第24話 不可解、後悔、バニーガール

 誠人は訥々とつとつと語り始めた。

 昨日、あの路地裏でなにが起きたのかを。


          ◆


「離れろ! クソ! なんのつもりだテメェ!?」


「ごめん。体がなぜか言うことを聞かない」


「舐めたこと言ってんじゃねえぞ! どけ!!」


 誠人は春義と取っ組み合っていた。

 目の前にある顔は、思えば短い付き合いだったがそれなりに信頼できる、いわば友と呼べるものだった。

 が、いまこうして目の前に立ちはだかり、邪魔をしている。

 その理由すらろくに話さない春義に、誠人はただならぬ苛立ちを覚えていた。


 互いに服を掴み、爪を立て、服が汚れるのも構わず転がる。

 生ゴミのえたような臭いが自分の体に乗り移ったことで、もうなにもかもが嫌になった。


「どけ!!」


 力任せに春義の腹に蹴りを叩きこむと、彼は咳き込みながら後ずさった。


「ぐ、ごほっ……!」


「テメェ……裏切ってやがったな! タヌキを逃がしやがって……!」


「はは……どうだろう。僕にもさっぱり……」


「いまさら誤魔化せると思ってんのか!? アァ!?」


 怒りで血液が沸騰していた俺は、喉が割れんばかりに怒鳴っていた。

 とにかく、まずは春義にケジメをつけさせることが第一。タヌキは後でどうにでもできる。

 誠人は鉄パイプを拾い上げ、剣道でいうところの上段に構えた。


「覚悟しろよ」


「殴れば気が済むのかい?」


「あぁ、済むね」


「じゃあ、やればいい」


 そう言うと、春義は不敵に笑い、頭を指差した。


「覚悟があるのなら」


「あぁ……しばらく病院で寝ててもらう。歯ァ食いしばれ」


 いま抱えている怒りのエネルギーをすべて鉄パイプに集中させ、放とうとした。

 そのとき、


「待て、誠人。誰かいる」


「アァ!? ……………………えぇっ?」


 春義が指さした先。


 バニーガールが立っていた。


 ウサギの耳。露出の高い衣装と、網タイツ。そこに付随されているフリルのついた黒いスカート。

 一見して、ドレスと融合した印象を持つ服装だった。

 女の子。見た目からして同年代ぐらいだろうか。


 金色の髪をなびかせ、紅い瞳の光がこの場を支配していく。強者とは、そこにあるだけで弱者の心を圧倒するのだと主張している。

 絵画に描かれた美女よりも完璧な目鼻立ち。

 肌も透けるように白く、シミひとつない。

 体型も、少女漫画の主人公のように整えられたスタイルで手足が細く長く、スラリとしている。


 一切の粗が存在しない端整な造形。

 まるで、人ではないなにかが人を模しているかのようだった。


「だ、誰だテメェ……?」


 誠人が震えた声でたずねると、少女は切れ長の目をすぅっと細め、


さぁ、実験を始めましょうかNow, let's start the experiment.!!」


 突として叫んだ。


 瞬間、周囲にあったはずの風景が紙切れのように千切れ、吹き飛び、はるか後方へと流れていった。

 代わりに空間はあまねく白に染まり、宙には巨大なフラスコ、三角形に囲まれた目、赤々と熟したリンゴがぷかぷかと浮かぶ。

 床は赤と青のまだらタイル。それが円形のステージのようになっており、その下は底無しだった。


「…………へ?」


 そのファンシーすぎる世界に放り込まれ、自らの正気を疑ったことは仔細に語るまでもない。

 少女はいつの間にやら階段の上に立っており、こちらを見下ろしていた。周りではアニメチックなウサギたちがラッパを吹いている。


「愛を忘れた欲深き人間よ。我が名はミス・バニースーツ」


「なに……? ミ、ミス……?」


「それにしても、傍観ぼうかんいて手ずから場を搔き乱すとは。まったく、嘆かわしいことだ。ルール違反だぞ」


「だから、なんの話してんだよ!!」


 このミス・バニースーツと名乗った女。

