第38話 ババ抜き

「それにしても、円華がこんな提案を呑むとはな」


 信じられないといった様子で、光輝が目を丸くしている。


「惚れた弱みにつけこんだおかげだな」


「おれがすごくイヤなヤツみたいになるからやめろ」


「すごくイヤなヤツ、って感じの言い方だったと思うが……」


 円華の信念と好意を逆手に取ったのは事実だが、悪し様に言われるとさすがにへこむ。



 隆吾たちは愛羅の家に案内され、そこで待つように言われた。

 相手は芸能人だ。いつ帰ってくるかわからない。かといって仕事場に押しかけるのは迷惑になるだろう。

 以前来たときにはかなり遅くまで滞在したが、それでも愛羅の母親と対面することはできなかった。

 長丁場になりそうだ。


「タヌキくんはさぁ」


 円華がカードを流した。スペードの1が二枚だ。


「変だよね」


「変?」


 現在、リビングでババ抜きを回している最中だった。

 絨毯の上にカードを並べて、対面に愛羅、左右に円華と光輝。離れたところで、美里が呆れたような表情で眺めている。


「怒っていたかと思ったらすぐに冷静になったり、指や腕を折ることに躊躇がなかったり……あれだけのことがあったのに私とこうして遊べる時点で、変だよ」


「敵だからってずっと睨み合いをするのも疲れるだろ」


「肝が据わりすぎだね。美里に裏切られたっていうのに、あの子を前にしても眉ひとつ動かさないのも変」


「あいつがおまえに従ってる理由はだいたい想像がつく。おれの記憶はおまえのアプリじゃないと取り戻せない。だから、美里はおれの記憶を取り戻すためにおまえに従うしかない」


「ピンポーン。正解」


 被ったカードを二枚捨てて、残りは四枚。

 隆吾の手札から引いた円華もカードを捨てた。

 続けて、愛羅が円華から乱暴にカードを引き抜いて、顔をしかめた。ババを引いたのだろう。分かりやすすぎる。


「げっ……」


「ダメでしょ~愛羅。顔に出しちゃ」


「うるせえぞ人殺し。プレイングに口を出す前に警察に出頭したら?」


 助言を一蹴した愛羅から、今度は光輝がカードを引き抜いた。


「僕としては、顔も名前も知らないクズがどこで死のうがどうでもいいけど、罪は償ったほうがいいと思う」


 そして、隆吾が光輝からカードを引いた。七の組み合わせが揃って、捨てる。かなりいいペースだが、序盤で調子がいいからといって勝てるわけではないのがババ抜きというゲームだ。


「おれも同じ意見だな。まあ、死体がすでにこの世に存在していない以上、司法で裁けないだろうが」


「しかし、母親の精神崩壊で罪に対する罰がすでになされているという考え方もできる」


「それだと母親がとばっちりだろ。罪を背負った人間が罰を受けるべきだ」


「それもそうか」


 ゲームは進んでいき、光輝と愛羅が先に手札をすべて捨てることに成功した。

 予想通り、最初のペースの良さが真逆の結果となって帰ってきた。

 隆吾の手札には四とババ――つまり、ジョーカー。

 円華は一枚。

 ババを引かせたらこちらの勝ち。四を引かれたらこちらの負け。


「……………………」


 真剣な表情でこちらの手札を眺める円華を、隆吾は冷めた気分で見つめていた。

 扁平な紙っぺら一枚を巡ってここまで集中できる彼女を、未だに敵として認めることができていない。

 エクスペリメンツなんてものがなければ、もっとまともな付き合いができていたのだろうか。


「これ!」


 円華が引いたのは……ババだった。

 必死にシャッフルして手札を隠そうとした彼女だったが、隆吾はあっさりと四を引き当てて、三位に上がった。


「くぁぁぁぁぁ~~~~!」


 円華はバタバタと足を動かして、こてんと後ろに倒れた。

 本気で悔しがっている彼女に、後ろから美里が忌々しげに言った。


「ヒーローと悪役は仲良くしちゃいけないんじゃなかったの?」


 隆吾と円華は敵対関係にある。隆吾がヒーローだとするなら、円華は自らを悪役として設定しているのだろう。

 正体を明かしてからいままでの彼女の立ち振る舞いにも、どことなく演技じみたものを感じた。


「ん?」


 円華は起き上がると、笑顔のまま不思議そうに首をかしげた。


「悪役と言ってもいろいろあるでしょう? 愛羅は倒されるだけの悪役でしかない。でも、私は悪役ではあるけれどタヌキくんとゲームを競うライバル。敵同士とはいえ、ときには一時休戦だってするよ」


「「ふざけてんじゃ……!」」


 怒りに燃える美里と愛羅の声がちょうど被った。

 全方位にケンカを売っておきながら、円華はまったく悪びれていない。なにがあっても隆吾以外に彼女を倒す手立てはないからこその余裕だ。

 激昂げきこうしてイスを掴んだ愛羅を止める者はいなかった。円華を殴るにしても、あれを投げ飛ばしてストレス発散するにしても、この場の全員にはどうでもいいことだったからだ。


