第36話 お互いの目標
どこかのタイミングで円華が窓から覗いてくる可能性を考慮して、愛羅が来た時点で窓のカーテンはすべて閉め切っていた。
「明日から夏休み、か……」
朝、目を覚ますなり、すぐにカレンダーを見やった。
今日が終業式。終われば九月まで自由だ。
寝起きは素直なほうだ。脳内が一分もしないうちにハッキリとしてきて、自分の現状を冷静に分析する。
愛羅は隆吾の腕に抱き着いたまま眠っていた。
「起きろ、朝だぞ」
揺さぶってみたが、幸せそうにまぶたを閉じたまま目覚める様子がない。
めんどくさい。
だが、このまま放置するわけにもいかないだろう。
こういうときの対処法は、中学生のころに行った修学旅行で学んでいる。
「えいっ」
愛羅の鼻をつまんだ。
「へぶっ……」
彼女は息苦しそうに顔をしかめはじめると、カッと目を開いて起き上がった。
「なにすんの!!」
「いつまでも寝てるからだろうがボケ。人ん家だぞここ」
「髪整えるから先行ってて!」
「あいよ」
ボサボサ頭の愛羅を置いて、部屋を出る。
リビングに行くと、いいにおいが漂っていた。母が調理の真っ最中だった。父はそれを手伝いながら、手が空いた時間でネクタイを締めている。
「隆吾、おはよう」
「おはよう、父さん。母さん」
朝のニュース番組を見ているが、昨日の事件は報道されていなかった。
あれだけ負傷者を出した殴り合い、しかも円華の兵士は何も知らない一般人だ。不審に思われて通報でも入っているかと考えていたのだが……。
まあ、こちらとしては好都合だ。
警察が関わりだすとめんどうなことになってしまう。
女の子を家に泊めたというのに、両親は大したリアクションは見せなかった。
彼らは良くも悪くも息子の行動に口出ししないタイプだ。
もちろん、以前愛羅の家に行って帰りが遅くなったときはさすがに「なにも言わずこんな夜遅くまでどこ行ってたの?」と詰められたが。
朝食はベーコンエッグだった。
食卓につくと、
「おじさま、おばさま。おはようございます」
まるで貴族の令嬢のようなうやうやしい態度の愛羅がやってきた。
昨晩から両親にだけはこんな風だったらしい。
猫を被る、なんて慣用句を知ってはいたが、こうして目にするのは生まれて初めてのことだ。
起きたばかりなのに、ちゃんと髪を整え、薄く化粧を施している。
「昨日は失礼しました。いきなり泊めてほしいなんて、ご迷惑でしたよね……」
悲痛なまなざしで顔を伏せる愛羅に、母は慌てて手を振った。
「いいのよ、愛羅ちゃん! 困ったときはお互い様っていうじゃない!」
「ありがとうございます……こんなに親切にされたは何年ぶりでしょうか……」
愛羅は目尻に溜めていた涙をわざとらしく指で拭った。
なんつー演技力だ。ほんとに芸能人になったほうがいいんじゃないか。
隆吾の冷ややかな視線に気づいた愛羅は、両親に見えないようこっそりと舌をぺろりと出しておどけてみせた。
「ほら、愛羅ちゃん。朝ごはん食べてって」
「はいっ。いただきます」
マナーの行き届いた所作で、愛羅は上品に朝食を食べている。
ここだけ切り取れば、お嬢様も顔負けだろう。
髪がピンクっぽい色合いという奇抜ささえ気にならなくなるレベルだ。
父は感心したように何度もうなずいていた。
「これだけ礼儀正しい子が隆吾のお友達だと、僕らも安心だよ」
「そんな……私なんてまだまだです」
「謙遜ができるなんて、大人だねえ。そういえば、以前も礼儀正しい女の子が家に来たことあったなぁ。たしか、円華ちゃんだっけ」
ガチィンッ
突如、甲高い音が鳴り響いて、隆吾は驚きのあまり食ってたベーコンを喉に詰まらせた。
窒息寸前でなんとか飲み下し、お茶を飲んで一息つく。
隣を見ると、愛羅が険しい表情でフォークの先端を皿に叩きつけていた。
円華の名前を聞いた瞬間にぶち切れやがったのか……。
背筋に悪寒が走り、いますぐここから逃げ出したい衝動に駆られた。
呆然とする両親。
愛羅は取り繕うこともせず、地獄の底から響くような声で言った。
