第34話 サウナ

 コンビニの前でからあげを食べながら、すっかり意気消沈している誠人を慰める。


「元気だせよ。たかが付き合った相手が根っからのクズで、指を折られたり欠損したり小便漏らしたり、わけの分からない喧嘩に巻き込まれたり、謎の上位存在がいたり、実は円華が裏ですべて仕組んでたって知っただけじゃないか」


「天地がひっくり返るレベルの事態だろうが……っていうか、そのうちのいくつかはおまえが原因じゃねえか!」


「よかったな。分かりやすく自分を正当化できる敵があらわれてくれて」


「……おまえだって俺からしたら敵だ。いつ人を操るかも分からないようなヤツってことに変わりはねえ」


「まあ、そんな心構えしてたってこのアプリには無力なんだけどな」


「たちの悪い敵キャラみたいなセリフはやめろ! こえーんだよ!」


 捨てられて人間不信になった野良犬のように威嚇してくる誠人は、隆吾たちから距離をとった。

 これぐらいで和解できると思っていたわけではない。

 とはいえ、少なからぬ落胆はある。三人で手を組めば円華にも勝てる気がしたのだが、そううまくはいかないか。


「キミはこれからどうする?」


 光輝の質問に、誠人は気まずそうに視線を逸らした。


「どうもしねえよ。もう親父との約束も果たせねえし……」


「ごめん……迷惑かけた人たちに謝るのかってことなんだけど」


「え、どこまでが俺の意思か分からないんだし別にいいだろ?」


 ゴツッ!

 隆吾が全力でぶん殴ると、誠人はコンクリの地面を盛大に転がった。


「ぶへっ」


「ほぼおまえの意思だバカヤロー。おまえの様子におかしいところはなかった。つまりは円華がかけた催眠はほぼ『友達』だっただろう。これで行動を誘導できたわけがない。だから、おまえが自分の意思でやったんだよ」


「やりやがったな……!」


 互いにじっと睨み合う。

 同情の余地があるとはいえ、根っからのクズであることに変わりはない。そんなことは分かっていた。


「反省の色ぐらい見せろ」


「俺に説教すんじゃねえよ。やっぱテメェは再起不能になるまで殴り倒すしかねえな」


「その腐った性根を叩きなおしてやる」


 後ろから光輝が「こんなところでやりあうな」と注意してきた。

 たしかにコンビニ前の駐車場で殴り合ったら迷惑だろう。いや、そもそも人前で喧嘩などしたら警察を呼ばれかねない。

 それに、止める者のいない喧嘩というのは得てして決着がつかないものだ。お互いに疲弊しきり、立つことすらままならなくなる。

 こちらとしても、傷だらけで地面に転がりたくはない。


「よし、ついてこい」


 歩き出すと、誠人が怪訝な顔で言った。


「どこに行くつもりだ」


「サウナ」



 薄暗い室内にはほとんど音はなく、パチパチと弾けるような音だけが響いている。

 暖かみを感じさせる木造の内装。

 部屋の正面に設置された筒状のカゴがあり、そこには黒い石がぎっしり詰め込まれていた。音の発生源はそこだ。下から火であぶられて、部屋全体に熱を放っている。あれがいわゆる“サウナストーン”だ。

 それゆえ、室内には焼けるような熱気が充満していた。五分もいればクラクラとしてくるほどの熱さ。

 そして、湿度。

 ここにいる者はみな全身にびっしょりと汗をかき、静かにうなだれていた。


「……………………………………」


 隆吾は誠人と光輝のふたりと肩を並べて、じっと蒸されていた。ほかにも数名ほど人がいる。

 座席は階段になっており、合計四段。

 隆吾たちは二段目に座っている。

 あまり上に行き過ぎると熱をもろに浴びて、気持ちよさよりもしんどさが先に来るからだ。

 ここに会話はなかった。寂蒔じゃくまくとした空気を破るのは、たまにこぼれる喘鳴ぜいめいだけ。

 ふと、扉が開いてシャツを着たスタッフが入ってきた。


「これより、ロウリュサービスを始めます」


 彼がサービスの内容を説明するあいだに、もうひとりのスタッフがサウナストーンに水をかけていく。風が松の木を揺らすような松濤しょうとうの音がざわざわと鳴り響いた。

 すると、なんだか清涼感のある心地よいにおいが流れてきた。アロマだ。鼻を抜けていく香りのおかげか、熱が少しだけ和らいだ気がした。


「アウフグースをご所望の方は手を挙げてください」


 隆吾が手を挙げると、誠人も負けじと続いてきた。


「では、手を下げてください。限界の場合は、いつでもご自由に退出してください。では、端から始めます」


 スタッフたちが巨大なうちわを手にとり、ひとりひとりに熱風を送り始めた。

 ブオオッ、とものすごい音が鼓膜を揺らしていく。隣の人が煽られているが、その余波だけで逃げたくなるほどの熱さを感じた。

 隆吾の番になり、全身にアウフグースを叩きこまれた。


 ――あつ……いや、痛い!!


