第33話 加害者で被害者

 隆吾は三回ほど深呼吸をしたあとにすくっと立ち上がり、軽く肩を回してストレッチした。

 疲労はあるが、まだまだ体は動きそうだ。

 不安そうにこちらを見つめる光輝の横を通り過ぎて、階段に座っているバニースーツを見下ろす。


「なん――」


 ゴッ


 彼女の横面を怒りのままに全力で殴り飛ばした。

 弾かれた頭が階段の角に当たり、ゴツッと嫌な音がしたが、バニースーツはまるでダルマのように体を正位置に戻した。

 痛がっている様子はない。変わらず無表情のままで、殴打を受けた頬を撫でている。


「いきなりだな」


「どこかへ消える前に殴っておきたかった。半分はおまえのせいだからな。女の子を殴ったのは初めての経験だが、意外と罪悪感はない」


「私はおまえたちの言うところの女性ではない。この姿はあくまで、おまえたちの外見的特徴と風俗を模倣したにすぎない」


 だからってバニースーツはないだろ。


「……まあ、ダブルに騙されていたんだが」


 それは同情する。


「それと、誠人の指だ。あれも戻してやれ。あいつもひどいことをたくさんしてきたが、指を失くすのはやりすぎだ」


「反省したのなら戻してやるつもりだ。しかし、また悪行を繰り返すようなら、指はあのままだ」


 どういう基準で私刑を下しているのかは分からないが、これ以上言っても聞く耳はもたないだろう。もとより彼女は人間ではないのだから。


「そろそろ戻ろう。私を殴りたければいつでも呼ぶがいい。ストレスがなくなるまで好きなだけ殴らせてやる。今後、ゲームをどう進めるかの相談にも乗ろう」


「そういえばおまえ、以前春義……じゃなくてダブルスーツを縛って連れ去ったことがあったろ」


「あぁ」


「あれはなんでだ?」


「難しい話ではない。あれ以上のゲーム干渉はルール違反だったというだけだ」


「おれが操ってたからか……そりゃ、ご苦労様だな」


「さあ、帰れ。エクスペリメンツ再開だ」


 


