第26話 ショッピングモールにて
三日後。
待ち合わせの時間になり、隆吾はまたショッピングモールへと訪れていた。
目的の噴水広場は入り口からすこし奥に行ったところにある。
平日の昼間だけあって人は少ない。
ズル休みをしていることにちょっぴり罪悪感があるが、それ以上に非日常感のある雰囲気で興奮もしていた。
人影のほとんどない通路を歩きながら、目的地を目指す。
広い空間に出ると、クーラーの冷気がやや和らいだ。
清涼感のある噴水の前に立ち止まり、辺りを見回す。
「電話の声はここにいるらしいけど……」
それらしい姿は見当たらない。
あのあと特徴も教えてもらえず「会えば分かる」とだけ言われたが、よっぽど奇怪な恰好でもしているのだろうか。
「ここにいるのは、オッサンと、くたびれたOLと……」
周囲を見渡し、
「あとは…………パンダ?」
不審すぎるパンダの着ぐるみが、柱の裏に立っているのを見つけた。
おそらく中身が入っているのだろうが、こちらを向いたまま微動だにしない。
「まさか、アレじゃないよな……?」
人違いであってくれ、と願っていると……。
のそ……っと、パンダが一歩、こちらへと歩みを寄せてきた。
黒ぶちの中におさまった虚無な瞳が、こちらをまっすぐ射貫いている。
また一歩、二歩、三歩と足を動かすパンダは、見間違いでも勘違いでもお門違いでもなく、こちらへと向かっていた。
「ちょっ……」
やがて、パンダは歩を早め、ついに走り出した。
可動域の悪そうな見た目でありながら、その様はアスリート顔負け。虚ろな笑顔も相まって、すさまじい威圧感があった。
「ま、待て待て! おれはおまえと待ち合わせに――」
「――タヌキくん!」
突然、後ろから女の子に手を引かれた。
細くしなる指。すべすべとした手のひらの感触。夏の暑さに晒されていたのか、やや赤く、熱を持っている。
振り返り、目を瞠った。
「円華!? なんで……」
「話はあと! 逃げるよ!」
応答する間もなく、彼女とともにショッピングモールを駆け抜ける。
道行く人々が怪訝そうに振り向き、ギョッとした顔に変わった。
男女の駆け足だけならともかく、後ろからパンダが追ってきているのだ。当然の反応か。
しかし、着ぐるみで全力疾走など無茶もいいところ。五十メートルも走らないうちにパンダの姿は見えなくなった。
モールの裏まで走り抜けた隆吾たちは、自動ドアから外に出た。
「はぁ……はぁ……」
ひざに手をついて、呼吸を整える。
隣にいる円華も汗だくになっていたが、微笑みを崩してはいなかった。
「タヌキくん。危なかったね」
「円華が電話の相手なのか……?」
「ん? そうだよ。少し休んだし、早く移動しよう。また見つかったら面倒だし」
「あ、あぁ……そうだな……」
詳しい話はあとか。
だが、安心した。彼女ならばこちらの状況を知っていてもおかしくない。絶対に信用できる。
電話中のあの横柄な態度も、素性を隠すためのものだったのだろうか。実際、こちらにはまるで見当すらついていなかったが。
「こっちだよ」
「どこ行こうとしてるの?」
「見せたいものがあるの」
自信満々に言う円華に、半信半疑ながらもついていく。
住宅街を離れて、どんどん人気が減ってきた。それでも立ち止まらず、ついには見回しても人が見えないところまで来てしまった。
周りには個人サイズの畑や、雑草の生い茂る枯れた川、トタン屋根の町工場があらわれる。
「なぁ、円華。あのパンダの着ぐるみは誰なんだ?」
「敵だよ」
「前に言ってた、おれの邪魔してるってヤツか?」
「あぁ……うん、そう。このタイミングでやってくるなんて、タヌキくんはずっと尾行されていたのかもね」
「あんな姿で?」
「ショッピングモールでショーでもあって、そこから盗んできたんじゃない? 前は、幼児向けアニメのキャラがなんかいろいろやってたし」
「あぁ、やってたなぁ……でも……」
なにか引っかかる。
あのパンダ、なぜおれを観察していたんだ?
