3章 スクールカースト正義教室

第27話 悪役として

 胸から大量の出血をしたのであろう。赤黒いシミが傷口から腹までぐっしょりと広がっており、すでに乾ききっていた。

 うなだれたまま、後ろ手にイスに縛られている状態だ。足にもロープがかけられているのが分かる。

 誠人が話していた状態とも一致していた。


「は……え……なんで……え?」


 隆吾の頭の中は真っ白になっていた。

 視界から送られてくる情報を、脳は殺人事件だと判断している。しかし、それを出力するのに膨大な作業が必要だった。


「すごく驚いてるね」


 円華は微笑みながら、死体の周りをぐるぐると回る。

 長い黒髪の少女の挙措きょそは、まるで花畑で舞うように軽やかだった。錆びた廃工場のなかで死体と向き合っているとは思えない。


「誰が殺したか分かる?」


「……キミか、バニースーツか。もしくは両方か」


 最低限、自分なりの推理だけは吐き出すことができた。

 それにしても、想定していたなかでも最悪の事態になってしまうとは。


 激しい動揺がありつつも、できるだけ思考は止めないように努めた。

 肌身で感じる死の感覚。

 壁ひとつ隔てた向こうの存在だと思っていたものが、眼前にあらわれた。それも、触れようとすれば届く位置。

 いや、死がこちらに触れようとしている。


「うんっ。タヌキくんは賢いね。正解は私だよ」


「どうやって? 誠人の証言を最後に、春義は行方不明になっていた! どうやったら殺せるんだ!? まさか、キミもあの場にいたのか?」


「いなかったよ。でも、ツテがあった」


「バニースーツとグルなのか?」


「違う違う。あの人について、私はなにも知らない。っていうかね、私がどうやって春義くんを殺したかは大した問題じゃないの」


「なら、なぜ殺した?」


「必要だったから。殺してもよかったから」


 包丁を乱暴に引き抜いた円華は、こびりついた血を指で拭った。


「こんどは私がタヌキくんに訊くね」


「なにを?」


「人を殺した私を、あなたはどう思う?」


 下手な返答をすれば殺されるのだろうか。ポケットナイフを探りながら、このまま交戦した場合の勝算を見積もった。

 はっきり言って負ける気はしないが、穏便に済ませられるのならそれがいい。


「キミは殺人犯だ。警察に出頭すべきだと思う」


「そうだよね。じゃあ、もっと直球で表現してくれない?」


「はぁ?」


「私はあなたに対して、なに?」


「敵だ」


「敵、って?」


「悪だ」


 その答えを聞いた瞬間、円華は嬉しそうにニッコリと笑った。眼を細めて、頬にわずかな朱が差した。

 そこにあるのは――興奮と喜悦だった。


「うんっ。そうだよね。人殺しは悪いことだもの。そんな悪い人は、正義の味方がやっつけないといけないよね」


 スッ、と包丁の切っ先が隆吾へと向いた。血によって光を失った鋩子ぼうしは重たい圧を感じさせ、嫌でも腰が引けてしまう。

 人を殺した、という情報が生み出す呪い。

 それがあれば、ただのなまくらであっても野太刀のような威圧を持つのだ。


「最後の質問。タヌキくんは悪い人をどうするの?」


 隆吾はポケットナイフを取り出すと、心もとなく感じつつも構えた。


「罪を償わせる」


「だよね。そうじゃないと……正義の味方は……」


「目的はなんだ? 電話の主はほんとうにキミなのか? 愛羅たちに催眠をかけたのか?」


「質問が多いよ。でも、これはタヌキくんにとって大切なことなの。かっこいい正義の味方になってもらうための、大事な試練」


 円華がゆっくりと歩みを寄せてくる。

 余裕からか、それとも最大限に警戒しているのか。


 ――舐めるな。


 隆吾は近くにあった空箱を彼女へ向かって蹴り飛ばした。


「ッ!?」


 ガランゴトンと騒々しい物音が響いた。

 円華が驚いて防御をとったのを見て、そのまま距離を詰める。


「このっ……」


 慌てて突き出してきた包丁をかわして、彼女の腕を捻る。そのまま押し倒し、仰向けの体勢にすると馬乗りになった。

 円華のまだ自由なほうの腕を足で踏みつけ、包丁を奪い取った。これでもうなにもできまい。

 そして、トドメにナイフの切っ先を肩に突き付けた。


「抵抗するなよ。刺すぞ」


「一瞬で負けちゃった……で、でもセリフが違うよ……それだと悪者みたい……」


「キミが愛羅たちに催眠をかけていたのか?」


「そう……愛羅がクラスを牛耳るように、裏で仕組んでた……」


「なんのために?」


「言ったでしょ……タヌキくんに正義の味方になってほしいって……」


 隆吾はカッとなって、彼女の腕を抑えていた足に力を込めた。


「そんなことのためにやっていたのか!? おれはキミを……尊敬していたのに!」


「でもね、私もタヌキくんを尊敬してるんだよ……」


「もういい。続きは警察に話せ。いまからキミのスマホを確認――」


「――避けろタヌキ!!」


 第三者の声が割り込んだと同時に、背後に迫る気配を察知した。

 とっさに腕で防御したとたん、強烈な衝撃と痛みが襲い、吹き飛ばされていた。ゴロゴロと地面を転がり、三回転ほどしたところで停止。土埃が舞って、肌と髪に不快感を与えてくる。

