第28話 全員集合

 愛羅が連れてきた制服姿の私兵たち――総勢六人――は、怪訝そうにしつつも、黙って状況を見守っていた。

 よく飼いならされている。

 それとも、異様な光景と、死体を前にして言葉が詰まっているのか。


「……マジかよこれ」


 彼らのなかからひょっこりと顔を出したのは誠人だった。彼はまだ手に包帯を巻いているが、病院を抜け出してよかったのだろうか。


「な……春義? それ、死んでんのか……」


「どうでもいいでしょ」


 誠人の動揺をさらっと切り捨てた愛羅は、明らかな苛立ちをあらわにしていた。

 人の死体を見て「どうでもいい」という言葉が出てくることが恐ろしくてしかたがない。

 前々からずっと異常者だとは思っていたが、愛羅は根本的に精神構造が違うのかもしれない。


「タヌキ、あの内容はほんとう? 愛羅にケガを負わせた犯人がここにいるっていうのは……」


「犯人は円華だ」


 真実は知らないが、せいぜい利用させてもらおう。


 彼女たちを呼んだ経緯はこうだ。

 ショッピングモールに来た段階で、隆吾はすでに愛羅と連絡を取り合っていた。

 メッセージで“きょう、おまえに重傷を負わせたヤツと会うかもしれない”と送ると、彼女はすぐ食いついた。

 私兵を集めさせ、徐々に位置情報を送り、近くで待機させる

 そして、春義の死体を確認してすぐに最後の場所を送信。

 ジャストタイミングで愛羅たちが登場、というわけだ。


 もしもなにもなかった場合は、そのまま帰らせていた。

 その場合、どんな仕打ちを受けたかはあまり考えたくはない。とはいえ、いくらでも回避手段は用意していたが。


「円華、キミが愛羅たちにかけた催眠は『態度:友達』だろう? 彼女たちの行動に影響がないレベルで収めようと思ったら、それが一番手堅い」


「……………………」


「だけど、それが仇になったな。愛羅は『友達』ぐらいじゃあ容赦はしない。いまから催眠を解除してもダメだ。インターバルがあるからな」


「それは困ったね……」


「覚悟しろ。さあ、愛羅! そいつらに命令して、円華を捕まえちゃいなさい!」


「嫌だけど?」


「そっか! ……うん?」


 後ろから聞こえてきた否定の言葉を危うく聞き流しかけたところで、振り返った。


「……なんて?」


「いや、なんでタヌキに指示されないといけないの?」


 ムスッとした顔で腕組みをしている愛羅。

 嫌か。命令されるのが嫌か。

 天井を仰いで、深く息を吐く。


 どうすっかなぁ……。


 この場にいる全員が微妙な表情のまま、時間が過ぎた。

 黙っていても埒が明かない。

 隆吾は愛羅に向き直ると、頭を地面にこすりつけて土下座した。


「お願いします。お力を貸してください」


「おいおい」「タヌキ……」


 光輝と美里が「やめとけ」とばかりに肩を叩いてきたが、ケチなプライドを捨てただけで状況を打破できるのなら、安いものだ。

 人殺しを野放しにはできない。

 愛羅が中腰になって、こちらを見下ろしてきた。


「愛羅の言うことを聞いてくれるなら助けてあげる」


「はい! なんでもします!」


「約束だよ? 破ったら、殺すからね」


「おおせのとおりにー!」


「じゃあ、やっちゃおっか。みんな、愛羅のためにあの女を捕まえてくれる?」


 下知げじを受けた私兵たちが「はいよろこんで!」と声を揃えて応えた。

 そして一糸乱れぬ動きで肩を回すと「ぶっ飛ばすぞゴルァ!!」と雄叫びをあげたのだった。

 なんと恐ろしい光景でしょう。

 獰猛どうもうなニッポンヤンキーの威嚇いかくです。

 オスのニッポンヤンキーはああやって敵対的な生物に罵声を浴びせることで、己の強さを誇示します。

 現在ではあまり見られなくなってしまったニッポンヤンキーですが、田舎などで未だにしぶとく生き残っています。


「頑張ってねっ」


 愛羅の小鳥が鳴くように可愛らしい声援を受けたヤンキーたちは、隆吾たちを取り囲んでいた男たちに恐れもせず襲いかかった。

 彼らの武器は、廃工場内に落ちていたのであろう鉄パイプなどの頼りない廃品ばかりだった。それでもないよりはマシか。


 周囲を怒号が包み、にぶい打撃音が連続して響いている。

 耳が痛い。聞くに堪えない。


「立て、タヌキ」


 光輝が隆吾の腕を掴み、立ち上がらせた。


「あいつらに任せっきりにはできない。いまのうちに円華を捕まえるぞ」


「あ、あぁ……」


 円華はすでに戦闘の領域から離れて、逃げ出しているところだった。

 工場の裏口を知っているのだろう。迷いなく奥へと走っている。


 追おうとしたが、円華の催眠兵が道を塞いできた。肉体労働系の仕事をしていそうな大きな体格はなかなかの威圧感を放っている。

 愛羅の私兵が六人に対して、あちらは八人。

 けが人である誠人が加勢してくれたとしても、まだひとり余る計算だ。


「ここは僕に任せろ」


 光輝が前に立ち、構えた。


「美里、キミがタヌキと行くんだ」


 指示を出された美里は逡巡した様子を見せたが、すぐにうなずいた。


「わかった」


「行け!!」


 光輝が催眠兵に殴りかかると同時に、隆吾たちはその脇を抜けた。

 捕まえようとしてくる手を間一髪でかわし、すでに裏口の向こうへと消えた円華を追いかける。

 コンテナが置かれた空間を走り抜けながら、美里にたずねた。


「なぁ、なんでおまえがここにいるんだ? 呼んでないんだが」


