第22話 鉄パイプで殴り返せ
突然の事態に頭がこんがらがっているが、それでも、この状況を生み出した原因はハッキリと見えている。
「春義……おまえの差し金か……!」
さきほどまで一緒に和気あいあいと話していた男は、この場にふさわしくない人畜無害な笑顔を貼りつかせていた。
「誠人がキミに話があるっていうんでね」
「ボランティアの話も嘘か!」
「あれは本当。キミと同じボランティアを狙ったのも真実」
彼らがなぜ隆吾の選んだ場所を知っていたのか。
その理由はすぐに察しがついた。
美里だ。
彼女は一度拒否しておきながら、後になって翻意した。それは誠人たちと共に隆吾を
最初から、こうなることは仕組まれていたのか。
「タヌキィ。テメェには聞きたいことがあんだよ」
誠人が鉄パイプを威圧的に振り回している。
「愛羅とこそこそなにやってんだ?」
「あぁ?」
「前から妙だと思ってたんだ……よォ!!」
再び振り下ろされた鉄パイプを、ゴミ袋を使って防いだ。
破かれたビニールからゴミが飛び散る。
弾けた袋からきつい臭いが漂ったが、それに意識を使えるほど、こちらには余裕がなかった。
危機感。
確かに眼前に迫る、暴力の波。
肌をひりつかせる怒りの渦。
この瞬間のために練り上げられた誠人の感情の発露は、隆吾の身体の骨を確実に破壊するだろう。
とっさに転がって、反撃を警戒して立ち上がる。体にゴミがついたが、気にしてはいられない。
誠人は追撃に打って出なかった。
警戒の色をあらわにしながら、しかれど足はじりじりと間合いを詰めている。
以前の誠人は、敵を見るや噛みつく躾けのなっていない犬だった。
しかし、いまは手負いの獣。
なりふり構わないが、相手の首に牙を突き立てるだけの威勢がある。多少のダメージでは怯みすらしないだろう。
「タヌキィィィィ!!」
誠人が唸り狂いながら上段から振り下ろしてきた鉄パイプを、冷静に回避する。
すると、彼はまたパイプを腕に引き込み、構えをとった。
やはり、安易な追撃はしてこない。
無理に横に振ったところで、掴まれてオシマイだと分かっているのだ。
「テメェ! 避けんな!」
「話はどこ行った鳥頭!」
「まずは逃げられねえようにボコボコにしてからにしようと思ってな。だが、意外と粘りやがる。めんどくせえから、今聞こうか」
「あぁ!?」
「愛羅となにか企んでんのか?」
「するわけねえだろ」
「じゃあ、愛羅と隣町の駅前にいたっつーのは真実か?」
「そうだ」
誠人の口ぶりからして、誰かに入れ知恵をされたのだろう。その原因はおそらく、後ろの春義か。
ならば、否定したところで信じてもらえるわけがない。
愛羅とはかなり長い時間一緒にいたのだ。肩を並べて歩いている姿を撮られている可能性もある。
「タヌキ。教えろ。なにを企んでる?」
「あいつが勝手についてきただけだ」
「んな嘘が通るわけねえだろうが!」
「なにキレてんだ、おまえ。おれがなにかしたか?」
「指!! 病院!!」
「たかが人前で漏らしたぐらいで怒るんじゃねえよ」
「ぶっ殺す!!」
誠人が前傾でダッシュをしてきた。
腰だめに構えた鉄パイプは、振るう様子がない。
パイプの腹ギリギリに収めて殴りかかろうというのか。
それとも、突きを繰り出すつもりか。
避けられない。
すぐ背後は壁だ。
もとより、かなり狭い路地裏。距離を詰めてこられればどうしようもない。
そうこう考えているうちに、
「しゃあっ!」
「あがっ……!?」
鉄パイプが隆吾のみぞおちに突きこまれていた。
激痛。
数瞬のあいだ、体が呼吸を忘れる。
腰を折って呻く隆吾の頭に、
「ごっ……」
さらに殴打が叩きこまれた。
目の中で光が弾けて、意識が飛びかける。白いまぶたの裏と黒い視界、脳みそがぐしゃぐしゃに
一瞬の暗転が終わったころには、汚い地面に伏せていた。
「これで……あの頃の俺とおまえに戻ったな」
背中に足を載せた誠人は、得意げに笑った。
「くそっ……ちょっと場面が違えばロマンチックに思えなくもないセリフを吐きやがって……」
「さあ、教えてもらおうか」
「いっ……言ったことがすべてだ……!」
「嘘つくなよ。せっかく最近買ったばかりの靴がさぁ……」
「うぐっ!」
脇腹に叩きこまれた誠人の足。
続いて、かかとが背中に落とされる。
「テメェの血で汚れちまうだろうが!」
「そ……そりゃあよかった。ダサいから良いアクセントになんだろ」
「せっかくまだ口が動かせるんだ。もっと有益に使えよ。でないと、二度と喋れなくなるぞ」
パイプが隆吾のあごを指し、狙いを定めている。
砕くつもりか。
おそらく、誠人はやると言ったらやる。
彼の目は飢えに飢えている。理性のタガが外れるまで、もう猶予はない。大義名分さえあれば喜んで顔面を粉砕するだろう。
「喋れ、タヌキ」
「……ここまですることかよ」
「俺は愛羅にずっと従ってきた。機嫌をとって、頭下げて、命令にもなんだって従ったさ。
死んだ親父のギターを叩き壊されても、なにも言わなかった。母ちゃんのことをどれだけバカにされても、ヘラヘラ笑って聞き流してたさ。
これも全部! 俺のバンドを手伝ってくれるって約束したからだ!