 元の世界に戻った隆吾たちを待っていたのは、うだるような夏の熱気だった。


「うぉ……忘れてたぁ……くぁぁぁ」


 廃工場内部の沈殿した空気のせいか、それともホコリっぽさが原因か、とにかく気が滅入るような暑さだ。

 倒れている人たちもそのままだが、大した傷ではない。すぐ目を覚ますだろう。

 それよりも、


「タヌキ」


 愛羅が問題だ。

 異空間にテレポートする瞬間を見られたはずだ。いいや、以前見たあの光量ではなにが起きたか分からなかったかもしれない。

 とはいえ誠人はバニースーツの姿を見ている。なにが起きたかは察しているだろう。


「一から説明してもらえる?」


 汗ひとつかいていない愛羅は、寸前まで死体があったパイプイスに腰を下ろした。倫理観の欠如もここまで来るとサイコの域だ。

 恐ろしく思うが、いま隣に心強い親友がいる。


「なんで転校した光輝がいんの?」


 愛羅の疑問ももっともだろう。

 いま、隆吾がとれる選択肢はみっつ。

 正直に話す。誤魔化す。もしくは黙秘を貫く。

 どれを選んでも地雷にしか見えない。

 正直に話せば愛羅はキレる。誤魔化しも下手だったら愛羅がキレる。黙秘はもちろん愛羅がキレる。


 フィクションだったら、ここで説明をしなかった結果、あとあとトラブルが発生するというのが普通だ。

 隆吾も常々思っている。ちゃんと話しておけば、あとで余計な問題を増やさなくて済むんじゃないか、と。

 教えなかったゆえのすれ違いは、見ていて腹が立つものだ。

 だが、それでも正直に話すことを渋る理由は、相手が愛羅だからという一点に尽きる。


「さっきのはバニースーツか?」


 誠人が眉間にシワを寄せて、たずねてきた。

 彼はバニースーツに指を一本奪われている。そんな憎い相手の顔はそうそう忘れはしないだろう。

 振り返ったが、すでに彼女はここから姿を消していた。

 あとは任せたってことか。


「どうする、光輝」


 バニースーツはエクスペリメンツを知る人間が増えるのは困るらしいが、困るだけなら問題あるまい。むしろ困らせてやる。

 愛羅の私兵は何人かすでに戦闘不能だが、残ったふたりはまだ戦えるらしい。この不思議な状況を困惑した様子で眺めている。

 さて、どうしようか。


「説明するよ」


 と、光輝が一歩前に出た。


「ここは暑いから、どこか涼める場所に行こう。関係者だけでね」


「いいよ。まーくんは関係者に入る?」


「あぁ、入る」


 内心、ホッとしている自分がいた。

 下手な考え休むに似たり、というが、たしかにここで愛羅を敵に回して余計な面倒を起こす必要は無い。

 それに、催眠アプリの存在を知られても大した問題は起きない。

 奪われても彼女たちには悪用できないのだ。所有者と認められた者だけがアプリを使える。

 壊されそうになったときは……その前に、隆吾がやったことをすべて円華のせいにすれば助かるかもしれない。


 まだまだ日差しの強い昼間の道路を、四人並んで歩く。市街地は平日だから人が少なかった


 私兵たちは現地解散となった。

 かなりひどい扱いを受けているはずだが、無駄に素直だ。それだけ愛羅と関わることが利益になるのか、それともマゾなのか。


「……どこまで話すつもりだ? 光輝」


 隆吾が耳打ちすると、彼はスッパリと答えた。


「全部」


「おれが学校で愛羅になにしたか知ってるんだよな?」


「把握している。誠人を止めるために利用。その後、家まで付き合った」


「自分が操られてたって知ったら、おれ殺されちゃうよ」


「安心しろ。半殺しぐらいで助けてやる」


「なしてっ!?」


 近くの喫茶店についた隆吾たちは、クーラーの清涼感を浴びながら、隅にある四人席に座った。

 ここなら他人に話を聞かれる心配はないだろう。

 一応、逃げられるように出口側である下座に座る。

 対面に座る愛羅はムスッとした顔。その隣の誠人は、気まずそうに肩を縮めていた。

 以前、愛羅に対してキレていたのが嘘のような小物っぷりだ。


「なんか頼むか」


 たずねると、愛羅が水をちびちび飲みながら言った。


「愛羅は糖質制限中だから水だけ飲む」


「そうか。光輝はどうする?」


「僕はお腹空いたから何か食べるよ」


「ういー。俺もなんか食うかな。店員さーん!」


「ちょいちょいちょいちょい」


 誠人が、テーブルから身を乗り出して声を遮った。


「タヌキてめぇ、俺にも訊けよ!」


「片手の指は折れて、もう片方の手の指はサヨナラしてんのに食えるのか?」


「折れた指はとっくに治ったわボケ」


「っていうか、いつ指折ったんだよ。マヌケだな」


「てめぇのせいだろうがァ――――ッ!!」


 誠人が暴れ出しそうになったところを、愛羅の「うっさい」の一言が止めた。すごすごと引き下がる彼の姿は、ひどく憐れだった。


 注文したケーキが届いて食べ始める。

 そのあいだも、少しだけ愛羅の視線が怖かった。隆吾たちだけ食べてることに嫉妬した彼女がなにか因縁でもつけてくるのではないか、と。

 ここにいる男ふたりが、女子ひとりに内心ビビッているというのは笑い種だ。唯一、光輝だけは憮然として構えている。


「それじゃあ、教えるが……質問はすべて説明が終わったあとでお願いできるか?」


 隆吾の言葉に、愛羅たちはうなずいた。

 あの異空間で聞いたことも交えながら、過去と現在を繋げていく。

 悪いことをした本人たちを前にして罪を語るというこの時間、冷や汗が止まらなかったのは恐怖のせいだろう。


「――というわけで、現在は円華、美里、そして春義ことダブルスーツがおれたちの敵だ。あいつらがすべての黒幕だ」


 美里に関してはまだ確定したわけではない。

 昔からの友人だったというのに、自らの意思で敵対したとは思えない。

 それに、隆吾を攻撃する瞬間。

 泣いていた。

 見間違いではないはずだ。

 美里は罪悪感に苦しむ悲痛な表情で泣いていたのだ。


「なーるほどねえ」


 得意げな顔で、愛羅がフムフムと何度も首を振っていた。


「すべてに納得がいったね。はー、スッキリした」


「それはようござんした……」


 とりあえず、いまここで暴れるようなことはなくて助かった。

 対して、誠人はひどく複雑そうにしていた。


「あー……つまり、つまりは……俺たちは円華に利用されていたのか」


「あぁ。おれがおまえをイスで殴り倒した日、円華におれのスマホを手に入れるよう頼まれただろ」


 そう、それはアプリを入手した当日。

 不自然に接近してきた誠人から逃げるため、イスで殴りかかったのだ。


「いや、思い出せないな……。んでも、俺自身の意思でタヌキのスマホが見たいなんて思ったわけがないし……」


 記憶を消されているな、と隆吾は光輝とアイコンタクトをとった。

 まったく、レベルの消費が激しいであろう効果を平然と使うものだ。レベルが溜まりすぎたから雑に使っても構わなかったのか。


「で、これを聞いたおまえたちはどうする?」


 今度は光輝が質問をした。

 口元を紙ナプキンで拭いて、彼らの言葉を待つ。


「俺は……」


「愛羅はねぇ」


 答えようとした誠人の横から、愛羅が会話の主導権をひったくった。


「舐められっぱなしって嫌いなの。円華は愛羅のことをずっと利用してたってコトでしょう? すごいムカつく。しかも、美里を利用して私をボコボコにしたって? さすがにこれを許すほど仏じゃないよ」