「……すみません……昨日あった嫌なことを思い出して……つい……手が」
「そ、そうなの……」
「さっきの……円華……さんがこの家に来たっていう話はほんとうですか?」
「え、えぇ……そうよね。お父さん?」
「あぁ……そうそう、何か月か前にね」
「そうなんですか」
愛羅は最後の一口を食べ終えると、持ってきていた歯磨きセットを手にして「洗面所使わせてください」とたずねた。
両親が了承すると、礼を言って食卓から去った。
これは、さっさとあいつの母親問題を解決しないとだな。
でないと、いつまでも居候しかねない。
もしかしたら、この家を乗っ取られるかも。
隆吾は不安を覚えながら、身支度を整えた。
◇
高校まで愛羅とはできるだけ距離をとって歩いた。一緒にいるところを見られたらなにを邪推されるか分かったものではない。
ごねる彼女を置いて家から飛び出して、歩くこと十数分。
高校にたどりつき、校門を通ろうとすると、
「おい! タヌキ!!」
背後から誠人に怒鳴られた。
振り返ると、彼は隆吾の鼻先に指をつきつけて言った。
「テメェ、俺を洗脳しやがったな!」
「脳を洗うと書いて洗脳なんだ。つまり、サウナのおかげでおまえは浄化されたってことだろう。一日で汚れたようだが」
「屁理屈すぎんだろ……っていうか、なんで愛羅と同じ時間に登校してんだ。あいつもっと遅いだろ」
「きのう家に来たんだよコイツ……」
「はい?」
素っ頓狂な声をあげた誠人に、愛羅が不敵な笑みを浮かべた。
「なぁに? いまさら『別れる』のを取り消したくなった?」
「いや、全然」
「はぁっ!?」
どうやら誠人は愛羅の呪縛から解放されたらしい。以前とは違う、爽やかな表情をしている。
指を失ったことで夢を諦められたおかげだろうか。
いや、そんなネガティブな事件を喜ばしいことのように語ってはいけないか。
「だが、元気そうだな」
「まあ、サウナに入ったおかげで多少は心も晴れたけどよ……。それより、円華をどうするつもりなんだ?」
「どうやらおれに心酔しているらしく、おれを理想のヒーローにしたいらしい」
好感度を調べたときの異常な高さ。
親友だったらしい美里より高いくせに、大した付き合いもない。なら考えられるのは、狂ってしまっているということぐらいか。
「だから、いずれまたおれにぶつかってくる」
「作戦はあんのか?」
「ない」
「正直、円華のやり方は異常だ。おまえだけがやられるならともかく、俺まであんなのに巻き込まれたくない。俺と関係ないところで、さっさと終わらせてくれ」
「おれがおまえの立場でも同じことを言っただろうさ。だけど、スマホの奪い合いなんて始まったら犠牲者が出る。おれも、何の罪もない人を操って戦わせるようなひどいことはしたくないし……」
いまのところ明確に死人は出ていないが、このまま放置すれば遠からず誰かが死ぬことになるだろう。
そもそも、ながら運転の青年を自動車を使って殺そうとした前科がある。あれは明確に殺意だったはずだ。
生きていたのは、たまたま運が良かっただけ。
とっくに人としての一線を超えている。
終わらせなければ。
◇
一学期最後のホームルームが終わり「起立、礼!」と円華が号令をかける。そして、解散となった。
一か月という長い休みを得た生徒たちは、晴れやかな笑顔で教室を去って行く。逆に隆吾はため息が出るほど暗澹たる気分だ。
学校の内外から聞こえてくる喧騒のなか、
「…………」
昨日あれだけのことがあったというのに、平気な顔で登校してきている円華と対面する。
お互い、ここで争うことはできない。
誠人たちがちらちらと視線を送ってきたが、隆吾は手を振って教室を出るように指示した。
美里も歯がゆそうにしていたが、円華のうなずきを見て渋々といった様子でその場を後にした。
ハッキリ言って、円華が怖い。
人を殺したのがウソだったとはいえ、あのときの光景と感情は脳に深く焼きついてしまっている。
「おはよう、タヌキくんっ」
真実を知る前と変わらない態度をとる彼女に、隆吾は警戒心を強めた。
「戦うのか?」
