第37話 平和的解決法

「教えてくれ。どうしておれを正義の味方にしたいんだ」


 人助けを遂行する裏で、並々ならぬ狂気によって他者を害する円華。

 その過ちはどこから始まったのか。

 なにが原因なのか。

 どうすれば終わるのか。

 クーラーの稼働音が聞こえてくるほどの静寂が、隆吾に息が詰まるような緊張感を与えてくる。


 円華はクスッと笑うと、恋する乙女のように瞳を輝かせた。


「タヌキくんがあの日、私のことを助けてくれたからだよ」


「いや、おれをターゲットにした理由じゃなくて、なんで正義の味方にしようなんて思ったかって話してんだけど」


「私ねぇ」


「はい」


「あの日の前日まで軟禁されてたんだよね」


「はい……………………はっ?」


 我が耳を疑い、一呼吸おいて、居住まいを正した。


「ナンキン? 中国の?」


「それは南京。私、中学は不登校気味でさ。まあ、勉強はできてたんだけど。それで、ある日ね。お母さんが連れてきた男が……あ、うち母子家庭なの。言ってたっけ?」


「以前聞いたな」


「覚えててくれたんだ。嬉しい……でね。その男がお母さんと私を家に閉じ込めたんだよね」


 終わったことのように涼しげな顔で話している彼女に、薄ら寒いものを覚えた。


「私はね、殴られるぐらいしかされなかったよ。お母さんがずっと庇ってくれたんだ。毎日毎日、お母さんがあの男におもちゃにされる声を聞きながら必死にまぶたを閉じて眠るの。でもね、ある日、あの男がお母さんを殺そうとしてさ。どうにか止めないとと思ってたら、どこからか声が聞こえて……」


「それがダブルスーツだったのか?」


「うん。アプリをくれてね。あの男を催眠で油断させた隙に殺しちゃった。死体はダブルスーツが処分してくれたんだけど、お母さんはショックでおかしくなっちゃった。そりゃそうだよ。娘が人殺ししたんだもんね」


 ポケットディメンション。

 バニースーツが持っているのだから、ダブルスーツも持っていてもなんらおかしくはない。そこに死体を遺棄することも可能だろう。


 とはいえ、すでに殺人に手を染めているとは。

 クズが死んだことについてはなんとも思わないが、目の前の相手が人殺しだと分かると恐怖が強くなってきた。

 隆吾は乾いている口内をソーダで潤し、どうにか声を絞り出した。


「……それで?」


「お母さんはアプリで正気に戻せるからだいじょうぶ。なんにも問題ないよ。それよりも、学校の先生もクラスメイトも、受験のために久しぶりに登校した私の顔にあざがあってもまったく気にしてなかったんだ。おかしいよね」


 以前話してくれた内容は、まるっきりデタラメだったということか。


 嘘で塗り固められた円華の微笑みは、映画やドラマで見る俳優のそれとはまるで違う、身の毛もよだつおぞましさを持っていた。

 触れてはならない部分に触れてしまっている。いいや、とっくの昔に触れてしまっていたのだ。

 腕の産毛が逆立っていることに気づき、続いて指の痺れに気づく。

 気圧されている。


「それでね。『あーあ、私が困ってるのにヒーローは助けに来てくれなかったな~』って思ってさ」


「ダブルスーツはヒーローじゃなかったのか?」


「ん? あれは……違うね。あれは悪魔だよ。取引を持ち掛けて、私に人殺しをすることを勧めた。その代償の大きさも教えてくれた。無償の正義ではないんだから、ヒーローなわけがないんだよ」


「…………」


「そういえば、不良に絡まれてるときも、みんな不憫そうな目をして去って行くだけだったっけ」


「そこにおれたちが来た……と」


「タヌキくんすっごくかっこよかったよ。落ちてたレンガで後ろから不良に殴りかかって、光輝くんに羽交い絞めにされて止められてたもんね」


「おいヒーロー要素消えたぞ」


「だからさ、タヌキくんは私のヒーローなんだよ。損得抜きで人を助けられる、自分の身を挺して戦える。そんな人なんだよ。だから、私の理想どおりの正義の味方になってほしいの」


