第42話 ヒーローはいらない
「円華はキミをヒーローにするために、無茶な行動をさせようとしてたんだろ? だったら、キミを焚きつけていたはずだ。けれど、そんなことは一度もなかった」
「あぁ……」
「美里がいなかったら、キミは大けがをしていたかもしれない。ま、ただの推論だけどね」
「本人がいるから、聞いてみるか。なあ、円華。いまの話は事実か?」
黙っていた円華に問いかける。
白い肌がさらに白く見えるほど、彼女は血の気が引いていた。自分のしてきた悪行を辿らされているのだから無理もない。
「う……」
その唇が小さく震えたかと思うと、ややあって声を発した。
「……事実だよ。タヌキくんにやらせようと思ったことがたくさんあったんだけど、美里ちゃんが『今のタヌキは心が折れてる。やらせるべきじゃない』って言ったんだ。たしかに、あのときは愛羅ちゃんたちにボコボコにされてて、立ち向かおうにも足が震えている有様だったよね……」
「あぁ。だが、ダブルスーツも言っていたな。おれがギリギリ折れないぐらいに誠人の暴力を抑えていたって」
「ふたりの思惑が、キミを救ったんだね」
「どちらか片方だけでも、おれは再起不能になっていたかもな……」
「だけど……美里ちゃんはすばらしい指摘をしたよ。おかげでタヌキくんが奮起して、こうして私を打倒するまでになってくれたんだよ?」
「いや、キミはほかの方法でいくらでも勝つことはできたはずだ。実際、レベルも相当なものだった。だけど、そんな力の差による強引な勝利ではダメだったんだろ」
「タヌキくんが所持者だと分かって、これはチャンスだと思った。私がラスボスになれば、きっとタヌキくんは真のヒーローになってくれる……」
「が、おれはキミの思惑をことごとく打ち破った」
「なにを言っても聞かない……とはこのことだったんだろうね。だけど……」
「あ?」
「悪の甘言に乗らず、自分の意見を通し、もっとも平和的な解決を目指す……。そうだよ。これこそが正義の味方なんだよ!」
彼女の場違いなテンションの上がり方に、隆吾はいい加減に辟易してきていた。
「いつまで言ってんだ。もういいだろ。それより、記憶を戻すにはどれぐらいのレベルが必要なのか教えろよ」
「だいたい……『100』ぐらいじゃない? ふつうなら解除にレベル消費はないんだけど、これは永続状態の解除だから必要なんだ。いわば、違約金みたいなものなのかな」
遠い……。
隆吾は己のレベルを確認した。『70』……あと『30』か……。
届かなくもないが、それなりに時間がかかるだろう。
そのあいだに、ダブルスーツが動き出したら困る。
もしも余力がないまま記憶を取り戻したら、レベルが『1』のまま戦いを強いられることになるのだ。
その分、余剰のレベルが欲しいところだ。
「タヌキはどうしたい?」
「……美里?」
「記憶を取り戻すタイミングだよ。いますぐやるか、それとも後々に回すか。あのダブルスーツがどこまでやれば諦めるのか分からないし」
「今やってもレベルが足りないっていう懸念があるな」
「だけど、後回しにするのも恐ろしいよ。不測の事態はいくらでも起こりうるんだってことは、十分に理解したからさ」
「だからって、足踏みするのもよくない。なにか、行動を決定するに足る要素があればいいんだが……」
と、そこに、
「あるだろ?」
光輝が眉根を寄せて、不満そうに言った。
「ある?」
「ミス・バニースーツを呼べばいい」
「あぁ! 忘れてたわ!」
「――忘れてたとはなんだ!?」
背後からの怒鳴り声に「おおっ!?」と素っ頓狂な声を上げて振り返る。
そこには痴女……バニースーツ姿の少女が立っていた。
「呼び出しを今か今かと待っていれば……忘れていただと?」
「え……でも、痴女に用事なんかないし……」
「ゲームに勝利したら、どんな願いもひとつだけ叶えてやるという話を忘れたというのか!!」
「ああ……」
「そんなにどうでもよさそうに応えるとは……物欲がなさすぎではないか」
「願いって保留にできないの?」
「してもいいが、そのあいだ、私はおまえのすぐそばで待機しないといけなくなる。家に帰れず、ひとり寂しく待たなければならないのだ」
「それはなかなか申し訳ないな……」
「であろう? だったら――」
「保留で」
「話を聞いていたのか!?」
「なんでそんなに怒ってんの?」
「ここに来てから、私の思い通りになったことが一度もないからだ!」
「ダブルスーツの好き勝手のせいでタイヘンだったもんな。フライングするわ、隠れてゲームに介入するわ、負けそうになったら助けるわ……」
「しかも、今度はこのゲームの盤面をひっくり返そうとでもしているらしい」
「可能なのか?」
「不可能だ。勝敗がついた以上、その結果に介入はできない。これは私たちが決めた絶対的なルールだ。覆すことはできない」
だとするなら……目的はいったい。
「それと、これも忘れているようだが……アプリの所有権も」
「永遠、か。これはどのていど永遠なんだ? 自ら削除した場合は?」
「その場合は失われるな」
「他人に消された場合は?」
「所有者以外に削除はできない。そして、この先の未来でどれだけ端末が進化しようが、その過程でどんな不測の事態が起きようが、必ず残ると断言しよう」
「それはよかった」
