第39話 引いたのは……

「おれはスマホを調べたい」


「私は本人から直接きいたほうがいいと思う」


 隆吾と円華は意見が二分した。

 当然のことだろう。

 スマホの中身を覗くにしても、越えなければならないハードルがたくさんある。しかし、本人からきくだけなら『命令』で終わらせてもいいのだ。もちろん、あとになって面倒なことになる可能性はある。

 けれど、隆吾には愛美のあの表情が気になっていた。


「タヌキくん、まずは協力して探る?」


「おれとおまえで別々に探りを入れよう。手に入れた情報はあとで共有するんだ。もちろん、愛羅の母親が嘘をついている場合もあるから、その情報の精確さを確かめるためにもな」


「ふーん、そう……」


 円華はこの奇妙な提案の意図を読み取ったようだ。

 彼女はグーに握った手をこちらに見せた。


「だったら、ここは恨みっこなしで先攻後攻を決めようよ」


 愛佳に関わる順番の話か。

 これは先攻をとった者が圧倒的に有利だ。

 先攻はまだ警戒もしていない愛佳に接近することができる。

 というか、そのまま解決したっていい。


 恨みっこなしなどとよく言えたものだ。ルールを明確にしたことで片方が絶対に手出しできないようになってしまった。

 しかしながら、これを受け入れなければ隆吾もまた動けない。

 それに、円華にだってリスクのある提案だ。


「行くよ。じゃーんけーん……」


 隆吾が同意するよりも先に、円華は開始してしまった。


「ぽんっ」


 とっさに手を出すも、グーに対してパーを出されてあっさりと敗北。

 勝負運はさっきのババ抜きで尽きてしまったか。


「じゃあ、お先に」


 勝ち誇った顔の円華が、催眠アプリを起動して部屋のなかへと入っていった。

 なにをするつもりだろうか。


 もし『態度』の催眠を使った場合、不審がられる可能性はグッと下がる。催眠中に対象者が起こした行動はすべて問題ないものとして処理されるからだ。

 逆に、情報の精確さに疑問が出てくる。

 態度はあくまで態度。たとえ王に拝謁している奴隷の立場であったとしても、嘘をつくやつはつくのだから。


 そして『命令』の場合、情報の精確さにはかなり信用がおけるが、逆に不審に思われる可能性が高くなる。

 対象者が自身の異変に気付いてしまうという大きな欠点。

 それを補ってあまりある有用さではあるもの、あとあとにまで響きかねないリスクを背負うのは怖い。


「少しお話、いいですか?」


 円華が愛美に声をかけた。

 さて、狙うのはスマホか本人か。

 使うのは『態度』か『命令』か。

 しかし、ふたりはこちらにも聞こえないぐらいの小声で話し始めた。部屋に入るわけにも行かない。


「なにしてんの?」


「ッ!?」


 突然、後ろから声をかけられて隆吾はビクッと肩を跳ねさせた。

 相手はダブルスーツだった。

 いつの間に近くに……。

 ダブルスーツは怪訝な顔をしながら、扉と隆吾を交互に見ている。


「どうしてキミらは仲良く一緒にいるんだ?」


「どうしてって……おまえらの望みどおりに勝負してるんでしょうが」


「ん……ん? ん? え? 勝負?」


 いままで見たことがないぐらいに困惑しているダブルスーツに、隆吾は事のあらましを説明した。


 隆吾が愛羅から「母が私を芸能界に入れる気を失くしてほしい」という依頼を受けたこと。

 円華も巻き込んで、達成したほうをエクスペリメンツの勝者として、敗者はアプリを削除すること。

 そして現在、愛美から情報を引き出そうとしていること。


 説明を聞き終えたダブルスーツは、梅干しでも食ったようなしかめっ面を浮かべて言った。


「お、おもしろくない……」


「はい?」


「どうして僕の体調が崩れそうになるぐらいつまんないことしてるの……?」


 ダブルスーツの顔色がどんどん悪くなってきて、床に座り込んでしまった。


「お互いに素性がバレたのなら熾烈な争いが始まるもんでしょ……熱いラストバトルがさぁ……」


「そりゃ相手を恨んでたり、意地でもアプリを手にしたいならするだろうよ。だが、おれは円華を止めたいだけ。円華はおれをヒーローにしたいだけ。互いに相手には無傷でいてほしいから、結果的にこうなった」


「円華が本気でキミの言うとおりにすると思っているのかい?」


 ダブルスーツは意味深げに微笑んだ。

 数秒の沈黙。

 そのあいだ、隆吾の脳内では円華の所業がくりかえし反芻はんすうされ、それを元に計算された最悪のパターンをいくつか導き出した。

 信用はできない、ということだけはハッキリしている。


「……へえ、それで?」


 室内の円華は、愛美となにやら話し込んでいるようだった。

 どうやら『態度』を選択したらしい。『命令』なら会話は二言三言で終わるはず。


「彼女が本気で自分から情報を共有すると?」


「しないだろうな」


「だったら、なんでこんな提案をしたの?」


「話す必要はない」


婆沙羅者ばさらものだね」


 と、円華が部屋から出てきた。


「終わったよ……って、どうしてダブルスーツがいるの?」


「つまらないことをしてるから苦言を呈しに来たんだ」


「へえ、私はけっこう楽しんでるけどなぁ」


 円華は余裕綽々だが、この様子ではそれなりに情報は掴んだようだ。


「じゃ、交代ね。あ、催眠はちゃんと解除しておいたから。手に入れた情報はあとで一緒に精査しよう」


「オーケー」


 隆吾はまず、アプリの『命令』を起動した。

 効果は『十分間の昏睡』だ。これなら愛美が気づかないうちにスマホを好きなだけ盗み見できるだろう。

 が、


『その命令は実行できませ~ん』


 腹が立つ文章とともにエラーが表示された。

 命令なのに、実行できない?