 円華の朗々すぎる語り口は一見して嘘をぺらぺら喋っているだけのようにも感じられたが、嘘だろうと本当だろうと関係ない。

 やることはひとつ。

 彼女からスマホを奪い、アプリを消滅させる。

 犯した罪に関しては、この超常的なアプリを現代の法で裁けるわけがないので、考えるだけ無駄だ。


「面白くはなかったけど長々と自分語りをしてくれてありがとう」


「こちらこそ、話を聞いてくれてありがと」


「よくわかった。おまえの言いたいことは」


「そっか。よかったぁ」


「よくはねえよ」


 隆吾は深くため息をつき、恐怖を苛立ちで塗り替えた。

 ずっと腹が立っていた。話を聞いている最中ずっと、ずっと、恐怖の裏に隠れていたが、至極当然の怒りを覚えていたのだ。

 だから、静かにキレた。


「だいたい、なんでそんなことをおれに相談もなしに勝手に始めたんだ?」


「……?」


 きかれるとは微塵も思っていなかったのか、円華は首をかしげた。


「普通、なにかしら行動を起こすのなら相手に一言相談するだろ? で、同意を得られて初めてスタートじゃん。不登校だったなら分かると思うけど、知らない人が部屋を勝手に掃除してたら怖いよな?」


「え……その……」


「理由があるならどうぞ言ってくれ」


「私が相談したら、それはヒーローじゃないからだよ。自分の意思で悪と戦って、自分の意思で正義を目指してほしいの。私はそのお手伝いをこっそりしてただけ」


「ふん、なにがお手伝いだ。結局は相手を自分の思い通りにしたいだけの幼稚な押し付けだ」


「そうだね。そう思うよ。でも、それが私のやりたかったことだから。嫌われても、タヌキくんを理想の存在にしたかったんだ」


 言い訳をせず、自分のエゴを貫くつもりのようだ。

 こんなのを相手にしていたら、遠からず頭がおかしくなるに違いない。


「はぁ……次の質問に行こうか。おまえの具体的な最終目標はなんだ? おれを正義の味方にするとはいうが、どういうのを望んでいるんだ」


 たずねると、円華は夢を語る子供のように無邪気な笑顔で答えた。


「……困っている人がいたらすぐに助けに行く人。誰よりも強くて、私のそばにいてくれるかっこいい人」


「で、どこまで妥協できる? たとえば、殺人犯が立てこもってるところに突撃しろとか言わないよな」


「人質がいたら助けに行ってほしい」


「警察に任せろよ」


「正義の味方はね。助けを呼ぶ人がいたら勝手に体が動くし、悪人がいれば許さないし、そこに一切の妥協はないの。そして、絶対に死なない」


「ムリぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」


「できるよ。タヌキくんなら」


 円華は狂気的な微笑みを浮かべ、瞳に怪しい輝きを放ちながら言い切った。

 おそらく本心から言っているのだろう。

 だが、それはただ現実が見えていないだけである。

 眼に入るすべてを救うなんてできないし、犯罪者に誰彼構わず突っかかっていたら自分が捕まりかねない。


「なぁに言ってんだオメェはよ!」


 隆吾は円華の頭をバシバシ叩きながら怒鳴った。


「無理に決まってんだろバーカ! それができたら警察はいらねーんだよ! もっと考えてから物を言え!! 脳みそ動かしてんのか!? おがくずか!? 頭ン中にはおがくずが詰まってんのか!? カカシか!?」


 彼女は隆吾の手を払いのけると、断固とした口調で言い返してきた。


「ダメ! 正義の味方は助ける相手を選んだりはしないの! 助けを求める人がいたら、どこにでもあらわれないと……」


「いいか!? おまえの言い分どおりだとなぁ……無駄に二次被害を生むだけのゴミムシができあがるだけなんだよ! ただの人間が銃やナイフを持った悪党の前に出たら、葬儀屋の世話になって終わりだ!」