「うーん、どうしようかな。正直、このゲームってアプリを使って相手の素性を先に暴いて、秘密裏に相手のアプリを破壊するっていうのがメインだと思うんだよね。だって、お互いに素性がバレた状態がずっと続くなんて、想定してないはずだもん」
たしかにそのとおりだ。
もし自分が相手を先に発見したなら、バレないようにしつつ相手のアプリを破壊して終わりだろう。
バニーたちの話を聞くに、催眠アプリで欲望を曝け出し、出し過ぎた結果バレたほうが負ける。みたいなストーリを想定していたに違いない。
「だから、私は正面からの潰し合いはしたくないなぁ。だってレベルに差がありすぎるもん。私が本気だったら、タヌキくんはとっくに負けてるよ?」
なのに倒さない理由。
それは円華が妥当されることを望んでいるから、だろう。
自分を悪役と呼び、こちらを正義とする以上、それ以外に考えられない。
しかし、このまま手を抜いて負けても円華の納得するヒーローの誕生とはならないはずだ。
なら……。
「おれの家について来い。なにを最終目標としているのか、なにを譲れないのか、そこを擦り合わせなければ不毛な戦いが続くだけだ。妥協できる部分もあるかもしれない。そのうえで決着をつけよう」
「いいよ。きょうはいっぱいお話しようね」
その穏やかな言葉とは違い、不敵な笑みを浮かべる円華。
愛羅がムスッとした顔でこちらを見たが、そっちの案件は後だ。取り掛かるにしても、円華に横槍を入れられたらたまったものではない。
学校から帰ると、まだ両親は帰宅していなかった。
玄関で靴を脱ぎながら、円華が「お邪魔します」と礼儀正しくあいさつをした。
「家には誰もいねえよ」
「タヌキくんがいるじゃん」
部屋に円華を招き入れて、座卓を挟んで向かい合う。
記憶では、以前にも何度か彼女を家に入れたことがあった。あのときは催眠の『友達』をかけられていたせいだったわけだが。
「…………」
いまは真逆の立場となって相対している。
如才ない態度で両親に取り入っていた円華の姿はいまでもハッキリと思い出せる。
母から「リュウくんの彼女?」ときかれて、彼女がまんざらでもなさそうに笑っていたのは見間違いではなかった。
「なにかお菓子食べるか?」
「いいよ。お構いなく」
「飲み物は?」
部屋の隅にあるミニ冷蔵庫を開けながらたずねる。敵だと分かっていても親切にしてしまうのは、まだ彼女のことが好きなせいだろうか。それとも、敵意がまるで感じられないせいか。
円華は座ったまま体を前のめりにして中身を覗いた。
「うーん、ウーロン茶で」
「ほらよ」
ペットボトルのお茶を投げ渡すと、円華は喉が渇いていたのか一気に半分ほど飲み干してしまった。
喉が渇いているにしては、焦ったような飲みっぷりだ。緊張しているのだろうか。
「ふぅ……ねえ、タヌキくん」
円華がペットボトルのふたをぎゅっと閉めながらたずねた。
「さっき『家に誰もいない』って言ったけど嘘だよね」
その視線が扉に向かう。
「扉の外に光輝くんが待機してる」
「どうしてわかった?」
すると、円華は髪をかきあげて、右耳を晒した。
そこには無線イヤホンが装着されており、外部の協力者の声が届いているであろうことは明白だった。
円華が家に侵入して悪事を働くことを見越して、緊急時のために光輝に予備のカギを渡していた。
が、隆吾は光輝を呼んでいない。
なぜなら円華と面と向かって話ができるとは考えていなかったからだ。
あの野郎、以前からこちらの様子がわかるような口ぶりだったが、もしかしたら盗聴器かなにかを仕掛けられているのか?
ちょっと怖い。
とはいえ勘違いしているのなら、ここは乗っておこう。
「外で誰か見張らせているのか」
「家の外に美里ちゃんがいるの。廊下の窓から光輝くんの姿が見えたんだって」
「逃げられないぞ」
「さすがだね、タヌキくん。やっぱり私が認めたヒーロー」
彼女はなにやら自慢げに微笑みを浮かべているが、まったく見当違いである。
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