第31話 本来のルール

「どこまで話したっけ……」


 おそらく先ほどのインパクトによって記憶が吹っ飛んだせいだろう。光輝が頭を抱えて、必死に記憶を探っていた。


「えっと……そう。僕が掃除用具入れに閉じ込められる前日の話までしたんだった」


「いま思い返すと、あの謎の啖呵たんかは円華への宣戦布告だったわけか」


「そんなもん。だから、いつ攻撃されてもいいように覚悟と準備はしてたよ。僕も隙さえあればやるつもりだったしね」


 そんな水面下の戦いがおこなわれていたとは。


「そして次の日。僕は不意打ちを喰らい、操られた愛羅たちに掃除用具入れに閉じ込められたってわけだ。このとき、スマホを破壊されたが、そっちは僕が偽装のために隠し持っていた予備」


 それも円華のせいだったのか。


「はー、賢い。でも、ラッキーだったな。警備員に助けてもらえて」


「あれも事前に仕込んでたものだ。午後七時までに僕からの連絡がなかった場合、僕が隠し持っているGPSを探知して、捜索するように『命令』していた。もう少し早めにしておくべきだったかな。死にかけたし」


「そして転校か。じゃあ、いつおれにアプリを渡したんだ?」


「キミがアプリを見つける前日だ。機材を揃えて、アプリの文章を改竄し、バニースーツの許可をとって送信した。

 最初にアプリを隠しファイルに設定していたのは、円華に見つかったら困るからだ。混乱したキミが誰かに説明を求めたりしたらアウト。レベルが上がったタイミングで出現するようにしておいたんだ」


「だから、知らないあいだにレベルアップしてたのか」


「正直、絶好のタイミングだったよ。キミの愛羅たちに対する怒りがマックスの状態でアプリの存在を見つけさせることができた。復讐のために使うとなれば、円華やほかの人に協力を求めたりはしないだろう?」


 妥当な推理だ。

 これからやましいことをしようというのに、わざわざ誰かと秘密を共有するわけがない。ひた隠しにするだろうことは猿でもわかる。

 とはいえ、そこに至る過程――つまり、隆吾が愛羅たちに怒りを抱かず、完全に心が折れてしまっていた場合、光輝の作戦は失敗していた。

 そのことを話すと、


「いや、それはない」


 彼は当然のように即座に否定した。


「キミはそんなやわな人間じゃない」


「嬉しいこと言ってくれるな」


 どう顔を合わせたかさえ覚えていないほど、幼いころからの付き合いだ。

 互いにどういう人間かは熟知している。


「そして、そこからはキミの知ってのとおりだ」


「どうして、おれに円華を探すなと言ったんだ?」


「彼女のレベルを聞いただろ? ろくにアプリの使い方すら知らないキミでは、攻勢に出ようとしても、彼女にたどり着けず、逆に破壊されて終わっていた。

 円華の疑念もまだ確信には至っていないと推測できたしな。彼女はアプリでキミを操ることは不本意だと考えている。あくまで、キミの意思が必要なんだ。それに、彼女としてもキミがアプリをどう使うか興味があったはずだ」


「おれを正義の味方とやらに教育するためか」


「――――そのとおり」


 背後からかけられた声に振り返る。


 不思議なことに、大した驚きはなかった。

 円華が割れたひたいから流れている血をハンカチで拭きながら、いつもの温和な笑顔で立っていた。

 ほかに大したケガは見当たらない。やや汚れているが、あれだけ派手に吹っ飛ばされておきながら、平然と立っている。


 ……いや、右肩にわずかな違和感が見られる。

 折れたか、外れたか?


「驚かせてごめんなさい」


「そうか。バニースーツのほかに、もうひとりいるんだったな。ゲームの相手が。だったら、同じ空間に入ってきてもおかしくない」


「冷静だね、タヌキくん。かっこいい」


「なにしに来た?」


「いろいろと教えてあげようと思ったの」


「よく言うな。自分から隠し事をしておいて」


「ううん。ここにいる全員が隠し事をしてるよね。だから、こうして場を設けないと誰も語りたがらない」


 そう話す円華の視線は、隆吾ではなく美里に向いていた。

 ……なんだ?