 困惑する隆吾。横からダブルスーツが画面を覗きこんできて、やれやれと肩をすくめて言った。


「『命令』はあくまで相手に行動させるだけだよ。昏睡とは脳の異常だから、本人の意思でおこなうことはできない」


「なに言ってんだ。記憶を消すことだってできるんだから、それぐらいワケないだろうが」


「あれは完全に記憶を消しているわけじゃない。思い出させないように強い暗示をかけているだけさ。ほんとうに消えているのなら、キミがアプリを手に入れたとしても過去の断片を思い出せるわけがないだろ?」


 たしかに消去したにしては変だと思っていた。

 以前、ネットの科学ニュースサイトでも本人の自己暗示によって記憶を消す方法があると論じられていたっけ。


「……なるほど納得。つまり、アプリはエラーを出さずに代替機能を使ったってわけか。それ詐欺だろ」


「アプリには送られた指示を拡大解釈して実行する能力がある。キミが誠人に襲われたとき、僕に『助けろ』と命令したことは覚えてるよね?」


「あぁ」


「助けるだけなら、誠人を突き飛ばして終了でもよかった。だけど、アプリは状況を分析して、キミが完全に助かるまで僕に誠人を封じさせていたんだ」


「……なるほど。筋が通ってるな」


「さっきキミが『命令』しようとした『昏睡』はどうやっても無理だとアプリは判断したんだろうね。外部からの干渉もなく、自らプツンと意識を飛ばすことは人間には不可能だから。できたとしても脳に多少のダメージが残る」


「じゃあ『十分間眠れ』ならどうだ」


 催眠を開始させると、愛美はうとうとし始めた。こっくりこっくりと船を漕いで、スマホをミニテーブルに置いた。


「すぐには眠らないのか」


「眠ろうという気になってもすぐ眠れる人間とそうでない人間がいるからね。キミの美里に関する記憶が完全に消えるのもけっこう時間がかかったんだ。ああ、愛羅のときもそうだった」


 やがて愛美はうなだれると、かすかな寝息をたて始めた。どうやら完全に眠ったらしい。

 レベルがふたつダウンして現在『68』になった。使えなくなった催眠は無し。

 対象に害を与えず、そして無理やりすぎない指示だからあまりレベルが下がらなかったのだろうか。

 しかしながら、触れたり大騒ぎしたりすれば愛美の催眠状態が解除されてしまう危険性があるだろう。


「これでよし」


 放置されたスマホを覗き込む。予定どおり、チャット画面のままだった。

 とりあえず、この場にいて愛美に気づかれるわけにはいかない。

 廊下に出て、部屋の扉を閉めた。これで爆弾が爆発したぐらいの音でも出さない限り、しばらくは安心だ。

 会話相手の名前は『本藤ぼんどう 慈叡難じぇーむず』。


「なんだよこのふざけた名前……」


 さすがに芸名だろうが、いくらなんでも現実離れさせすぎだ。

 スマホでネット検索をかけると、量産型の男性アイドルといった顔写真がずらりと出てきた。

 年齢は二十歳。デビューが十七歳なのでそれなりの芸歴だ。

 七人のアイドルグループ“007れいわセブン”に所属している。


「ゼロの“れい”と、ゼロが輪っかに見えるのを“わ”と読んで、合わせて令和か。よくもまあ考えるもんだ。読み方を知らなかったらダブルオーセブンって読んじゃうだろ絶対」


 名作シリーズそっくりなまぎらわしすぎるグループ名へのツッコミもそこそこに、チャット画面へと戻る。

 ざっと読んでみた限りでは、どうやら並々ならぬ関係のようだ。

 流出対策か直接的な表現は避けているようだが、外野が見ればアウト判定しか出ないであろう文言の数々。

 簡潔に説明するならば、いわゆる不倫だ。


「なにか面白いものは見つけられたかな?」


 ダブルスーツが画面を覗きこもうとしてきて、さっとスマホを遠ざけた。


「ひどいなぁ。円華に情報を渡したりはしないよ?」


「黙ってろ」


 どうやら定期的に消しているようで、全体の文量は少な目だった。無駄なところで凝ったことをするものだ。

 ログを一番上までさかのぼってみたところ、気になる文章を見つけた。


『愛羅ちゃんは芸能界に来てくれるって言ってた?』


『頑固だからまだまだね。けど、あの彼氏とは別れたって言ってたわ』


『へーマジで?』


『どうせ飽きると思っていたけどね』


『絶対連れてきてよ~。会ってみたいからさ。あなたにそっくりですげえ美人だし』


「おいおいおい無視しないでくれよ」


「うるっせえな殺すぞ」


「ひど……」


 隆吾はさっきからしつこいダブルスーツを袖にした。

 やっぱり邪魔をしに来たんじゃないのか、こいつ。だいたい、ダブルスーツのペナルティのひとつをこちらはまだ消化していない。それをこいつは分かっているのだろうか……。


「ん?」


 いや、待てよ。

 相手がひとつペナルティを出したら、こちらもひとつルールが許す限りの有利な特典が手に入る。

 ということは……。

 現在の状況を簡単に覆しつつ、円華を出し抜く方法がひとつ生まれることになる。

 しかもそれは、ほぼ確実にルールの範囲内だ。


「いいこと思いついたぞ」

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