第41話 ゲームは終わった

 呆然としていると、光輝がスマホの画面をこちらに向けてきた。

 そこには、挑発的に舌を出している隆吾が映っていた。


『いえ~い! 円華ちゃん、見てるぅ~?』


 完全に小馬鹿にしている声が、スマホを通じて響いてきた。


『円華ちゃんが頑張って手に入れた証拠は……俺が使っちゃいま~す!』


「いつ!? どうやって……」


『美里が教えてくれたんだよ』


「……なっ!?」


『ありえない、か? おれに協力したら、おれの記憶を返さないとか脅しているんだろうぐらいは分かっていた。だが、それさえ解決すれば、美里は自由の身になれるってわけだ』


「…………まさか、ペナルティ?」


 唯一ありえるとしたら、それだ。

 隆吾は両手を突き合わせて山の形を作ると、クックッと喉を鳴らして笑った。


『YES! ひとつだけ残っていた、ミスター・ダブルスーツのペナルティを適用させてもらった。記憶を取り戻すのは無理だったが、回復の権限はおれに移行できた。美里はもう、おまえに従う理由はないってわけだな! ハハハハハ。あ、先に言っておくがこれは催眠ではなく解除だから、所持者であっても可能だぞ』


「ま、待って! 写真だけで、どうやって問題を解決するつもり!?」


『簡単だ。あのふたりに肉体関係があると分かっていて、しかもスマホには愛羅を芸能界に連れてきてほしいという会話が残っている。これだけあればサルでも推論を立てられる。母親は愛羅を使ってアイドルの機嫌を取ろうとしていて、アイドルのほうは母親を利用して愛羅と付き合いたいんだろ。じゃなきゃ、わざわざ若いイケメンが、いくら美人とはいえアラフォーと熱心に関係を持つことはなかなかない』


「くっ……うぅぅぅぅぅぅ」


 すべて当たっていた。


『美里に口封じの命令をかけておけばよかったのになァ。なぜしていなかった? まあ、していたとしても別の方法があったんだが』


「……そんなことはどうでもいいよ」


 円華は諦めと苛立ちをミキサーで攪拌かくはんしたようなため息をついた。

 負けるべくして負けた、といったところか。

 ペナルティはダブルスーツがやったこととはいえ、それを許した自分も悪い。つけ入る隙を作ったのも自分。

 そして、この結果を想定できなかったのも、自分だ。


「……残念だよ」


 最初から最後までババを持っていたのは、私だったわけだ。


          ◇


 現在、愛羅は通話越しに絶賛親子ケンカ中だった。

 証拠と情報は十分。

 隆吾は怒鳴り合いを横目で見ながら、それを肴にうまいオレンジジュースをグビグビと飲んでいた。


「ん~~~、畜生どもがあう様は傍から見る分には最高だな」


 それから一時間後。

 帰ってきた円華、美里、光輝の三人は無言のまま、ムスッとした顔でリビングのイスに腰を下ろした。


「おかえり。完璧だったな」


 隆吾が褒めると、光輝は疲労しきった顔で脱力した。


「美里に手引きしてもらったとはいえ、忍び込むのは肝が冷えた……」


「真夏だからよかったじゃねえか」


「お前から冷える肝を失くしてやろうか」


 その言葉で肝が冷えた。


「……さて、全員揃ったところで」


 隆吾は足を組んで、鼻で笑った。


「結論から言おう。おれの勝ちだ。愛羅と母親の関係はもはや修復不可能! あの母親も、あれだけの証拠を出されれば二度と芸能界の話はできないだろう。絶対とは言わないけどな」