 ピリピリと突き刺さるような感覚と、猛烈な熱気。

 思わず「誰かおれを殺してくれ」と叫びたくなるが、ほんの数秒、どうにか耐えきる。

 誠人はというと、熱風を浴びて白目を剥いていた。

 し、死んでる……。


「それではロウリュサービスを終了いたします」


 サウナ内でまばらな拍手が沸き起こった。

 裸の人間でも音をあげるほどの熱さのなか、服を着たまま巨大うちわを仰ぐという重労働をしているスタッフに対する賞賛だ。

 自分ならあんなの絶対にやりたくない。

 スタッフが出て行くのを見送り、隆吾たちも早足で外に出た。

 あまりの熱さに意識が朦朧としていて、すでに脳がゆで卵になっているような気さえしている。


「サウナで耐久勝負でもやるのかと思ったんだが……」


 誠人の疑問に、シャワーで汗を流しながら答えた。


「それは絶対にやるな。倒れたりでもしたらマジで危ない。っていうか、体調によって耐えられる時間とか全然変わるぞ。運動してなかったら十分以上耐えられるけど、運動したら八分が限度だったりするしな」


「え、じゃあなんのためにここに?」


 汗を体から落とした後、水風呂に入る。

 心臓が止まるんじゃないかと思えるほどの冷たさがバキバキに襲ってくる。全身の毛穴、筋肉、細胞がぎゅっと収縮する感覚がする。

 明らかに体に悪そうだが、これを三十秒から一分。動いたら余計に冷たいのでじっと耐える。

 それが終わると外気浴スペースにあるイスなどで休憩をする。特別なことはせず、ただぼんやりとしていればいい。いわゆる“ととのう”にならなくても気持ちがいいものだ。

 ここまでがワンセット。


 運よくデッキベッドが人数分あいていたので、一度湯をかけて洗い、体を預けた。

 心地よいそよ風が流れ、藍色の晴天が吹き抜けから覗いている。眼を閉じると、体が浮くような気分になった。


「なぁ、ひとつ訊くが……」


 誠人の言葉に、意識半分で返す。


「なんだ?」


「俺たち、なにしてんだ?」


「気にするな。二セット目に行くぞ」


 その後、合計三セットを終えた隆吾たちは、館内にある休憩所で買ってきたジュースをがぶがぶと喉に流し込んでいた。

 失った水分が入っていく感覚がして、いつも以上に美味しく感じる。


「どうだ誠人、初めてのサウナは」


 たずねると、


「はい。とても気持ちがよかったです」


 誠人は瞳をキラッキラに輝かせて、満面の笑顔を浮かべていた。


「私が間違っていました。ちっぽけなプライドや反抗心のために、自らの罪を懺悔しないなど、愚にもつかない行為でした。悟りました。人の善がこの世を回すのだと。己の利益ばかりを追求せず、もっと無限に広がるものを手にするべきなのだと」