「……死ね!!」


 筋力が足りてないのか、よろよろしながら大きく振りかぶった愛羅に、円華は動じていなかった。

 ただ一言「三分間、停止」とだけ言い放つと、


「――――ッ!?」


 愛羅の動きに急ブレーキがかかり、その体が完全に止まった。

 まるで時間が止まったかのようだったが、身動きひとつしない体に対して表情はせわしなく動いていた。

 怒っていた顔は戸惑いへと変わり、続いて恐怖で口はわなわなと震わせたかと思いきや、身の異変の原因に合点がいったのか怒りに戻った。


「テメ……」


「『命令』だよ」


「ぐぐぐ……こ、殺す……」


「暴力をずっと他人に任せていた愛羅には無理だよ~。たとえ私が妨害しなくても、楽々かわせてたと思うな~」


「やめんか」


 隆吾が後ろから背中を蹴り飛ばすと、円華は「ぶへっ」と苦鳴を上げて床に転がった。


「この状態で愛羅の母親が帰ってきたら面倒なことになるだろうが」


「心配するところ、そこなの!?」


 と、そのときだった。

 ガチャン、と扉が開く音がして、誰かが家に入ってきた音が聞こえてきたのだ。


「え、ちょ……」


 玄関から「愛羅~? 帰ってきてるの~?」と女性の声が響いてきた。間違いない。愛羅の母親だ。

 なんてタイミング。

 芸能人にしてはかなり早いお帰りだが、こちらとしてもこんな状況でなければ好都合だったのだが……。


「靴がたくさんあるけど、お友達~?」


「言ったそばから……」


 呆れて頭を抱える美里。


「さっさと解除しろよ」


 隆吾が言うと、円華は首を横に振った。


「いや、時間を指定した『命令』は途中で解除できないの……」


「ハァ!?」


 そんな設定は初めて聞いたが、かといってできないものをどうにかしろと言ったところでどうにもならない。

 焦る一同。

 しかし、妙案が浮かぶ間もなく愛羅の母親が姿をあらわした。


 髪は長く、明るく染めている。顔もアラフォーにしては若くて美人の部類に入るだろうけれど、さすがに老化は隠せない。


 隆吾は顔を見て、愛羅の母親が誰だかわかった。

 松原愛美まつばらまなみだ。苗字は芸名だったか。

 クイズ番組に出ているのを見たことがある。


 だが、テレビで見る芸能人と目の前にいる母親の印象はまるで逆だった。

 穏やかな元アイドルの一児の母として売っているが、家での愛美の視線は北極の氷河よりも冷たく、番組のなかでいじられている人と同じとは思えない。


「あら、たくさんいるのねえ。いらっしゃ……なにしてるの?」


 愛美は、イスを持ち上げたまま微動だにしていない愛羅を見て怪訝な表情を浮かべた。

 誰も答えない。答えられるわけがない。

 しかし、沈黙が三秒以上続いたら怪しまれてしまう。


「筋トレです」


 隆吾はできるだけ何食わぬ顔を作って答えた。


「筋トレ? イスで?」


「はい。最近、学校で流行ってるんですよ。イスを持ち上げた体勢のままジッとしていることで全身がほどよく鍛えられるって」


「へえ。若い子って変なこと考えるのね」


「ハハッ……」


「おもちゃにするのはいいけど、壊さないでよ。オーダーメイドでまた買うの面倒なんだから」


 愛美はめんどくさそうに言うと、スマホを見ながら自室へと歩いていった。愛羅にまるで興味がなさそうな態度だ。

 緊張が解けた一同は、ホッと胸を撫で下ろした。


「ねえ! これまだやんないといけないの!?」


 筋トレをしていることにされた愛羅が、苛立ち混じりに怒鳴った。


「もう腕が限界なんだけど!」


「あと一分だな」


「えぇ!? 勘弁してよ~……」


 時間が経過して、やっと解放された愛羅は腕を労わりながらぼやいた。


「ったく、面白くもない嘘ついて、よく怪しまれなかったもんだよ。ねえ、タヌキ」


「なんか話に聞いてたのとちょっと違うな」


「なにが?」


「本気で芸能界に入ってほしいのなら、もっと構うもんじゃないか?」


 娘に自分と同じ道を歩んでほしい――そんな気持ちはみじんも感じられなかった。会話をする気があるかどうかも怪しい。


「っていうか、なんでこの時間に帰ってきたんだ? 午後五時だぞ」


「仮眠じゃないの?」


 愛羅が答えた。


「なら、いまのうちに仕掛けるか」


 さすがに仕事場まで追いかけるわけにもいくまい。

 隆吾と円華は音をたてないよう抜き足差し足で階段を上がり、愛美のいる寝室を目指した。


「愛羅を芸能界に誘う理由は『命令』で直接きいてみるか?」


「やめておいたほうがいいね」


 円華が後ろからついてきながら首を振った。


「『命令』は『態度』と違って本人が違和感を覚えるのは知ってるでしょ? 赤の他人に話すような内容じゃなかった場合、不審がられるよ」


「だな。だが、ゴールへの手がかりだけでも見つけないことには、おれもおまえもゲームを始められないぞ」


 二階に上がると、目的の部屋のドアは半開きになっており、なかからテレビの音が漏れ聞こえていた。

 そーっと覗き込む。

 愛美はイスに座りながら、なにやらスマホをいじっていた。こちらからは彼女のやや斜め後ろが見える位置なので、音を出さなければバレないだろう。

 彼女はどうやら壁にかけられたテレビを流し見しているようで、ちらりと視線をやってはスマホに戻すというのをずっと繰り返している。

 

「チャットしてるっぽい?」


 円華の分析に、隆吾はうなずいた。


「画面下部をやたらクリックしてて、派手な音がない。まあ十中八九SNSアプリだろう」


 操作している愛美の顔はどことなく紅潮しているように見えた。口元もほころんでいる。

 熱心に返信を送っては、待ち時間をテレビで潰すものの、返事が来たら即反応する徹底っぷり。

 もしかしたら、あそこにヒントがあるのでは?


「さて、どっちを取るか……母親から直接きくか、スマホを調べるか」


 下手なことをすれば、そのままゲーム終了。愛羅との約束は叶えられなくなり、このエクスペリメンツを終わらせることもできなくなる。

 どちらかが正解で、どちらかがババだ。

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