「タヌキくん」


 円華は肩を落とし、背中を丸めていた。いつものキリッとした佇まいはそこにはなく、まるで一回りも老けたかのような印象を与えてきた。


「これで終わりなんだね」


「納得できないか? それも当然だけどな。おれがおまえの立場だとしても、納得なんてできない」


「ううん、これでいいんだよ。なるべくしてなったんだからさ」


「ペナルティに関してはしかたのないことだ。二度ともおまえを救うために起きたことだからな。ダブルスーツに思惑があったとはいえ」


「そうだね。彼が私をあの男から助けてくれなかったら……私はきっとここにはいない」


「まあ、二度目に関してはおまえがおれを舐めていたせいで起きた必然だから、それに関しては反省しろよ」


「はい……」


「さて、約束を守るつもりはあるか?」


 隆吾の問いに、円華はうなずいた。


「……うん。負けを認めてアプリを削除するよ」


「ただの口約束だ。ここで全部反故にして逃げ出すって手もあるんじゃないのか?」


「それもいいけど……たぶん、それだと私の理想には届かない」


「アプリのコピーを残していたり、ダミーアプリを削除して騙したりとかは考えていないだろうな?」


「コピーは無駄だよ。本物をほかの端末に移し替えられないし、コピーだと機能しないらしいんだよね。ま、できたらゲームにならないから当たり前だね。

 で、ダミーアプリ……かぁ。勝つ気だった私が、一時間で用意できるかな? もしも信用できないなら、私を縛ったあとにあちこち調べてくれてもいいよ」


「それで十分だ。さあ、スマホを出せ。この戦いを終わりにしてやる」


「……うん」


 円華が差し出したスマホを受け取りながら、俯いている彼女の顔を見た。


「そうしたら、今度こそ本物の友達になろう」


「…………えっ」


「キミのしたことを許せるかは分からないけど、おれはこの状況をポジティブに考えたいんだ」


 そもそも、出会いが悪かった。

 数か月前の円華は精神的に不安定で、なのに神様のような力を手に入れて、さらには理想的な存在の登場に舞い上がっていた。

 発端からゲーム開始までのあいだなら、彼女に落ち度はない。


「おれはキミの望むヒーローにはなれない。倒れるビルの下敷きになりそうになっている子供を見つけても、おれは我が身可愛さに見て見ぬふりをするだろう」


「…………」


「キミが夢見た相手は……ふつうの人間なんだ」


「……うん」


「キミのお母さんについてだが、おれがアプリでなんとかしてやる。だが、こんなやり方でしか正気に戻れないのなら、早く病院に連れて行け。ついでにキミもな」


「…………うん」


 ほんとうに納得したのかは分からないが、円華はうなずいてくれた。

 隆吾は催眠アプリのアンインストールを選ぶと、それはあまりにもあっけなく、小さな電子音を奏でて消滅した。


「これで終わりか……」


「だな」


 光輝も確認に立ち会った。

 いまのはコピーもないし、ダミーでもない。

 終わった。

 ひと夏の戦いは、こうして終戦を迎えたのだ。思えば、アプリを手に入れてからのひと月ものあいだだけでもいろいろなことがあった。


「これでハッピーエンドだな」


 すると、美里がたずねた。


「アプリ、どうするつもり?」


「おれの記憶を取り戻せたら、削除する」


「えっ、なんで……」


「持っててもしょうがねえだろ。使い道を考えても、犯罪ばっかだし」


「消さなくても、置いておけばいいじゃん。機種変更してもついてくるんでしょ?」


「あー、たしかになぁ」


「もしも入り用になったときのために残しておけば」


「うーん……まあ、そうすっか」


「それがいいって。だいたい、アンタはいつも面倒――」


「――つまらないなァ……」


 背後からの声……まるで耳の中にムカデが入ってきたかのような、生理的嫌悪でぞわぞわとする囁きに、隆吾のみならず光輝と美里もガタッと立ち上がった。

 鳥肌が全身を這っていき、舌が干上がった。


「ダブルスーツ……!」


 元凶である男は、青ざめた顔で恨めしい視線をこちらに送っていた。

 いつの間に……。


「つまらない……」


 そして、その闇の底から、暗澹たる怒りをふつふつと表層に湧き上がらせた。


「つまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらないつまらない……」


「同じ言葉を連呼したら狂ってる感を出せるとでも思ってんのか?」


「こんな終わり方は納得できない……そうだろ? なァ!? 自分を追い詰めた相手とこんなつまらない勝負で決着をつけて? 因縁もあっさり終わって? これのどこがエンターテインメントなんだ!? 三流脚本もいいところだ!」