なのに、なんだ? 俺はもう用済みか!? 次のおもちゃが見つかったから、どうなってもいいって? そりゃあ筋が通らねえだろうが!」
もはや、ただの愛羅への恨み言だ。
それだけ鬱憤が溜まっていたということなのだろう。
己の目的のために奴隷扱いにも耐えていたというのに、その契約が理不尽にも、風前の灯火と消えようとしているのだから。
「がはっ……」
誠人の鋭いつま先が、おれの脇腹を容赦なく抉る。
「あのゴミクソ女! もう我慢ならねえ! さんざんこき使いやがって!」
「あがっ! ぐっ……うぶっ……」
すさまじい吐き気と、空気を泥にしたような感覚。
内臓が壊滅的なダメージを負っていく。
体を丸めようと、誠人の攻撃は的確に弱い部分を狙い撃ちしている。
「いやぁ~よく怒ってるね~」
春義は完全に他人事といった風だった。
この激しい憎悪のぶつけ合いも、彼にとっては娯楽でしかないらしい。
わざわざ自分が楽しむために、春義はこちらを利用した。
引き合わせた。
もういい。
第三者のつもりで上からヘラヘラ笑いやがって。
いま、叩き落としてやる。
誠人はゴルフをするように鉄パイプを最下段に構え、隆吾のあごにスイングを叩きこもうとしている。
「喋れなくなる前に言いたいことはあるか?」
「……ある」
「言ってみろよ。聞いてやる」
「『助けろ』!!」
瞬間、
「ッ!?」
春義が誠人の顔面を殴り飛ばしていた。
事前に彼にかけていた『命令』が作動したのだ。
正直、これを使いたくはなかった。
彼らの関係に余計な
だが、自身の安全のためならば、下手な考えは捨てるが易い。
すっ飛ぶ誠人を尻目に、隆吾はすかさず立ち上がって出口を目指して駆け出した。
「なにしやがるテメェ!!」
誠人の怒声を背に受け、振り返る。
両者は取っ組み合いながら、転がっていた。
押さえつけようとする春義と、それを脱しようとする誠人。互いに力量に大した差がないのか、ほぼ完全な力の均衡を生んでいた。
怒鳴る誠人の声を遠く聞きながら、隆吾は街を駆け抜けた。
「はぁ……っ」
息が上がり、立ち止まる。
空はすっかりスミレ色と化し、夜の到来を告げていた。ひやりとした夜気風が肌を撫でていく。
時刻は七時前といったところ。
住宅街を歩いていく人たちが、チラリとこちらに視線をやるが、興味の対象にはならなかったようだ。スタスタと横を通り過ぎていく。
彼らはどうなっただろうか。
命令はあくまで“隆吾を守る”ことだ。こちらがあの場から消えた以上、効果は消えているはずだ。
念のためアプリ側で確認したが、すでに催眠は解除されているようだった。
目先の問題はクリアしたが、明日が怖い。
誠人と春義の対立がどう影響してくるのか、予測ができない。
「まあいいかぁ! 明日のおれがなんとかしてくれるでしょう!」
◆
次の日。
考えナシに行動した昨日の自分を恨みながら、恐々と教室を覗いた。
「あれ?」
教室に誠人の姿がない。
いや、よく見れば春義も同様だった。
不良のような人間とはいえ、彼らがサボったところをいままで見たことがない。
仮にもこの高校はそこそこの偏差値だ。品行方正とは程遠い彼らだが、入学できたからには、一般人が持つていどの良識は備えているはずである。
ならば、原因は昨日の一件しかないだろう。
「おはよう、タヌキくんっ」
思案に耽る隆吾の背に、円華の太陽のような声がかけられた。
「あぁ、おはよう」
「どうしたの? 廊下で突っ立って」
「誠人と春義がいないな、って」
「え? ほんとだ……。まあでも、ふたり揃ってサボってるんじゃないかな?」
「いままでそんなことなかっただろ?」
「気にしなくていいって。たった三か月余り一緒にクラスにいただけで全部分かるわけないよ。きっと、たまにこういうことをしたくなっただけだよ」
「そう……かな……」
昨日のことを知らない円華からすれば当然の反応だろう。
だが、知る側からすれば「これらを関連付けずに杞憂だと思って過ごせ」と言われて「ハイ分かりました」とうなずけるわけがない。
おそらく、殴り合いがヒートアップして警察のお世話になった、辺りが妥当な線ではないだろうか。
「にしても、なんでタヌキくんが誠人くんたちを心配するの?」
「それは……」
言われてみれば確かに変な話だ。
実は博愛主義者なんです、とでも答えれば騙されてくれるだろうか。
さて、どうしたものかと考えあぐねていると、
「はいみんなー。席に座ってください」
入室してきた担任教師に助けられた。指示に従い、着席する。
隣の美里は変わらず仏頂面だった。
こちらが無傷であることに対して、いささかの動揺も見せない。
心臓が鋼でできているのか、それとも単純に昨日の一件に関わっておらず知らないのか。
「なぁ、美里」
教師が点呼をするなか、隆吾は彼女に小声で話しかけた。
「……なに?」
「誠人についてなにか知ってるだろ?」
「ん? え……なんの話?」
「昨日、あいつがおれに殴りかかってきた」
「……はぁ?」
すっとぼけているという風ではない。
心の底から「なに言ってんだコイツ」といった、理解しきれていない顔だ。これではなにを聞き出そうとも、影を
それでも、この場で状況を知っているのは彼女だけだ。
「だから……」
「――朝、連絡がありましたが」
教師が名簿に目を落とし、教室に声を響かせた。
「誠人くんは交通事故に遭い入院。
春義くんは昨日から家に帰っていないようです。
なにか知っている人がいたら、先生に教えてください」
「……………………うぇ?」
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