第40話 ペナルティ
情報を手に入れた隆吾はリビングに戻り、円華と手に入れた情報を交換しあうはずだったが……。
「……………………」
「……………………」
お互いに「どこまで知っているか」の腹の探り合いはぐだぐだと言って差し支えなかった。
「そっちから話していいぞ」
「いやいやタヌキくんからどうぞ」
「いやいやいやいや」
「いやいやいやいや」
至極当然の帰結。
両者ともに都合のいいように話したいのだから、相手の持っている情報を先に知りたい。
しかし、ふたりともわざわざ最初に喋ってやる理由がない。相手に喋らせるだけの取引材料もない。
なので、こうなる。
こんなことなら、多少無理してでも円華の会話を盗み聞きしておけばよかったと後悔している真っ最中だ。
周りは完全に呆れ顔だった。
「わかった! わかったわかった」
隆吾は落ち着かせるように両手を振ってみせて、言った。
「埒が明かないから、おれから話す。いいだろ?」
「もちろん」
一瞬だけ得意げに笑った円華に若干の苛立ちを覚えながら、隆吾はスマホで見た内容を語った。
と言っても、話せることなどたかが知れている。
愛美が浮気しているらしいこと。相手はアイドルだということ。
話を聞いた円華はうーんと唸った。
「私もだいたい同じ内容かな。こっちが教えられるのは、その浮気が一年前ぐらいから始まったってことぐらい」
嘘だ。
円華が愛美にかけた催眠はおそらく『態度』だろう。
そして質問は絶対に「愛美はなぜ愛羅を芸能界に入れたいのか?」という疑問への答えとなるもののはずだ。
その過程で浮気について知ることはあっただろうが、隆吾と同じ内容になるわけがない。一年前という情報も信ぴょう性が怪しい。
確実にもっと深い部分を知っている。
「ふーん……そう……」
隆吾が疑いのまなざしを向けても、円華は平然としていた。
ここまで堂々と背信行為をするなんて、とんでもない女だ。
「それじゃあ、もう用は済んだし帰ろうか」
円華はこの場の空気など意に介さず、荷物を持って立ち上がった。
なにか情報を秘匿していることを隠す気もないらしい。
怒りで大暴れしている愛羅を、光輝と美里が羽交い絞めにして止めていた。
「……あぁ」
隆吾がうなずくと、円華は怪訝な顔で振り返った。
多少なりとも噛みついてくることを予想していたのだろう。だが、わざわざ絡んでやる必要は無い。
こちらにもそれなりの策がある。
◇
もちろん、円華は嘘をついていた。
今の自分は
それに、得た情報を教えないとルール違反になると言われたわけではない。
「答えは結構単純だった。意中の男がいるから、娘を手土産に取り入ろうって魂胆だってことね。呆れた親だね」
娘を差し出そうなんて、ゲスすぎるクズだ。
ならば、その男から愛美を脅迫できるものを入手してやる。
それでゲームセットだ。
愛羅邸での情報収集から三日後。
「さて、と」
円華は電車を乗り継いで、目的の撮影スタジオの前まで来ていた。
ここでジェームズは写真集の撮影があるらしい。アイドルユニット全員ではなく、個人の撮影のようだ。こちらとしては好都合。
場所の特定は簡単だった。
彼が所属する事務所まで出向いて、出会う人間に片っ端からアプリの『態度:ファン』を選べばいい。相手は自動的に円華を芸能人として認識して、すんなりと情報を明け渡してくれる。
こちらは十人に催眠をかけられるのだから、不備もない。
今回の撮影スタジオにも同じ手で侵入するつもりだ。
これから侵入する五階建てのビルを見上げる。
乳白の外観と、簡素なロゴマーク。それを囲む大きな敷地。世間とは隔絶されている陸の孤島のような印象を受ける。
さすが芸能人の立ち入る場所。踏み込むことにすら若干の躊躇いが生じるとは。
「ほ、本気で入るつもり?」
隣にいる美里が眉根を寄せて苦しげに言った。
彼女も円華と同じかそれ以上の緊張を感じているのだろう。
一応、隆吾に情報を抜かれないよう、彼女には『友人』催眠をかけ続けている。
「そうだよ。まあ、行きたくないならここで待っててもいいけど」