「いい加減に黙らないとぶっ殺すぞ」


「キミもそうだ。なぜ悩まない? ヒーローっていうのは、押しつぶされて押しつぶされて押しつぶされて、それを跳ね返すから面白いんだ。なのに、判断が早すぎるんだよ」


 ガンッ


 隆吾は手近にあったイスでダブルスーツの頭をフルスイングした。

 だが、彼は衝撃で揺れただけで、倒れはしなかった。

 かなりの強さで殴ったはずなのに、傷ひとつついていない。それどころか、痛がる素振りさえ見せていなかった。


「やっぱ殴っても効かねえか」


「それだよ……その異様な判断の速さだ。必要とあれば相手を害することを厭わない合理的な行動……っ」


 ガンッ


「黙れっつったよなァ」


 ガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッガンッ


 ダブルスーツの頭を殴りつけるたびに、イスだけがベキベキという嫌な音をたてて崩壊していく。


「ちょっと! 愛羅んのイスを壊さないでくれる!?」


 愛羅の怒鳴りは無視する。

 殴っているあいだ、後ろで光輝が「タヌキ、おまえメンタルにだいぶキテるだろ」と心配そうに言った。

 実際、ここまでコケにされてフラストレーションも限界だった。


「……これでゲームも終わりだ。さっさと元いた世界に帰るんだな」


 隆吾が息を荒げながら言うと、ダブルスーツは髪を乱したままクックッと喉を鳴らして笑った。


「……そうだよね。ゲームは終わったんだ」


 明らかに不審だった。

 彼は自分の両手を見つめながら、恍惚としたような顔をしていたのだ。


「ふふ……フフフフフフフ……」


 なんだ? 負けたというのに、なぜこんなに楽しそうに笑えるんだ?


「ちょっと忙しくなりそうだから、お先に帰らせていただくよ」


「テメェ……まだなにかする気じゃ」


「それは教えられないなぁ」


 瞬間、ダブルスーツの背後に黒い穴が出現して、彼の姿は吸い込まれるように消えていった。

 ここにいる全員が苦虫を嚙み潰したような顔で、虚空となった場所を見つめている。


「……………………」


「イス、弁償しろよタヌキ」


「猛烈に嫌な予感がしてきたな」


「イィィィィィィィスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」


「だが、これ以上はなにをしようってんだ? まさか、新たに対戦者を増やそうっていうのか?」


「イス! イス! イス!」


「愛羅はあっちで遊んでなさい!」


 愛羅は恨みがましい顔をしたかと思うと、舌打をして二階へと上がっていった。


「ねえ、タヌキ」


 思案しているところに、美里が憂いのこもった眼差しで言った。


「……いままで、ごめん」


「なにが?」


「アンタを助けるためとはいえ、嫌な思いさせちゃったからさ」


「気にすんなよ! いま思えば、おまえの行動はなんの役にも立ってなかったわけだしな! はにゃっ!?」


 頬をつねられ、変な声をあげてしまう。


「事実だけど……事実だけどっ! ちょっとぐらい気持ちを汲みなさいよ!」


「だって! しょうがないじゃん! 良いところを探そうと思って考えてみたけど、なんも思いつかなかったんだもん!」


「――それは違うよ」


 そこに、光輝が異を唱えた。


「もしかしたら、彼女は円華に従いながらも、タヌキに危害が加われないように立ちまわっていたんじゃないかな」


「それってどういう……」


「円華の言動を思い返してみてほしいんだ」


「言動だと?」

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