 どういうわけか、睨まれている美里の表情に怯えが浮かんでいる。そういえば、どうしてここにいるのか聞いていなかった。


「じゃあ、まずは私からね。さっそく紹介するよ、ゲームマスターを」


 と、円華の背後にぶわっと黒い影が広がった。

 それは瞬く間に扉のような長方形を成して、空間が切り取られたような不気味な色を落とす。

 何者かによる侵入――そんな印象だった。

 本来あるべきでない出入口を生み出し、管理者の目を掻い潜って移動する者がここに来る。


「…………」


 息を呑む。

 暗黒の世界から足が一本伸びてきて、靴がカツンと小気味いい音を鳴らした。

 次に手。そして全身。

 細身ではあるが、痩せ細っているほどではない。着ているのはおそらく、カジュアルなスーツだろうか。

 そんなことを頭の隅で考えてながら……。

 やっとあらわれた姿に隆吾だけでなく、光輝も美里も絶句した。


「……やだなぁ。みんな、僕をそんな目で見ないでくれよ」


 飄々とした言い回し。

 優男風な顔立ちと、線の細い体型。ほんの数日前……いや、数分前に見たばかりの容貌を忘れはしない。

 自身の目を疑いながらも、枯れた喉で声を発した。


「……………………春義か?」


 円華のそばに立っていたのは、紛れもなく蛇澤春義だった。

 若干身長が高くなっているものの、彼に違いない。高校生から大人になったら、ちょうどああいう姿になるだろう。

 服装はボタンが六個もついたグレーカラーのダブルスーツと、リンゴのように赤いネクタイ。胸ポケットにはハンカチが収まっており、まるで洋画に出てくるスマートな俳優のような出で立ちだった。


 春義はネクタイを整えると、相変わらずの笑顔で言った。


「正解。改めて名乗ろう。僕はミスター・ダブルスーツ。そこにいるミス・バニースーツと同じく、キミたちに禁断の果実を与えた者さ」


「なんで生きてんの?」


「あれは無数にある僕のすがたのひとつにすぎないんだよ」


「くだらねえ言い方してないできちんと説明しろ」


「ごめんごめん。つまり、分身ってことだね。学生を演じながらバニースーツの探知をかわすのはなかなかスリリングで……楽しかったよ。まあ、さすがにバレたときは焦ったけどね」


 血が流れるほどの精巧な偽物だった、というわけか。

 こんな空間を作ったり、催眠アプリを作れるような存在だ。人の死体を偽装するぐらいお手の物なのだろう。

 円華が人殺しではなかったことに安堵したものの、そこまで春義……いや、ダブルスーツが彼女に手を貸す理由はなんだ。


「なるほどな」


 腕を組んだバニースーツが、射るような眼差しを彼らに向けていた。


「いつの間にか消えていたが……その女に助けてもらったというわけか」


「ご名答~。ポケットディメンションは作った本人がいないと消える。だけどエクスペリメンツの監視のために外に出る必要がある。だから、キミは僕を現実世界のどこかに置く必要があった。位置情報を円華に送っているとも知らずにね。それにしても、うまく助けてくれたよ!」


「そんなことが可能だったタイミングは……」


「そう! キミが万引き犯を捕まえた時だね。キミがポケットディメンションに入って彼を断罪しているあいだは僕を感知できないだろ? フリーになった僕を、円華があらかじめ待機させていた被催眠者に助けさせたんだ」


「あの男はエクスペリメンツによって操られて窃盗をおこなったというのか?」


「それは違う」


 その疑問には円華が答えた。


「もともと犯罪者だったんだよね。ものを盗んでを転売するっていうかなり悪質なタイプの……で、一度捕まえたの。だけど、ダブルに言われたんだ。そろそろバニーに見つかるだろうから、保険のために置いててくれ、って。だから、定期的に催眠をかけて行動を抑えながら、使うタイミングをうかがってたわけ」


 警察には突き出さなかったが、万引きもさせなかった。ということでいいのだろうか。


「いきなりダブルと連絡が取れなくなったときは驚いたよ。そしたら、誠人くんのお見舞いに行っている最中にバニーの姿がちらちら見えたから、事前に予定していた作戦を実行したってことだね」


 まとめると、こうなる。

 バニーがダブルを捕まえてどこかに閉じ込める。その後、バニーは隆吾と接触すべく近づくも、円華がいるせいで断念し、清涼を求めてモールに移動。隆吾たちはそれを追いかける。円華はバニーの感知をごまかすため、用意していた万引き犯を囮に使う。そのあいだに、待機させていた被催眠者がダブルを助け出す。