「よく言うわ。本気で言ってるつもりなら、わざわざ私をここに連れてきたりしないでしょ」
「うん。私ひとりで歩いてたら不自然だし、想定外の事態に対処するためのオトモも必要だからね」
美里には事前にセミフォーマルな服を選んでくるように頼んである。
カラージャケットと色を合わせたテーパードパンツ。髪を後ろでまとめて大人っぽさを上げている。ダメ押しで伊達メガネもかけさせた。
これで新人のマネージャーに見せかけられるはずだ。
「失礼しまーす」
警備員の前を悠々と通り過ぎて、ビル内に入る。
受付でジェームズの居場所を教えてもらい、エレベーターで三階へと上がる。
ここまで内部に来ると円華のことを誰もが芸能関係者だと疑わないので、アプリを使わなくていいから楽だ。
「ここかな?」
扉の脇の名札にボンド・ジェームズと書かれた部屋を発見した。
どうやらまだ撮影中らしい。
中をちらりと覗いた美里が、ため息とともに振り返った。
「まだ撮影中みたいなんだけど」
「何人いた?」
「十人いるか、いないか……ぐらい? でも、見えないところに裏方のスタッフとかもいるかもしれないから……」
「じゃあ、待つしかないね」
「こういう撮影ってどれぐらいかかるものなの?」
「長くても二時間以内。外で撮る分もあるから、何日かに分けて撮影するんだって」
「さすがに外での接触は無理よね……いろんな理由で」
「だから、チャンスは今日だけ」
単体での撮影でよかった。
グループでの撮影だったら催眠可能人数が足りずに、どうやっても近づけなかっただろう。
ゲーム開始から三日で絶好のタイミングが訪れるのは少々出来すぎな気がしてくるが、これは願ってもない機会だ。
「出てきたところを狙うのが安全かな」
それから適当なところで時間を潰しながら、撮影終了を待った。
扉が開いて、マネージャーと一緒に髪をウルフカットにしている男性が出てきた。
あれがジェームズのようだ。
アイドルだけあって顔立ちはいい。
しかし、彼のマネに対して見下しているような視線だけで、そこいらのチンピラと変わらない印象を与えてきた。
ふたりは廊下を歩きながら、スケジュールの確認をしているようだった。
「次の仕事は……」
とメモを片手に話すマネの言葉を、
「のど乾いた~」
ジェームズはわがままで遮った。
マネは「わかりましたっ。ただちに」と慌てて走り去った。
近くにあった自販機を一瞥したが、おそらく彼がいつも飲んでいる物がなかったのだろう、すぐに階段を下りていってしまった。
取り残されたジェームズは空きスペースのベンチに座って、足を組んだままスマホをいじり始めた。タバコでも吸いだしそうだ。
「今時珍しいぐらいにガラが悪いわね……」
美里のつぶやきに円華もうなずいた。
ああいう姿を先輩芸能人に見られたら悪印象だろうに。
「でも、いまがチャンスだね。美里ちゃんは会話が聞こえないようにどこか遠くへ行ってもらえる?」
「え、なんで……」
「あとでタヌキくんに『命令』されて、情報を抜き取られちゃうでしょ? 用心に越したことはない」
「ふぅん……あぁそう……お好きにどうぞ」
美里は苛立ち混じりに舌打ちをすると、後ろを向いた。
が、
「いや、やっぱり私が『友人』は解除して『命令』しておこう。『湊本円華の会話が終わるまで話し声が聞こえない場所に移動する』とね。ついでにさっきのマネージャーの足止めをしておいてね」
やはり信用ならない。
裏切れば隆吾の記憶は返さないという条件で美里を縛り付けているが、裏切りを悟られない範囲で行動されればおしまいだ。
万全を期すに限る。
あのマネが戻ってきてもいいように催眠を選ばなければならない。彼が過度に怯えていたりしたら不審がられる。
かといって彼に横柄な態度を取らせるような『態度』の催眠を選べば、欲しい情報を得られないかもしれない。
そして『命令』は危険だ。疑心の目を向けられてしまったら、最悪の場合警察を呼ばれかねない。
「こんにちは~」