 誠人に向かって話しているようで、別の誰かを叱っているようでもある。少なくとも、口ぶりからして独り言ではないだろう。


 そうだ。春義はどうなった。

 彼はいつの間にか手足をロープで拘束されていた。口にはガムテープが貼り付けられ、喋ることができないようだった。

 身をよじりながら、うーうーと唸っている。


「オイ!? なにしやがった!?」


「いちいち質問が多い男だ。音楽番組の司会か? まあ、突然のことに戸惑っているのは理解できるがな。ウサギたち!」


 ぱぱぱぱー、と号令を受けたウサギたちがラッパの音を響かせる。

 徐々に冷静さを取り戻しつつあったが、今度はだんだん腹が立ってきた。


「テメェは何者なんだ!?」


「善悪を携えし者。すべてをる者。断罪者。などなど、私には千通りの肩書があるからどうとでも解釈するがいい」


「さっきから言ってる意味がさっぱり分かんねえんだよ……」


「分からないのならありのままを受け入れろ。ここに理解などというものは存在しない。ウサギたち!」


 ぱぱぱぱー、と号令を受けたウサギたちがラッパの音を響かせる。

 言っていることはさっぱりだ。

 自分はいま、幻覚を見ているに違いない。

 こんな光景、ありえない。

 現実的ではない。

 いきなり世界が消し飛んで、ラッパを吹くウサギがいて……どう考えても薬物でも打たれたとしか思えない。


「いてっ……」


 頬をつねってみたが、ハッキリと痛みを感じる。

 薬を盛られたタイミングなどはなかったとはいえ、これで自分が現実にいると思えというのはどだい無理な話だ。


「おまえ、これをまだ夢だとでも思っているのか?」


 呆れた様子のバニースーツ。

 ウサ耳がぴこぴこと揺れている。


「当たり前だろうが!」


「人の身では感受することあたわぬ領域ゆえ、いたしかたないか」


「なにひとりで納得してんだテメェ……」


「おまえを我々の“エクスペリメンツ”に巻き込んでしまったことは、私じきじきに謝罪しよう。ウサギたち!」


 ぱぱぱぱー、と号令を受けたウサギたちがラッパの音を響かせる。


「いちいち吹かせんな! うるせえだろ!」


「それは失礼した。ウサギたち!」


「やめろっつってんだろうが! ここが現実だっていうんなら、さっさと俺たちを元の世界に帰してくれ!」


 この理解不能な事態に、誠人は怒りを超えて恐怖へと達していた。

 ここのどこにも自分がリーチできるものがない。ただ叫ぶしかなく、張本人であろうバニースーツは話をまるで聞いていない。

 ひたすらに怖くて、徐々に手足も震えてきた。

 理解の及ばないものを前にした人間として正常な反応だろう。


「私の用はすでに済んだが、ちょうどいい」


 バニースーツはスカートを翻すと、誠人にやおら指を差し向けた。


「愛を忘れた欲深き人間よ。ここを出たければ、私からの要求はひとつ。自らの罪を懺悔しろ」


「ざんげ……?」


「おまえが犯してきた過ち。やむにやまれぬ事情があったとしても、酌量しゃくりょうできぬ罪障ざいしょう。ここで吐いていけ」


「そんなもんねえよ!」


「罪を認めぬと?」


「いままでのことを言ってんのなら……ぜんぶ愛羅に言われてやったんだ! 俺はなにも悪くねえ!」


「では、出すわけにはいかぬ」


「ふざけやがって……!」


 誠人は焦燥に駆られ、階段を駆け上がった。

 段を踏むたび、近くのウサギたちが単音を響かせる。それが連鎖して、ひとつのメロディーが形作られる。

 足が指揮棒であるかのように、リズムが刻まれる。


 ようやくバニースーツの前にたどり着き、彼女の細い肩を掴んだ。


「おまえが何者か知らねえけどな! くだらないお遊びに付き合ってる場合じゃねえんだよ! これからタヌキをぶん殴らねえといけねえんだからな!」


 バニースーツは冷めきった双眸で俺を睨んだ。

 彼女の燃えるように紅い瞳の中に、十字の線が刻まれているのが見えた。それは割れた陶器とうきに施される金継ぎのように美しく、輝きを放っている。