 奇襲によって皮膚の裂けた腕からは鮮血がツーッと流れていた。


「ぐぅっ……あぁぁぁぁぁ……!!」


 骨まで響いた打撃に悶えながらも、目だけはしっかりと開く。

 情報を拾え。

 ひとつも見逃すな。

 無知はそのまま命取りになる。

 ぼんやりとした視界のなかで、円華を守るように立つ大男を見た。おそらく、彼が蹴りを叩きこんだ張本人。


「タヌキ!!」


 ふたり分の駆けてくる足音がする。

 助け起こしてくれた顔を見て、きょう何度目かの驚愕を覚えた。


「光輝!? それに、美里も……」


 転校してからろくに連絡も取れなくなっていた親友が、どういうわけか美里とともにいる。

 ふたりは隆吾を見たあとに円華へと顔を向けて、サーッと蒼褪めた。

 誰の目から見ても明らかな死体を目の当たりにしたからだろう。


「……し、死んでるのか?」


「そうらしい……」


 信じがたい事実のはずだ。

 隆吾たちのやっていたことは、愛羅を取り巻くスクールカーストをどうにか取り除くという、日常の延長線上だった。

 現在、眼前にあるのは非日常の象徴。

 死。


 だが、いつまでも戸惑ってはいられない。


「光輝。なんで、おまえはここにいるんだよ?」


「キミは円華に騙されていたんだ」


「は?」


「電話でキミと約束をした相手は僕だ」


「じゃあ、おまえがおれにあのアプリを……!? っていうか、美里もどうして一緒なんだ?」


「詳しい話は後にしよう。見ろ」


 隆吾を殴り倒した男だけでなく、続々とガタイのいい男が武器を持って集まってきていた。

 その数、八人。

 隆吾たちを取り囲むように並んでいる。

 円華の知り合い、というわけではなさそうだった。

 彼らの表情は砂に描いたかのような生気のない真顔で統一されており、そこに意思が介在していないことは明白だった。


「おいおいおい。なんだこりゃ」


 隆吾の困惑に、美里が忌々しそうに答えた。


「あんたも持ってるんでしょ。アプリを」


「おまえも知ってんのか。っていうか、ありゃあ『命令』か……? 八人だと?」


「十人」


 円華は見せびらかすようにスマホを振りながら、不敵に微笑んでいた。


「私が催眠エクスペリメンツをかけられる相手は十人」


「んなわけ……」


「レベルは『300』」


「さ……ッ!?」


 隆吾の現在のレベルは『62』だ。

 誠人の見舞いと、万引き逮捕に貢献したおかげで少し上がっていた。手に入れたのは『態度:ヤンデレ』。

 かなりの高レベルのはずだが、それでも五倍近くの差がある。

 そして、催眠可能人数はまだふたりだけ。


「愛羅と誠人くんにかけたままだから、差し引きで八人ってわけだね。あら、手の内を明かしちゃった。まあいいか」


 圧倒的な余裕を見せている円華だが、その話がどこまで真実かはまだ分かっていない状況だ。

 なぜなら『命令』にはレベルの消費が必要になってくる。八人を操っているとなると、膨大な量だろう。

 おそらく、あの男たちにこの状況を記憶させないため、自我まで奪っているはず。

 そして、隆吾を攻撃したことによるペナルティ。

