遣いで言った。


「タヌキが守ってくれるんでしょ?」


「おうよ。VIP待遇で守ってやるよ。いままで苦労した分、報われないと不公平ってもんだしな」


「ありがと、タヌキ」



          ◇


 以下、円華が裏でやっていたことを書くタイミングが無かったので、補足。


 1、隆吾がアプリを持っていると確信した円華はダブルスーツに話すも、違反ではないと知る。おそらくペナルティでアプリの移譲がおこなわれたと教えてもらう。

 2、隆吾を見張らせていた生徒たちから誰かとたびたび電話していることを知る。この状況で話すとしたら相手は光輝しかいないと確信。

 3、隆吾との会話によって自分がまだ所持者であるとはバレていないと考える。

 4、ふたりはどこかで接触するだろうと踏んで彼らの動向をうかがう。

 5、ダブルの死体と、光輝を戦いに巻き込むことで自分にヘイトを向けさせ悪役になり、隆吾をヒーローにする作戦を思いつく。

 6、なぜかパンダに扮していた光輝のせいで若干予定が狂ったが、隆吾を死体のある場所へ誘導する。

 7、追いかけてきた光輝と美里を予定どおり戦いに巻き込もうとしたが、愛羅たちが来たせいで予定が狂い、逃げたところをダブルスーツに轢かれる。(予想外)

 8、美里を回収するついでに隆吾が彼女を嫌う行動をさせることができて喜ぶも、当の隆吾はぜんぜん嫌ってない。

 9、なにもかもうまくいかなくて泣く。

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