円華が朗らかにあいさつすると、ジェームズはぼんやりとした目で顔を上げた。
「ん……? え、誰」
「初めまして。湊本円華です。最近アイドルになって……あ、ジェームズさんと同じ事務所なんですよ。私は宣材写真の撮影をしに来たんですが、ちょうどお会いできたのであいさつをと思いまして……」
「は~、そうなの」
「以前からファンだったんです。007の中で最推しです」
「はぁ……どうも……」
若干棒読み気味に言ってしまった気もするが、彼はすんなりと受け入れたようだった。
彼にかけたのは『態度:トランス』だ。
これはレベル『150』ぐらいで手に入るものだが、かけられた相手は
つまり、ぼんやりするのだ。
思考能力が低下している彼は、円華の嘘をあっけなく信じ込んだ。なにもかもが億劫で、外部からの情報に疑いを持たない状態である。
「せっかくですし、いくつか質問いいですか?」
円華がたずねると、ジェームズは焦点が微妙に合わない視線を向けたままうなずいた。
「あぁ……まあ、いいけど」
「じゃあ、最近アイドルやってて大変だったこととか……」
まずは心の壁を取っ払う必要がある。
ぼんやりさせて相手から情報を引き出しやすくなる催眠だが、嘘をつくこと自体は容易にできる。
自白剤と同じだ。あれは脳を麻痺させて答えを引き出す薬だが、実際にはいくらでも嘘をつけるし、すぐ眠ってしまうという実用とは程遠い代物。
こちらの催眠は眠ったりはしない以外はほとんど同じだ。
だが、相手に“自白剤を使われた”という認識がなければ、効果は絶大だ。
いくつか会話をしているうちに、だんだんと相手もノッてきたようだった。
「へぇ~、ジェームズさんがギターうまいなんて初耳です」
「まあね……ほかのメンバーは誰も楽器ひけないカスばっかだから使い道ねえんだけどさ……」
「だったら、ギター演奏のショート動画を出してみたらどうですか? ファンも聞きたいでしょうし、私もぜひ聞きたいです!」
「え、あぁ……そこまで言ってくれるんなら……ちょっと考えようかな……ハハ」
他愛ない会話をいくつか交わして反応を探りながら、三分。
マネージャーがそろそろ戻ってくるだろう。
彼の表情にもかすかに笑みが浮かんできている。気を許し始めた証拠だ。
そろそろ仕掛けよう。
「そういえば、ジェームズさんって最近……松原愛美さんと仲がいいって評判ですよね」
円華の質問に、ジェームズは眉間にシワを寄せて険しい表情を浮かべた。
――踏み込みすぎたか。
そう思っていると、
「ん、まあね」
彼はヘラヘラと笑いを浮かべた。
誤魔化せないと判断して、肯定する方向に舵を切ったか。
それとも元々頭が悪くて、嘘をつくほど余裕がなかったか。
「メッセ送って……それでプライベートで会ったりしてるなぁ」
「プライベートですか? なにしてるのか参考までに教えてくださいよ」
「えぇー……まあ、いいけど」
困ったような言い方をしつつも、ジェームズはニヤニヤと笑っていた。曲がりなりにもアイドルだというのに、ゲスな表情だ。
そして、ふところからスマホを取り出して、画面を見せてきた。
「これだよ、これ」
画面にあったのは、後ろ姿の松原愛美だった。
それも……下着姿の。脱ぐ寸前のようだ。
場所はどこかのホテルだろうか。やや薄暗い空間に、ベッドが写り込んでいる。
いや、そんなことはどうでもいい。
「よく見せてください……よっ!」
円華は半ば奪う形で彼のスマホを手に取り、目にもとまらぬ早業で写真を自分のスマホに送信した。
これさえあれば、愛羅の母を説得……いや、脅迫できるだろう。
私の勝ちだ。
これでタヌキくんは私のヒーローだ。
――カシャッ
ふいに、背後からシャッター音が聞こえて、円華は驚きとともに振り返った。
「……………………は?」
「キミの負けだ」
「な、なんで……」
そこにいたのは、スマホを構えた光輝だった。
彼のメガネに、先ほど撮った画像の光が反射して見えている。
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