「おまけだ。平和的にゲームに勝利したとして、レベルを『30』ほどくれてやろう。これで『100』になるはずだ」
「いいのか?」
「ダブルスーツに不正ばかりされたんだ。私が少しぐらい力を貸しても文句は言えまい。それに、すでに勝敗は決しているからな」
「だったら、もっとくれてもいいのに」
「限度がある。アプリには私のエネルギーを入れているから、使いすぎれば体がもたない」
「万能じゃねえんだな」
アプリを起動して、手に入れたものを確認する。
まずは『態度』からだ。『兵士』『ペット』『親』。
そして、命令レベル『4』。
「命令レベル『4』は質問系の消費がゼロ。ほかも必要レベルがかなり下がる。そして、物理的に不可能でなければ、すべての命令が可能になる」
「へ~。人を浮かせたりできる?」
「話を聞いてたか?」
「いや全然。で、最後のこれがやばいな。催眠可能人数……五人」
破格の数字だった。
五人も同時に催眠をかけられるとなると、もはやなんでもアリになってしまう。円華の話を聞いたときの絶望感がそのまま逆転する。
だが、もう使う場面はない……はずだ。
「ありがとう。バニースーツ」
「用があればいつでも呼ぶがいい。私には時間が有り余っている」
「だろうな。こんなゲームを企てるほど暇そうだし」
バニースーツが虚空に消えたのを確認し、隆吾は立ち上がった。
「今日のところはもういいな。とすると、これからちまちまレベル上げか」
「タヌキくん」
と、円華が手を挙げた。
「レベルを上げる効率的な方法を知ってる?」
「キミのおこないを真似すればいいのか?」
「そうだね。でも、いまは夏休みだから学校で手伝いはできない」
「じゃあ、ボランティアしかねえな」
「なにかやったことあるの?」
「浜辺の掃除ならやったな」
「それは非効率だよ。レベルはね、対人だと上がりやすいんだ」
「でも、結構上がったぞ?」
「一日ぶっ続けでやったんでしょ? 人に対してやれば、倍近く違ったはずだよ」
「その方法で、いままでレベルを上げていたのか?」
「うん。じゃないと、とてもじゃないけどレベルを『300』以上になんてできないよね」
彼女も法則を探っていたのだろう。
アプリを手に入れたのが受験前なら、半年以上も時間がある。仕様について熟知していてもおかしくない。
とりあえず、この情報は信用しておく。
いまさら嘘をつく意味もあるまい。
「じゃあ……」
と、円華が隆吾の腕に抱き着いた。
「一緒にレベル上げしよっか。タヌキくんっ」
「やめてくれ……暑苦しい……」
そこに愛羅が飛んできて「離れろっての!」と体を引っ張った。
「こっちが先約! タヌキはまだ愛羅のお願いを聞いてないの!」
「え? なんの話……」
「円華と闘ったときに、愛羅に土下座して『なんでも言うことを聞く』って言ったでしょうが!」
「記憶にございません」
「しらばっくれても無駄なんだぞ……」
彼女の腕がするすると隆吾の体に絡みつき、がっちりと抱き着いてきた。
豊満な胸の感触が背中に当たっているせいで、体の内側からもじわじわと熱くなってきた気がする。
「タヌキは愛羅のものなんだからね」
「な、なんでおまえのものにならにゃいかんのだ……」
「逃がさない……」
「光輝、美里……タスケテ……」
泣きそうになりながら親友たちに救助を求める。
ふたりの美少女にラブコールされている状況はふつうなら是が非でも歓迎したいところだが、性格を知っていては素直に喜べない。
どちらに関わってもロクなことにならないのだ。
光輝はというと、
「おまえが愛羅をコントロールできるようになれば、スクールカーストもなくなるだろう。頑張れ」
この光景を楽しんでいるかのような半笑いで、無責任な言葉を放った。
そして、美里はムスッとした顔で、
「自分が蒔いた種でしょ」
すげなくはねつけられた。
そのあいだにも、円華と愛羅のケンカは過熱していた。
といっても、円華はいつものように涼しい委員長フェイスに対し、愛羅は顔を真っ赤にしていたから、過熱しているのは愛羅だけか。
「うぁぁぁ~! むかつく!」
「誠人くんがいなかったら、愛羅ちゃんってなんにもできないんだね」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
発狂した愛羅の叫び声をすぐそばで聞かされて、耳が痛い。
頼むから帰らせてくれ……。
と思っていると、不意にぐいっと腕を引っ張られた。
「逃げるよ、タヌキ!」
「美里!?」
助け船を出してくれたのは美里だった。続いて、光輝も一緒に腕を引っ張ってくれている。
隆吾たちの背に「「あぁっ!!」」と愛羅と円華の叫び声がかけられた。
急いで靴を履いて、外に飛び出す。
「急げっ急げっ」
もう七時前だというのに、空はまだ明るい。わずかに紫がかった空は、夜になることを拒むかのようになかなか変わらない。
ふたりに引っ張られて、無我夢中で走る。
振り返るが、そこには誰もいなかった。円華たちが追ってきてはいないと分かっていながらも、背中に影が張り付いている気がしてならない。
それでも――
「あははははっ!」
美里が晴れやかに笑っているのを見ていると、
……記憶を失う前のおれも、彼女たちとこんなふうに笑っていたのだろうか。
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