「懺悔する気はないと?」


「あるわけねえだろ、クソが!!」


「ならば……善行には対価として救いを」


「あ?」


「悪行には罰として償いを」


 次の瞬間、


「え?」


 目の前からバニースーツは消滅していた。

 いや、それどころか、世界も元に戻っていた。

 ここはどこだ。


 暗い。いや、明るい。

 視界に映る道路。

 ビルの明かり。

 街灯の光。

 歩道橋。

 信号。

 夜空。

 真横から迫ってくる車のライト。

 鼓膜を打つブレーキ音。

 衝撃。

 痛み。

 浮遊感。

 意識の喪失。

 終わり終わり終わり。


 気がついたときには、病院のベッドで眠っていた。

 隣で泣き崩れる母親を見て、自分が交通事故に遭ったことを知る。

 どうやら、ほんとうに奪われたらしい。

 ギターを弾くために必要な指。

 夢。

 父との約束。

 失った指がまだそこにあるかのように痛み、現実感を掴めないままこうしている。


          ◆


 ……おれはなにを聞かされたんだ?


 理解を超えた説明を淡々と語った誠人は、光を失った瞳を宙に泳がせた。


「うぅ……」


「バニーガールに説教され、気がついたら道路に飛び出していたって……そんな話を信じられるわけ……」


「でも事実だ! 誰に説明をしても、事故で意識が混濁しているから見た幻覚だ、と言われて、信じてくれなかった!」


 誠人は鼻を赤く染めて、目からボロボロと涙を流した。

 庇うように左手を、欠損した指を抱える。


「これじゃあ俺はもう二度と……ギターが弾けない……親父との約束が……うあああああああああ……!!」


 宿敵である隆吾を前にして、誠人は隠す素振りすら見せず、号泣し始めた。くしゃくしゃになった顔を覆っても、指のあいだから涙がこぼれ出てくる。


「ごめん……母ちゃんっ……! 約束、果たせないぃ……!」


「誠人……」


 正直、いたたまれなかった。

 この男はハッキリ言って悪側の人間だ。いくら夢のためとはいえ、人を傷つけることは悪以外の何物でもない。

 自業自得、と思われてもしかたないことだ。

 誠人を一生許さないといきどおる人間だっているだろう。

 隆吾自身も、光輝をあんな目に遭わせた彼を許すつもりはない。


 だが、それを覚悟してでも愛羅に従い、心をすり減らしてきた。その約束とやらを果たすために。

 並大抵のことではなかったはずだ。

 よほど頭のおかしい……それこそ愛羅のような人間でもなければ、人から嫌われて平気でいられるわけがない。

 そうして積み上げた努力すべてが一瞬で奪われたのだ。

 同情ぐらいはしてしまう。


「……………………」


 隆吾は円華と目を合わせ、無言で会話した。

 ここにいてもできることはない。プリントを置いて帰ろう。




 住宅街を歩きながら、誠人の語った内容を思い出していた。


「ミス・バニースーツ……?」


 という謎の存在が春義を縛りあげたらしいが、彼女が連れ去ったのだろうか。

 だとしても、目的はなんだ?

 もしかしたら、そいつが電話の声なのだろうか。思い返せば、口調が似ているような気がする。

 けれど、誠人の言っていたことが事実ならば超常的な存在だ。

 この催眠アプリとなにか関係があるのだろうか。


「事故で記憶が混濁してるのかな?」


 円華も自分なりに疑問の答えを出そうとしているようだった。彼女からすればなにがなにやらだろう。


「凄惨さに対して、内容が愉快すぎるよね。ウサギに、ラッパに……」


「頭がおかしくなってました、ってんなら楽なんだが」


「ねえ……タヌキくん、あれ見て」


「…………え?」


 円華が指さした先。

 往来の中、バニーガールが立っていた。

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