「それじゃあ……っ!」


 裏返るほどの大声を途中で止めた円華は、一転して泣きそうな顔へと変わった。

 胸の内から湧いてくる波濤はとうのような感情を、顔の皮一枚だけでギリギリ堰き止めている。

 そんな苦しみの混じった悲哀の表情だった。


「みんながそんなんだから……誰も私とお母さんを助けてくれなかったんじゃないの……? あんなに助けを求めたのに……」


 それが本心だったのか。

 この世に盲信できるほどの絶対的な正義があれば自分たちはもっと早く助かっていたはずだと。

 人殺しにならなくてもよかったのだと。

 母の心が壊れなくてよかったのだと。


 けれど、内心では不可能な夢であることがわかっていたはずだ。

 だから悠長な道は進まず、アプリを使った強引な方法を選んだ。

 だというのに隆吾がアプリを手にしてしまい、作戦の変更を余儀なくされた。

 自分こそが黒幕であると明かし、本格的な衝突を始めるしかなかったのだ。


 ……まあ、それすらおれが許さなかったんだが。


「同情はするよ。だがな、理想を人に押し付けるな。そのまえに、おまえ自身がその理想を体現すべきなんだ」


 他人にばかり苦労を強いるような夢など、ただの迷惑でしかない。

 円華が正義のなんたるかを語りたいならば、自分がまず立ち上がるべきだった。

 人を不当に傷つける者が語る正義など、嘲笑を買うぐらいしか価値がない。


 泣きそうな顔をしていた円華は、スッと仮面のように無表情になった。


「……妥協点は」


「ない」


「私もない」


「なら、対決は続行だ」


 隆吾はすくっと立ち上がると、残ったソーダを一息に飲んだ。


「……ここでおまえからスマホを奪ってもいい。だが、それじゃあ後味が悪い」


「そんなことを気にしていて、私に勝てるの」


「これは殺し合いじゃない。この勝負が終わったあとも、おれたちの日常は続いていくんだ。お互いに納得のいく終わり方だったほうが気持ちがいいだろ」


 ゲームの条件は相手の催眠アプリ、つまりエクスペリメンツを破壊することだ。わざわざ人殺しになる必要はない。

 たとえ殺して、うまく死体を隠しおおせたとしても、常に発覚を恐れて生きていくことになる。それを健全な状態とは言えないだろう。


「というわけで、公平にルールを決めよう」


「ルール?」


「実は、愛羅から頼みごとをされている。母親が芸能界に入れとうるさいからどうにかしてくれ、ってな」


「それが勝利条件?」


「これが達成されれば、愛羅も教室での横暴な真似はやめると言ってくれている。もし嘘だったら容赦はしないつもりだが、成功したなら一石二鳥というわけだ。いじめもなくなり、勝負に決着がつく。やるか?」


 問いかけると、円華は目を閉じた。

 彼女が乗ってくるかは分からない。

 愛羅が改心すれば悪役がいなくなる。それではヒーローの出番はない。代わりに、隆吾が手に入る。


「まあ受け入れなかったら、おれはもう二度とおまえとは口を利かないだけだがな」


「え!?」


「一生無視する」


「ちっちゃい子の絶交かなにか……?」


「おれたちが本気でやりあえば、使うものが催眠アプリである以上、必ず無関係な人たちが巻き込まれる。そんなことをヒーローが許すか? おれは正義の味方らしく、無血による決着を望む!」


 裂帛の叫びとともに、指を突きつける。

 微塵も正義なんて考えていないが、この際ウソでもいいから円華を納得させなくてはならない。

 当の彼女はというと、潰した紙のようにくしゃっとした苦い顔で、じっと隆吾の指先を見つめていた。


「……う、わ、分かった……タヌキくんに無視されるの嫌だし……それに、たしかに無駄に被害を広げるのはヒーローじゃないよね」


「よく言った。エラいぞ」


「じゃあ次は……お互いに課すルールだね……」


「互いへの攻撃は無し。妨害は有りにしよう。どうせ好きなようにやろうとしたら、互いの邪魔にならざるを得ない」


「どこまでが反則行為になるのか……は、まあ常識的な範囲でいいよね」


「あぁ。愛羅の母親への過度な攻撃もルール違反とする。殺傷、記憶を消すなど……その場合、勝負の決着はつかなかったことにする」


「ゲームはいつから開始?」


「今からだ」


 そのとき、ドタバタと騒々しい足音が階下から響いてきた。二階まで登ってくると、光輝の「うおっ!?」という声がして、バタンと扉が乱暴に開かれた。


「タヌキ!! 遅い!!」


 愛羅が怒鳴りつけてくるのと同時に、おれはスマホを手に立ち上がった。


「ゲームの主催者がご登場だ。愛羅、おまえの母親がいる場所まで道案内頼む」


「なんでコイツがいんの!?」


 愛羅に指を差された円華は、不敵にもニッコリと微笑んだ。


「ダメだったかな?」


「いいや、むしろよかった。ここで殺せる」


 隆吾は円華に掴みかかろうとした愛羅の腕を掴み、後ろに回して締め上げた。


「いっいたいっ!」


「ケンカなら外でやれ」


「うっさい!」


「っていうか、おまえどうやって家に入ってきた」


「鍵が開いてた!」


「光輝、テメェ鍵あけっぱなしだったな!?」


 廊下から覗いていた光輝が「すまん」と頭を下げた。

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