 仏だったことなんて生涯一度もなさそうな女が穏やかに微笑んでいるのがとても怖い。


「だから、百倍は仕返ししないと」


「なにする気だテメー」


 隆吾が訝しむと、愛羅はおもちゃを前にした子供のように笑った。


「愛羅の奴隷をしてくれてる人たちにもご褒美が必要でしょう? あんな綺麗な子をあげたら、しばらくは楽しんでくれるよね。あ、一番目はタヌキにやらせてあげるよ。欲しいでしょ? あの子のしょ――」


 ――パシン


 隆吾は我慢できずに愛羅の頬を引っ叩き、胸倉を掴み上げた。

 テーブルがガタンと揺れて、水の入ったコップが横倒しになる。幸いなことに、中身は空だった。

 だが、隆吾はいま、そんなことを微塵も気にしてはいなかった。

 眼球の奥で熱がほとばしり、血が沸騰しそうなほどの怒りを覚えているからだ。


「……本気で言ってんのか?」


「……なに? 怒ってんの? タヌキだって、あのクソ女にさんざんコケにされたんでしょ? それとも、あんなのが好きだったりすんの? ほかの男に汚されたくないから独り占めさせろってコト? いいよ? エクスペリメンツってのに勝利して、あの女に催眠をかけたらいーじゃん。周りが不自然に思っても、愛羅がなんとかしてあげるからさ」


「おれはなにもいらない」


「は?」


「だが、おまえの腐ったやり方は気に食わない。心底クズだよ。人に対して、こんなにくらい憎悪を覚えたのは初めてだ」


 愛羅は目を白黒させていた。


「え……お、おかしいじゃん! 復讐を手伝うって言ってんのに、なんで愛羅がキレられるわけ?」


「おまえの倫理観がカスだからに決まってんだろうが殺すぞ」


「愛羅も被害者なんだけど!? 入院するぐらい殴られたし!」


「因果応報だろ」


 愛羅を解放して、隆吾は残ったケーキを一気に食らった。いまは糖分で怒りを鎮めることに努める。

 説明してやったはずだが、愛羅は釈然としない様子で睨んでいた。

 そこに続けて、光輝が会話に入る。


「常識的に考えろ。いくら嫌いな相手だからって『襲ってしまおう』なんて、まともな人間なら間違いなく唾棄だきする提案だ。倫理的にも感情的にも、ただの暴力よりも激しい嫌悪感を生む行為だろう」


 彼も最後の一口を食べ終えた。


「やり返すのなら同程度の痛みで十分のはずだ。愛羅、おまえの提案は人でなしそのものだ」


「恥を知れ恥を」


 ボロカスに吐き捨てると、隆吾たちは席を立った。

 愛羅のことをクズだクズだとは思っていたが、ここまでクズだとは想像していなかった。

 彼女は言葉が出てこないのか、口をパクパクと鯉のように動かしていた。


「誠人、言いたいことがあるならいまのうちに言っとけ」


 隆吾が言うと、誠人は「えっ?」と顔を上げた。


「さっき言いかけてただろ」


「あ、あぁ……そうだな……そうだ……」


 彼もガタッと席を立つと、眉間にグッとしわを寄せた。


「愛羅……」


「今度はなに?」


 勇気を出して顔を合わせようとする誠人と、嫌な空気を察して逸らす愛羅。

 店内にいる数少ない客が、こちらの様子に気づいたようで、ちらちらと視線を向けてくる。

 さっきから大声で怒鳴りあっているのだから当然か。


「俺はもう……おまえに従いたくない。別れよう」


 意を決して告げた言葉に対して、愛羅は声を失ったようだった。

 万感の思いだったのだろう。誠人の目尻に涙が浮かんでいる。

 隆吾は彼の肩にポンッと手を置いた。


「言えたじゃねえか」


「あぁ……」


「来いよ。帰りにファ〇チキ奢ってやる」


「え、まだ食う?」


 男三人で店を出ようとすると、後ろで愛羅が叫んでいた。


「ねえ、ちょっと!? 待って……待てって! ちょ、店出るなって! 会計しろよおまえら――――ッ!!」


 もちろん、無視した。

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