「ダブルスーツ、こんなことをして……なにが目的なんだ」


「バニーから聞いてないかな。僕らは人に興味があるんだ。だから、このアプリを人に渡して、どう動くのかを見たい」


 以前、彼から聞いた言葉が脳裏をよぎる。

 あの人外じみた思想はまぎれもない本心だったというわけか。


「待て」


 と、バニースーツが会話の流れを横から奪い取った。よっぽど腹に据えかねているらしい。


「おまえは二度、ルール違反をしている。一度目は私に黙ってゲーム開始の数か月前に円華にアプリを渡したこと。そのペナルティとして、光輝から隆吾への所有者の変更が認められた。

 そして今日、おまえは彼女を自ら救出した。これで二度目」


「そうだね」


「なぜ、こんな無駄なことをした?」


「なぜって、そのまま終わったらつまらないからでしょ?」


 けろりとして言ってのけたダブルスーツに、バニースーツは眉をひそめた。


「なに?」


「互いに秘密を抱えたままゲーム終了なんて、誰が面白がるのさ。だから、僕はいままで学校で、できるだけ違反にならない範囲でゲームを盛り上げてきた。

 愛羅がスクールカーストのトップになるよう誘導したし、誠人と付き合わせて、その立ち位置を盤石にもした。タヌキがギリギリ折れないように誠人の暴力も抑えてきた。すべてはこのエクスペリメンツを楽しむためだ」


 ゲームが終わらないよう、両者を調整してきたというのか。

 もしそれがほんとうなら、入学してからずっと演技をしてきたことになる。

 彼らが本気になれば、隆吾が捻りだした作戦など、崩れかけのジェンガよりも軽々と吹き飛ばすことができるだろう。


 思えば、一度目の違反とやらもダブルスーツにとっては予定のひとつにすぎなかったのだろう。

 円華の勝利を逃すことになるとはいえ、彼には些末なこと。

 いいや、むしろそれが本命か。

 新たなプレイヤーである“隆吾”があらわれることを見越して、ペナルティを利用したのだ。

 さぞ楽しかったはずだ。

 突然のことに慌てふためく隆吾。

 異常事態に混乱する円華。

 そこから第二ラウンドが始まったのだから。


「でも、円華が誠人を使ってキミのスマホの中身を覗こうとしたときはさすがに焦ったよ。引き止めたことに感謝してくれよ」


 反逆開始の日の話か。

 ほんの数日前だというのに、いまはもう遠い昔のように思える。

 誠人のあの不自然な態度、タイミング、どちらも妙だと勘繰っていたが、正解だったらしい。


「キミたちにアプリを渡してよかった。最高のショーだ」


「アプリって呼ぶか、エクスペリメンツって呼ぶか、どっちかにしてくれ」


「そうだね。呼びやすいようにアプリと呼称しよう。

 アプリを渡す際、対象は同年代で、同じ高校に通う人間であることを条件として、あとはランダムに決定した。関わってほしかったからね。

 アプリを手に入れたふたりが協力するのか敵対するのか……そして敵対するとしたらどちらが勝つのか。アプリでなにをしようとするのか。そこにどんなドラマが生まれるのか。すごくワクワクするだろう?」


 罵倒する言葉がいくらでも浮かんできたが、口を結んで飲み込んだ。

 言っても無意味、などという消極的な考えによるものではない。

 いまは彼らから話を聞くフェイズだ。できる限りの情報を引き出して、そのあとに顔面を殴り飛ばしてやる。


「決着がついたらどうなる?」


「アプリの完全な譲渡を約束しているよ。たとえスマホが破壊されたとしても、新しい端末に移行したとしても、アプリは一生残る。それと、どんな願いもかなえる」


 バニースーツと同じか。

 立場は違えど、課されているルールはきっぱり同じというわけだ。


「それを円華は知っているのか?」


「もちろん。じゃないと、駆け引きが生まれないでしょ?」


 相手を倒すほうが将来的にメリットがある。

 大きな野望を持つ人間にとって、攻撃をしかけるには十分な理由だ。

 善行さえすれば、人々を思うがままにできるアプリ。対価に対して報酬が釣り合っていない気さえする、強力な効果。

 隆吾のような凡人でも、これを悪事に使えば、明日にでも大金持ちになれることだろう。

 正直、そんなものに興味はない。

 いまはただ、本来の目的を果たしたい。


「最後にひとつ質問いいか」


「いいよ」


 春義……ダブルスーツが応える。


「なぜバイクで円華を轢いた?」


「ブレーキのタイミングを間違えた」


「そっか」


 円華が信じられないものを見るような目でダブルスーツを見た。

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