「いろいろと事情を抱えてんのよ」


「その言い方だと、愛羅についてきたわけじゃないんだな」


 しまった、といった表情を浮かべた彼女を尻目に、推測をやめた。ただでさえ夏場に人を追って全力疾走しているのだ。考えが働くわけもなし。

 屋外に出て、照りつける日差しと暑熱にめまいを覚える。鉄板のように熱されたコンクリートはうっすらとかげろうを作っていた。

 滝汗を拭い、四方に視線を巡らせる。


「どこ行った!?」


「あそこ!」


 美里の指差した先に、長い黒髪を靡かせて走る少女の姿があった。

 それほど距離は離れていない。

 腰を軽く沈めると、やや前傾になって駆けた。足から込み上げる熱が全身へと行き渡り、汗を喚起する。

 風を切るも、生暖かくて肌を冷やすには至らない。


 円華がこちらに気づいて速度を上げた。

 以前、体育の授業中に見た彼女は、女子のあいだでもなかなかの運動神経をしていた。速力、持久力ともに中の上はあるだろう。

 こちらとほぼ同じか、それとも――いや、考えるだけ無駄だ。無心になって走るしかないのだから。


 そろそろ工場区域を抜けて、住宅街へと到着するはずだ。

 民家も増えてきた。


「待て!!」


 叫んだところで待ってくれるはずもなかった。

 だが、このまま人のいるところに進んでくれるのなら好都合だ。催眠アプリによって誰かに『命令』すれば、円華を止められるかもしれない。

 逆に言えば、円華にも同様の手が使えてしまうということでもある。しかも、先を行く追われる側のほうが、先行をとれて有利。

 だが、ただの追いかけっこを続けるよりははるかにマシだ。


 円華の動きに変化があった。

 ふところに入れていたスマホを取り出し、ほとんど見ずに操作を始めた。経験によって、どこになにがあるのか分かっているのだ。

 新しく催眠をかけるため、誰かの催眠を解除しているのだろう。対象はおそらく愛羅か誠人だろうから、置いてきた側が楽になることはない。


「まずい……」


 往来も珍しくなくなってきた。そろそろ人の多い場所に行きつく。

 太い車道も目立ちはじめ、車やバイクがあちこちを走行している。とっくに人のいる場所にたどり着いたらしい。

 隆吾の足はとっくに棒のようになっていて、筋肉が悲鳴をあげている。何度立ち止まろうと考えたか分からない。

 ここで決着をつけるべきだ。


「誰かその子を捕まえてくれ!!」


 隆吾は叫びながら、彼女の前にいる大学生ぐらいの男性に狙いを定める。

 体格もいいから円華を押さえていられるはずだ。

 男性が痴漢で捕まる可能性も考えたが、問題ない。いくらでも弁明はできる。


 催眠『命令』――円華を拘束しろ。


 実行に手をかけようとしたと同時に、円華も狙いを決めたようだった。

 彼女は車道に飛び出しながら、斜め後ろの歩道――隆吾の左前方――にいる親子に視線を向けていた。

 母親が泣いている赤ちゃんを抱いて、あやしている。

 そばにはベビーカー。

 抱っこ紐はつけていない。

 すぐに最悪の予想が浮かんだ。

 あの母親が手を離すよう『命令』すれば、赤ん坊は落下して死ぬだろう。

 自分はそれを見過ごせるはずもなく、絶対に助けに行ってしまう。


 そして、それが実行されるタイミングは隆吾が親子に気づいたときだ。

 つまり、いま。

 しまった。

 間に合わない。

 円華の瞳がこちらの様子をしかと捉え、ふたたび親子へと移る。


 ……やられる!


「よせッ!!」


 叫び、


 ドンッ――


 突如、戛然かつぜんとした衝突音。

 横から突っ込んできたバイクが、円華を轢き飛ばしていた。


「……………………ッ?!」


 悲鳴もなく、華奢な肢体がグレーのコンクリ路面をハデに転がっていく。

 滑らかな黒髪がつばさのようにバサッと広がり、頭を中心に放射状に散らばった。

 手足は投げ出され、痙攣ひとつしていない。

 隆吾はその様を冷静に観察していた。

 意外だ。つい最近も事故を目撃したせいか、ひどく落ち着いている。なにが起きているのかをハッキリと捉えられる。


 呆然と立ち尽くす人々。

 泣き止んだ赤ん坊は、不思議そうに倒れている円華を眺めている。

 母親は我が子を抱きしめたまま、硬直していた。

 隣にいる美里は口を押さえ、瞠目しきったままだった。

 バイクはすぐ停車した。レザースーツを着て、ヘルメットを被った運転手が足を下ろし、円華へと駆け寄る。


 とにかく、救急車を呼ばないと。

 隆吾はスマホを操作しながら、事故現場を眺めていた。


 運転手は円華の肩を叩き、応答を求めていた。適切な判断だ。

 続いて仰向けに起こし、呼吸の確認。

 脈のチェック。

 そして彼女を肩に担ぎ、バイクに取り付けられていたサイドカーに乗せた。


「……え?」


 何食わぬ顔でハンドルを握った運転手は、慣れた動作でバイクを発進させると、激しい走行音をたてながら走り去っていった。

 まさに一瞬の出来事だった。

 ナンバープレートをつけていない黒いバイクはこの場から消え、あとにはその理解できない一部始終を見せられた観衆のみが残されていた。

 唖然としたまま、夏日の下で立ち尽くす。


 声を失っている隆吾の隣で、美里がつぶやいた。


「円華が……誘拐された……?」

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