「うむ……サウナがそう教えてくれたんだなぁ」


「いままでご迷惑をかけた皆さまに、誠心誠意を込めて謝罪しようと思います。そして、新しい自分をスタートし、まだ見ぬ未来へ体当たりをしたいと考えています」


 誠人はガバッと立ち上がると、


「では、失礼いたします。本日はありがとうございました」


 キビキビとした規律正しい動作で去っていった。

 善とはなにかを知ることができたのなら、きっと彼にも輝かしい未来が待っていることだろう。


「え……なんだこれ」


 光輝が信じがたいものを見る目で隆吾を見た。


「ん、ん……ん? え? いや、変わりすぎじゃない?」


「彼はサウナによって悪の心を体の外に流したのです」


「そんなレベルじゃないよね? 明らかに別人になってるよね? っていうか、催眠アプリよりすごいことしてるよね?」


「見ろ。誠人を改心させたおかげでアプリのレベルが上がって現在『70』だ」


「サウナに入れただけでレベル上がりすぎじゃない?!」


「サウナだからな」


 手に入れたのは『態度:殺意』『命令レベル3』だった。

 命令に関してはあまり使っていないとはいえ、費用が安くなるのはありがたい。もっと強い命令も試したいが、いまレベルを消費するのはまずい。 


 そういえば誠人の指が切断されてからまだ数日しかたっていないはずだが、だいじょうぶなのだろうか。

 まあ、出血して死ななかったということは平気に違いない。

 自問自答して、帰途についた。


          ◇


「美里ちゃん、そっちの様子はどう?」


 通話口の向こうの円華が機嫌よさそうに言った。事態が思い通りに動いていて、さぞ気分がよいことだろう。

 だが、すべて計算どおりにはいかないのが世の常だ。

 なにより、相手はタヌキ。


「こっちは……」


 美里は健康ランドの外から入り口を眺めながら、スマホに向かって言った。


「タヌキたちは銭湯に入ってった」


「は?」


「たぶん、男三人でサウナに入ってる」


「……はぁ?」


 困惑しきった声が耳に届いた。

 それはそうだろう。あれだけの大立ち回りを演じて、隆吾たちに盛大に喧嘩を売ったのだ。作戦会議こそすれ、まさか半日もたたないうちに遊びに行っているとは思うまい。


 ――タヌキはあんたなんかに読まれるような男じゃないのよ。


 自慢げに笑ってやりたがったが、よくよく考えたらサウナが勝利の一手になるわけがなかった。

 マジで遊んでいるだけだ。

 

「いや、ほんとになに考えてんのよあいつら……」


 絶望的すぎるバカさ加減に頭を抱えた。


          ◇


 隆吾は自室にこもり、ストレッチをしながらきょうのことを考えていた。

 死体を見て、殺しかけて、裏切られ……それだけの経験をしておきながら、不思議なほどに落ち着いている。

 春義の死体が本物でなかったことに安心しているのか。それとも、非現実的なことの連続で麻痺してしまっているのか。


「どっちなんだ」


「おそらく、前者だな」


「うおっ!?」


 突然、後ろから声をかけられてビクッと体が跳ねた。

 慌てて振り返ると、そこにあるベッドにバニースーツが腰かけていた。

 相変わらず派手で露出の多い恰好をしている。


「どうやって入ってきた?!」


「我々はおまえたちの理解の及ぶところにはいない。重要なのは“なぜここにいるか”だ。第一に、アプリの所有権がおまえに移った以上は私もおまえに付き添わなければならないことを正式に報告しに来た。いままで光輝から接触を避けるよう指示されていたがな。

 第二に、これからの行動を確認しておきたい。干渉しすぎればペナルティだが、相談ぐらいならば問題はあるまい」


 尊大な口調が地味に腹立たしい。

 白く健康的な足を組むと、バニースーツは話を続けた。


「お互いに顔も手の内も明かした。ならば、決着の時だろう。先んじなければ、円華も先制攻撃に打って出てくるぞ」


 そうだろうとも。

 もはや、やるべきことはただひとつ。

 どちらが先に相手のスマホを破壊するか、だ。

 下手に長引かせたところで、レベルという資源の差で勝負が決まってしまう。ここからは『命令』を使っていかに追い込むかが重要だ。レベルの消費も激しくなる。

 足りなかった場合は『態度』で協力者を集める。

 

「ただ、相手のレベルは『300』で、一度に催眠をかけられる対象は十人。あんまり勝てるビジョンが見えないな」


「もう今日のことを忘れたか」


「愛羅のことを言っているなら、考えが浅いと言わざるを得ないな。あいつはすでに円華から催眠を受けている。いつ解除されるかも分からないから、おれが効力の切れ目を狙うのは難しい」


 まさか愛羅の家に忍び込んで、催眠をかけられるタイミングを狙うわけにもいくまいし……。


「愛羅の私兵を頼りにしても、円華がその気になれば分断できるしな」


「ならば、どうする?」


「おれが円華を後ろから殴りたお――」


 とまで言いかけたところで、扉の外から、


「リュウちゃん、お客さん!」


 と母親の声がした。

 なぜ高校生になった息子を人前で未だにリュウちゃんと呼ぶのだ。


 それにしても、こんな時間に客? 

まさか、また円華が来たのか?

 隆吾はバニースーツに目配せをすると、スマホを持って急いで降りた。

 途中、母がすれ違ったときに「すごく可愛い子だったけど同級生?」とたずねてきた。


 玄関にたどり着くと、そこにいたのは、


「タヌキ、今晩泊めて」


 キャリーバッグを持った愛羅だった。

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