◆
美里は噴水広場の二階から、走り去る隆吾と円華を眺めていた。吹き抜けになっているおかげで、一部始終はちゃんと把握できた。
パンダは円華の接近に気づき、走り出す。けれど間に合わず、取り逃がしてしまったようだ。
彼らの後ろからおぼつかない足取りで追いかけるパンダ。だが、あんな恰好で追跡は困難だろう。
やがて諦めたように減速し、立ち止まった。
「なんなのよ……あれ……」
パンダが隆吾に接近したのは、いったいなんの用があってのことなのか。
そんなことはどうでもいいか。
ここで起きたことを報告しろ、というのが指令だ。
こうして早退してまでこんなところに来させられたわけだが、事件が目の前から過ぎ去っても連絡がこない。
「ん?」
そのとき、パンダが頭に手をかけて、脱いだ。
「……………………は?」
その中身を見て、美里は目を疑った。
慌ててエスカレーターから一階へと降りて、周りの目を気にせず着ぐるみを脱いでいる男子に声をかける。
「光輝!?」
「え……なんで美里がここにいるんだ」
メガネをかけた柔和な顔立ちの少年は、以前愛羅たちの手によって転校させられた光輝だった。
そして、友人でもある。
「そっちこそ。なんでここに……っていうか、なんで着ぐるみ!?」
「タヌキと待ち合わせしてたんだ。でも、顔を見られたくなくてね。どうやら考えが甘かったらしい。逆に利用されてしまったよ。盗み聞きされていたのか、それとも最初からつけていたのか」
そう言いながら、光輝はスマホを取り出した。画面には周辺のマップが表示されており、赤い点が明滅している。
光輝はそれを眺めながら歩き出した。
「徒歩で移動してるのか」
「え、なになになに? なにがどうなってんの?」
「話してる場合じゃない。すぐ追わないと……」
「友達と久しぶりに会ってそりゃないんじゃない!? いや、それよりも……」
「問答をしている場合ではないんだ」
光輝は転校前とまるで変わらない正義感に満ちた瞳を向けた。
「タヌキが危ない」
◆
「ここは……?」
隆吾の目の前にあるのは寂れた小さな工場だった。
誰にも使われていないようで、看板も取り外されている。
大口をあけて開いている入り口の向こうはガランとしており、不要になった機材などが放置されていた。
スマホで現在地を確認して、位置情報を読み取る。
これでヨシ。最悪の事態が来れば、これがなんとかしてくれる。
中に入ると、ややホコリっぽい空気に顔をしかめた。
「ここに見せたいものが……?」
「うん。タヌキくんもきっと驚くと思うなぁ」
「そう……なんだ」
隆吾は生返事しながら、ふところに忍ばせたポケットナイフに手をかけた。
ほんとうに円華が声の主なのか。
実は操られていて、隆吾をここに誘導したのではないか。
そもそも、円華が催眠アプリを手にしていたとしたら、彼女はあの日、愛羅の口止めが可能だったということになる。
すでに布石は打ってあるが、とりあえずは黙って事の成り行きを見守るとしよう。
考えたくはないが、彼女がなにかするつもりなら反撃しなくてはいけない。
「タヌキくん、覚えてる? 高校の受験日のこと。私たちが初めて会った日」
「え? ごめん、覚えてない」
「あ、そうなんだ……」
円華がしょんぼりと眉を下げた。
その日は徹夜で勉強していたせいで寝不足だった。さらにはずっと試験内容のことばかり考えていたので、誰と会っても顔を覚えられなかっただろう。
コツンコツン、と固い足音を鳴らし、円華は話を続けた。
「私が不良に絡まれてるときにね。タヌキくん、颯爽とあらわれて助けてくれたんだよ。月並みな話だけど、すごく感動したんだ」
「あー! 思い出した! はいはいはい、あれね」
たしか、光輝と■■と一緒に受験に向かって……誰かにムカついて殴り飛ばした記憶が……、
「あれ?」
■■、って誰だ? 名前が思い出せない。
おかしい。あの日、一緒にいたのは光輝だけのはずだ。
隣にいた人間がひとり、いるはずなのに姿が消えてしまっている。
あれは……。
「がっ……アァ……!」
瞬間、刺すような頭痛が襲った。
あやふやな記憶にアプローチをかけようとすればするほど痛みは増し、意識まで根こそぎ奪われるかのようだった。
棘のついた鎖に脳が縛られている。脳が足掻こうとするたびに棘が食い込み、激痛を感じる。
それが頭に浮かんだイメージだった。
もがくほどに痛みは増すが、それでも止まれなかった。
「タヌキくん、どうしたの? 頭が痛いの?」
心配そうに顔を覗き込んできた円華を一瞥して、ひとつの可能性に思い至った。
……記憶が消されてるのか?
催眠アプリは『命令』によって人の記憶を消去することができる。
しかし、所持者に催眠は効かない。
なら、アプリを所持する前だったならどうだ。
過去に記憶を消されたが、所持者になったことで『命令』の効果が薄まり、いま思い出そうとしているとしたら。
「つらいなら、救急車呼ぼうか?」
「いや……いい……」
「そう? 無理しちゃダメだよ」
「だいぶ痛み引いてきた。もう平気」
「そっか。もうちょっとだからね」
手を引かれ、工場の奥にたどり着く。
天井には蜘蛛の糸のように張っている梁とパイプと、電球の外された照明。
床にはなにに使うのかも分からない鉄の棒の山。
壁には錆びている看板がかけられており『安全第一』の四文字は色がかすれてしまっていた。
隆吾は部屋の中央正面へと視線を投げた。
武骨な鉄骨ばかりが
ブルーシートがかけられた、なにか。
隠されている、なにか。
ちょうど……人間ぐらいの大きさの、なにか。
高さはだいたい胸ぐらい。横と奥は腕を伸ばしたほどか。
まるでイスに座っている人間にシートを被せているかのよう。
そんな予想が脳裏をよぎり、背中を寒いものが駆け抜けていった。夏の暑さのなかでも、それはひどく気味悪く残る冷たさだった。
「なに、それ……?」
「これ? これはね」
円華はブルーシートに手をかけると、ニッコリと笑った。
そのままバサッと引かれ、ほこりが舞うと同時に、中にあったものがあらわれる。
「春義くんの」
出てきたのは、イスに座っている……
「死体」
見慣れたクラスメイトの心臓に包丁が突き刺さっている姿だった。
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