 これらが重なって、消費レベルが莫大なものになっているであろうことは想像に難くない。


「円華、意味が分からない。今回のことでキミのレベルはかなり下がったはずだ。そこまでしないといけないことなのか?」


「レベル上げなんて、貯金みたいなものだよ。意味なんてないの。ただね、このままだとタヌキくんは愛羅たちと和解しかねなかったでしょ。でも、あんな悪い人間を許すなんて、正義の味方のすることじゃないよね。ないでしょ? さんざん人を傷つけた悪役を許しちゃう作品」


「いくらでもあるわボケ。浅い知識で語るな」


「だけど」


「あ、いま条件を加えようとしたでしょ? それは反則だよ?」


「だって」


「ガタガタ足掻くな。にわか知識を持ったまま面倒ごと起こしてくれやがって。反抗期の子供か。知ったかぶりがよ。オススメの少年漫画を顔面に叩きつけて窒息死させてやろうか」


「それでも、タヌキくんは私にとって理想のヒーローにならないといけないの」


「知るか。正義とかヒーローとか、そんなのどうでもいいんだよ」


 ふつふつと怒りが湧いてきた。

 くだらない理由で人を操り、傷つけ、周りを思い通りに従える。

 それでは愛羅とやっていることが同じだ。


「いいか……おれは!! 怒ってるんだ!!」


 かつて、愛羅と誠人に感じていた怒りを、円華へとぶつける。


「いまから……をぶん殴る!!」


「怒ったから、なにができるの? 周りは私の私兵で取り囲んでる。あなたたちは勝てないし逃げられない」


 まるで悪役にでもなったかのように手を広げ、笑う円華。

 いつまでも演技気取りか。

 対抗するように、スマホを突きつける。


「舐めんじゃねえ。こっちは常に最悪の事態を想定してるんだ。おまえがおれの敵である可能性も予測済みだ」


「だとしても、アプリでどうにかするのは無理だと思うよ」


 後ろから光輝が肩を掴んできて「彼女のいうとおりだ。すでに催眠がかかっている相手に催眠はかけられない」と、こちらも承知のことをわざわざ告げてきた。

 だが、彼は隆吾のスマホの画面を見て、目を皿のように丸くした。


「まさか! タヌキ、なんてことをしたんだ……!」


「おれは決断が早いのが長所なんだ」


「取り返しがつくのか!?」


「後で考える。……来い!!」


 叫ぶと、円華は首をかしげた。


「誰を呼んでるの?」


 カツン、カツン、カツン――――

 複数人の足音が、耳朶を打った。

 揃っていない足並み。しかし、重圧だけは十分に発している。その来訪は決して好ましいものではない。悪魔の後進。

 それは徐々にこちらへと近づいてきている。


「……………………ッ!」


 円華が初めて、明眸に苦渋をにじませた。

 背後から、傲岸不遜に満ちた少女の声が響く。


「なんかヤバそうな雰囲気だね、タヌキ」


「来たか」


 隆吾は振り向いて、そこにいる男子数人と、そのリーダー的立ち位置に立っている人物を見た。


「愛羅」


「お待たせ」

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